バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

バイブル・ファスティング 02 聖書は断食に始まり、断食で終わる  

2023-05-08 04:00:00 | 聖書の断食
私が43歳の時に断食に出会ったことで人生は大転換することになりました。

考えてみれば何も体も悪くはなく、

断食といえばこれまで病気を治す療法としてあることぐらいの認識しかない状態でした。

したがって自分が断食しようとは微塵も考えたこともなかったのです。

ましてやの私の場合、体が悪くもないし、断食する理由はなにもない人生でした。

しかし、それを一変する出会いがあったのです。

高校時代から聖書に出会って、愛農聖書研究会に参画し、

聖霊誌の編集や運営に深く関わっていたのですが、

年2回、開催される愛農聖書研究会で「断食」という言葉だけではなく、

断食の書かれてある箇所の聖書講義は一切ありませんでした。

その愛農聖書研究会の新年集会で25年前、

愛農高校専攻科でお世話になった村上さんから

何と「娘のことで断食祈祷してきた」のだと聞いた時は大変な衝撃でした。

まさか村上さんからそのようなことを聞くとは想像もしたことがなかったからです。

しかし、このことが私の人生を決定することになりました。

思えば愛農高校3年の時も私の人生を変えたのは村上さんだったからです。

高校3年生の構内弁論大会で韓国チェアム教会焼き討ち事件をテーマにした

「民族のつぐない」について発表したのがきっかけで、

それまでドイツ語を習ってスイスに留学する道から韓国の愛農会版、

「聖農会」の運動を支援しておられた村上さんの農場で専攻科実習をすることになったのです。

そして韓国語を学び、、韓国の行くことになって、

その運動を担うプルム学園で働く準備をしていました。

しかし、父親が養鶏農家で規模拡大のため実家に帰ってほしいということで卒業後、

韓国には行かず、その後、家の借財返済のために保険営業を開始し、

保険代理店を起業して韓国との関係は23年間、封印されてしまったのです。

その23年の間に韓国のキリスト教会は、断食祈祷をベースにして、霊的復興が著しく、

日本のキリスト教会とはますます教会成長において大きな差をつけられていきます。

1993年に韓国の断食祈祷院や韓国の教会に行き、

その23年の聖霊の力の差を見せつけられて、ようやく私は浦島太郎であったことを知りました。

私は19歳の時に韓国・プルム学園に行っていたら、

おそらく聖霊派のヨイド純福音教会にも出会えたことでしょうから、

献身していたことは間違いありません。

何と23年間、遠回りしてきたことか本気で悔しくなったことを今も鮮明に覚えています。

そして韓国でキリスト教の断食祈祷を日本で広めないと

日本のキリスト教は益々世界から遠のいていくということが

何か直感的に感じたことを昨日のように想起しているのです。


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