私は無教会でキリスト信仰を育てられてきましたので、
先回、書きましたように
1・断食祈祷
2・霊的復興(リバイバル)
3・霊の戦い
4・聖霊の働き
5・礼拝厳守・什一返金
など上記のことは、ペンテコステ派ならば当然のことですが、
私は無教会の23年間、一言たりとも聞いたこともなく、育ってきましたので、
韓国・オサンリ祈祷院で1週間で、それらのことを知った時、
非常に大きなショックでした。
それは日本のキリスト教会が、日本国総人口1%を越えられない
根源的な原因が分ったからなのです。
そして即、上記5項目のどれか一つを実践しようと決意して、
韓国をあとにしました。
韓国ソウルから名古屋空港に向かうその眼下には、
鈴鹿山脈や実家もまた名古屋市、濃尾平野もよく見えました。
私は雲一つもない晴れ渡った飛行機の中で、
「今、上から見えるところのどこかに断食祈祷院を建て、
この地域に祈りを核とした福音宣教ができますように」と祈りました。
しかし、私を待っていたのは、それをあざ笑うかのような
出来事が相次いで起こってきました。
まず、1993年4月1日に20年間、苦楽を共にしてきた妻、洋子が
心臓麻痺で急死(42歳)しました。
韓国から帰って、上記のようなオサンリ祈祷院で示された
私のビジョンを妻に熱く語りましたら、
妻は「ようやくあなたの本来、行くべきところに戻ったようで
大変、うれしいわ。私は今担当しているアフラックの保険だけで
家族を支えるから、思い切って断食祈祷院をやってみたらどう。
全面的に支援するよ」と約束してくれていたのです。
私は保険代理店として一応、成功し数億単位の収入があり、
生活も安定していましたが、それを投げ打つという宣言に
よくぞ賛同してくれたと思います。
それほどまでに韓国キリスト教会急成長の秘密を知った衝撃で、
私は完全に変えられてしまったのです。
韓国の教会成長は尋常ではない成長であり、
当然、隣国なので日本のキリスト教会も韓国を訪ねて、
見習おうとしましたが、すべて長続きしませんでした。
特に断食祈祷は最も牧師たちが大きなつまずきをしてしまった分野でした。
何しろ韓国のキリスト教会は本断食といわれる水断食でしたから、
日本の牧師が韓国の断食祈祷院で断食を始めると
3日間ともたなかったのです。
そして聖霊派、福音派の牧師に断食嫌悪感が強く、
断食と聞くだけでアレルギー反応さえできてきてしまう有様でした。
韓国のキリスト教会が急成長した最大の理由は、断食祈祷にあるのですが、
それを毛嫌いするようになった日本のキリスト教会は、
韓国のような教会成長を遂げることができませんでした。
また、日本の無教会3代目の伝道者は、韓国で少数ですが、
内村鑑三の弟子(つまり2代目)がおられ、
そこに伝道旅行に行かれた高橋三郎師のお供をして、
1977年に訪韓したのですが、今思うと急成長していく
途上のメガ・チャーチに行っているのですが、
その時の熱気は今もよく覚えています。
しかし、なぜそのような教会になったかの説明は、
韓国側の無教会人たちからも一切、聞くことはありませんでした。
おそらく韓国の無教会人は分かっていたでしょうが、
日本の無教会には配慮し、説明されなかったと思います。