バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

聖書にある断食について 31 罪の代償 05 バテシバ事件 05 なぜダビデ王は過ちを犯したのか 02 高慢で足をすくわれる 

2024-03-26 04:00:00 | 聖書の断食
第2サムエル記
12:13 ダビデはナタンに言った。「わたしは主に罪を犯した。」

ナタンはダビデに言った。「その主があなたの罪を取り除かれる。

あなたは死の罰を免れる。

 12:14 しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、

生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ。」

 12:15 ナタンは自分の家に帰って行った。

主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。

 12:16 ダビデはその子のために神に願い求め、断食した。

彼は引きこもり、地面に横たわって夜を過ごした。

 12:17 王家の長老たちはその傍らに立って、

王を地面から起き上がらせようとしたが、ダビデはそれを望まず、

彼らと共に食事をとろうともしなかった。

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先回、書きましたように私たちは神を信じておれば、

ダビデの犯した罪を防げるというのは、

まことに罪の現実の怖さを知らないことだといえます。

もし、牧師のメッセージでそれだけで終るようなものであれば、

罪の深遠さを全く分からないといわざるを得ません。

しかし、牧師の中には社会での荒海にもまれていないと

このようなメッセージで終わるでしょう。

やはりこの罪の背景にあるのは、高慢の罪があることを

心に銘記しなければなりません。

ダビデ王はイスラエルを長年苦しませてきた、

アラム軍を打ち破って、祝福の絶頂にした。

この戦いに勝利したダビデ王は、

その勢いで支配権をユーフラテス川のかなたにまで広げていきました。

このことは神がアブラハムやモーセ、ヨシュアに

約束されたことがようやく成就したのです。

神は先達の神の器たちに約束されたことを、一つもたがわず、

すべて実現していきました。

しかし、そうした祝福の絶頂にあって、

ダビデ王の中にいつの間にか高慢が生じていたのです。


箴言
16:5 すべて高慢な心を主はいとわれる。子孫は罪なしとされることはない。
 16:6 慈しみとまことは罪を贖う。主を畏れれば悪を避けることができる。


この箴言のように「高慢な心を主はいとわれる」のです。

そして高慢は思わぬ油断(注・01)を生み出し、足をすくわれるのです。

私も保険代理店で、全国のトップクラスの頂点に立った時、

一番、危険な時でした。

それは私の右腕のような優秀な女性社員のことです。

一歩間違えば、とんでもないことになるような関係に陥るところでした。

私の東京事務所を出店し、私が住むマンションに突然、訪ねて来たのです。

私は彼女をそのまま名古屋本社に帰らせましたが、

どのようなことでもできる状況でしたが、

主は憐れんで救い出してくださいました。

その時、トップに立つと高慢がもたらす油断に陥る怖さを知ったのです。


油断(注・01)
続けるべき注意や集中が途切れる、不注意になること。隙を見せること。
それにつけて、将来技術家として世に立つには 少時(しばらく)も心を油断してはならぬ。油断は大敵で、油断をすれば退歩をする。(高村光雲)ウィキ

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