お互いに隠し事をしないこと。
そして、「あなたのために」という愛情で満たされなさい。
約束を忠実に守り、お互いの趣味や価値観が違っていても尊重し合いなさい。
ゆるし、与え、ゆずりあうところに、争いごとは起きません。
エペソ人への手紙
4:2 一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、
4:3 平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。
4:4 体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。
ピリピ人への手紙
2:1 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、
2:2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。
2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、
2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
【解説】
先に述べましたように私は現在73歳ですが、3回目の結婚生活です。
3人ともクリスチャンですが、
育ってきた生活環境も信仰的なバックボーンが違っていましたので、
一番、大切にしたのは、お互いの領域は犯さずでした。
しかし、育ってきた環境があまりにも違い過ぎると
様々なところで衝突が起きるので、少なくとも自分自身が育ってきた環境は
なるべく近い配偶者であることは最低限、必要だと思っています。
例えば、両親に愛して育てられた環境と、両親に捨てられた孤児とか
離婚された環境で育ってきた方だと
愛情の理解、受け止め方がまったく真逆なので
満たされないものを相手に要求しますから、
とんでもない夫婦関係になります。
私の場合、2番目の妻が、両親に捨てられ、孤児であったので
私への愛情の警戒心と要求は異常なものがありました。
私は最初、忍耐していましたが、それが境界性人格障害者
と言う精神的な病いということが分かりませんでした。
しかし、今は違います。
まず最初の妻と現在の妻は私と同じで両親の豊かな愛情で
育てられてきましたので、両親のことや兄弟がいて、家庭の温かみを
知っていますし、そこで豊かな家庭環境だったので、
その愛情の豊かさを共有できる安心感がありました。
しかし、2番目の妻はそれが全くないので、愛情の欠落への不安定さが
私のへ異常な愛情の要求と疑いが常にあり、
過度な愛情の要求を私自身が受けとめるのは到底、できませんでした。
今、現在の妻とは最初の妻と同じように普通の夫婦関係であり、
今回、最初に書かれているように
お互いに「ゆるし、与え、ゆずりあうところに、争いごとは起きません。」
の関係です。
そのことを今、ほんとうに感謝するのみです。