パンセの引用を今回、休んでパスカルが
18歳の時に父親税務を助けるために
世界で初めて計算機を発明するあたりを見てみましょう。
この時のことをパスカルを姉、ペリエは伝記でこのように書いています。
・・・・父は弟(パスカル)がどんな学問でもぐんぐん上達していくので
非常な喜びを感じていました。
しかし、まだ年端もいかないうちに絶えず先進の集中を続けたため、
弟の健康にどれほどの重大な影響を及ぶすか父は気が付かなかったのです。
そして弟が18歳になった時からはやくも健康は
悪化の兆しを見せ始めていたのです・・・・
パスカル18歳の時に父親はノルマンディー納税区の徴税官に任命され、
パスカルは父親の公務や科学知識習得で多忙を極めていたので、
父親を助けるために学者の討論会にも参加し、
病は次第に悪化していく中で、
世界初の計算機発明にチャレンジていくのです。
当時の貨幣は複雑でパスカルの父親は相当苦労していたようです。
しかも税金を出し渋るのを取り立てるのも並大抵ではないにも関わらず、
国からのノルマはきつく、せめて徴収雑務だけでも軽減したいと
父親の苦労を少しでも軽減するために「計算機」を考案する訳です。
それまでは計算尺とか数え札などかなり原始的な方法でした。
日本などアジアではソロバンという便利なものがあったのです。
しかし、パスカルはこの計算を機会にやらせるという
実に誰も考えたことのない方法を考案したのです。
これは理論科学から応用科学への質的な大転換であり、
科学者パスカルが企てた最初のチャレンジでした。
このような機械で計算をするという仕組みと設計図は
パスカルの頭の中にあったのですが、実際に組み立てて、
計算機を作るのは無から有を生み出すもので、
しかも試作する工場は石造りで冷気もきつく、職人に指導するのも体力と
精神力が相当必要でその疲労困憊は想像以上でした。
そして3年後に小さな計算機が完成するのですが、
特許など無い時代ですから、模造する者や盗む者などもかなり出現し、
他にも妨害や中傷も絶え間なくあり、その苦労は計り知れない者でした。
それゆえにパスカルの体は18歳にしてボロボロになってしまったのです。
そしてパスカルは自ら病気に取り付かれてしまったことを自覚していきます。
そのために自分の肉体の犠牲をしてまで科学という
学問に身を捧げただけではなく、
肉体が弱いがゆえに病の戦いは激しさを増していきました。
同時に精神的な勝利をめざして残された生涯を送るようになり、
その期間に書き綴ったのが、死後に発見されたメモで、
それを集大成したものが「パンセ」でした。
彼に負わされた数多い病気でしたが、
それに負けず、奮い立たせたものはいったい何かです。
パスカルはデカルトをライバル視していましたので、
パンセの中に出てきます。
他にもエピクテート、モンテーニュもかなり意識しています。
しかし、パスカルは誰も経験したことのない、回心(神体験)を
24歳の時、修道院で受けるのです。
以後、39歳で召されるまでのわずか15年間で
キリスト信仰を擁護する思想展開は計算機の創造とは
比べることのできないもので驚くべきもので
中でも「パンセ」は最高峰として後世に残るのです。