バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

正しい者は一人もいない 04 聖なる律法に出会わなければ罪は分からない 

2024-05-21 04:00:00 | ローマ人への手紙を読み解く
ローマ人への手紙
 3:9 では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。

全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、

罪の下にあるのです。

 3:10 次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない。

 3:11 悟る者もなく、/神を探し求める者もいない。

 3:12 皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。

ただの一人もいない。

 3:13 彼らののどは開いた墓のようであり、/彼らは舌で人を欺き、/

その唇には蝮の毒がある。

 3:14 口は、呪いと苦味で満ち、

 3:15 足は血を流すのに速く、

 3:16 その道には破壊と悲惨がある。

 3:17 彼らは平和の道を知らない。

 3:18 彼らの目には神への畏れがない。」

 3:19 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、

律法の下にいる人々に向けられています。

それは、すべての人の口がふさがれて、

全世界が神の裁きに服するようになるためなのです。

 3:20 なぜなら、律法を実行することによっては、

だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、

罪の自覚しか生じないのです。

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先回、述べましたように神の前における絶対的な罪というのは、

聖書の世界だけのことで、他の宗教にも

世界各地の様々な思想にもありません。

それは10節に明確に書かれています。

聖書は罪の認識がどこからかを明確に書いているのです。

つまり私たちはみな罪の下にあるのだということです。

つまり神の定めた聖にして聖なる律法の要求に対して、

人間は常に反抗して止まず、罪の根拠を聖書は明確にしているのです。

それは20節に明らかです。


3:20 なぜなら、律法を実行することによっては、

だれ一人神の前で義とされないからです。

律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。


律法無しには罪の自覚は全く生じないいうことになります。

神の律法を本当に分かれば罪が分かるのです。

モーセやイザヤの召命がそれを語ります。


出エジプト記
3:4 主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、
 3:5 神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」
 3:6 神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。

イザヤ書
6:3 彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
 6:4 この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。
 6:5 わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
 6:6 するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。
 6:7 彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので/あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」


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