太った中年

日本男児たるもの

唯幻論で斬る

2009-11-13 | weblog

ヨーカドーのおでんで晩酌。

 

さて奥さん、以下、岸田秀による国際政治分析の日経インタビュー。

唯幻論を唱えて30年以上、言っていることは金太郎飴と同じように一緒だってのがスゴイ。

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岸田秀氏に聞く「イラク政策、北朝鮮問題……『唯幻論』で斬る国際政治」

(2007/01/16)

「人間は本能の壊れた動物であり、生きるためには幻想が必要」という主張を基礎にした岸田秀氏の「唯幻論」。近著『岸田秀 最終講義DVD本』(id版)を入り口に、米国のイラク政策や北朝鮮問題といった国際政治から世界史までの幅広いテーマを、唯幻論の立場から一刀両断してもらった。

◆──唯幻論の土台である「人間は本能の壊れた動物であり、その本能の代わりに幻想が必要だ」という主張はどういう意味ですか。

動物は本能の行動パターンに従って生きています。人間は、それが壊れているため、本来は滅亡していたかもしれないのですが、本能の代わりに幻想の世界を築くことで種の保存をしました。「社会」「文化」といったものもすべて幻想です。「歴史」もそう。「自我」もそうで、個人の場合の自我に相当する「民族」や「国家」といった幻想が、集団の対立や争いを引き起こして歴史が成り立っているのです。

歴史を眺めるといつもどこかで様々な国が戦争していますが、そういうものを動かしているのは、マルクスなどが言った経済的条件ではなく、すべて幻想が原因です。ナショナリズムも、日本も幻想。日本列島に日本人が住んでいますが、この列島に住んでいるから日本が成り立っているのではなくて、我々が日本人だと思い、日本という国があって、これからも続いていくだろうという幻想を持っているから日本という国が成立するんです。幻想とは観念とも言い換えられるかもしれませんね。

◆──動物と人間の違いで、たとえば猿とかライオンは群れをつくりますね。集団と見なされるケースもあると思いますが、それと人間がつくるものとは違うのでしょうか?

動物というのは、アリやハチが典型的ですが、本能によってある一定の社会をつくることが決まっています。でも人間は異なります。日本もアメリカも中国という社会も同じではなく、いろいろですね。それぞれが背負っている歴史によって集団や社会の構造も違ってくる。

◆──そうした先生の独創的な思想の原点にフロイト心理学があると伺いました。


その通りです。中学2年のときに初めて読んだ本がフロイド(注:岸田氏は「フロイト」を「フロイド」と表記する)でした。大戦中の日本兵の死体を見てうつ病になり、何日も寝込みました。強迫神経症になりフロイドをたまたま読んでいたら本の中に僕と同じような症状の患者が出ていた。小学校6年生の時に敗戦を迎え、なんでこんな戦争をしたんだろうってあれこれ考えた。それが私の思想の出発点です。

戦争も幻想です。個人の喧嘩と同じで、経済的な衝突という問題よりも、プライドを傷つけられて悔しいからとか、腹立たしいからとか、そんなことで戦争しているんです。米国が日本と戦ったのもすべて幻想に基づいています。

◆──戦前の日本はABCD包囲網(仏領インドシナ進駐に対する経済制裁)など、物質的な面で追い詰められて戦争へと走った、という見方が一般的ですが。

私は経済封鎖だけが原因ではない、と考えています。むしろ過去の侮辱に対する報復ですね。被害妄想によって、悪い人たちの攻撃から自分を守る為に反撃に出たのです。真珠湾攻撃もそう。幕末のペリー来航で無理矢理開国を迫られたことに対する日本の報復が根っこにあります。つまり、日本にとってはアメリカによる強制的な開国が精神的なトラウマになっているのです。

アメリカもトラウマにとらわれています。カトリックに迫害された清教徒という、二重三重に差別されて新大陸に逃れていったという歴史の上にアメリカは成り立っています。

米国は日本と戦争したわけですが、その戦争はご存知の通りの経過をたどりましたが、その後の米国の対外外交には非常に大きな影響を与えた。戦後の日本は米国に負けて、米国の真似をしてアメリカ文化を取り入れた。ですが、戦後、米国も日本をある意味でコピーしているという考えられる点もあります。今のイラク政策は日本の中国侵略とそっくりそのままです。

なぜ日本を真似するかというと、米国人の多くは太平洋戦争で米国が日本を完全に打ち負かしたことについての不安があるのです。確かに軍事的には勝利しましたが、道義的に勝利したという自信がないのです。だから、米国は日本に完勝したんだ、ということを確認できるような行動を繰り返す。朝鮮戦争やベトナム戦争のほか、一連の米国の対外行動は日米関係の延長で、そのメカニズムは心理学的にうまく説明がつきます。

◆──米国が関連した戦争のきっかけに、米国の建国の歴史がある、と指摘しています。

英国から新天地を求めてアメリカ大陸に渡りました。神の使命を受けて新大陸に新しい理想の国を実現する、と自由民主主義を振りかざして建国しましたが、その背後にはインディアンの大虐殺があった。そうした建国の歴史は後ろめたいんです。

それで自分達の理想は絶対に正しい、ということを証明するために、インディアンは正しい理想に反対した悪いヤツだから排除したと正当化し、なんとか精神のバランスを保ちました。でもどこかで後ろめたい。ゆえに正しかったということを絶えず繰り返し証明しなければならない。

対日戦争も同じです。アメリカの建国の理想である民主主義を広げるのがアメリカの使命だ、と躍起になっているときに、天皇という絶対君主を頂いて中国を侵略した日本は、「とんでもない、やっつけろと」となったわけですね。米国の歴史はそうした心理学でいう自己欺瞞から発しており、その延長線上に日米戦争があった。

◆──その勝利の確証を得る為に、日本の敗戦後、朝鮮戦争やベトナム戦争を引き起こした、と主張されています。

日本の占領は抵抗なく、米国にとっては非常にうまくいきました。でも道義的に日本に勝ったという確信がないものだから、アメリカ式のやり方で、ほかでもうまくいくんだという証明が欲しい。朝鮮戦争でも、中国軍が入ってきて米軍は結果的に引き上げる形になって大きな不満が残った。

米国はベトナムでも日本に対してと同じように振舞いました。共産主義・全体主義に支配されるから、我々の自由民主主義を正しく広めるという名目で。でも、ベトナム戦争では最終的に逃げ帰ったわけですね。

そこまで失敗を重ねながら、なお我々は正しいんだという確認を得る為に、今展開しているのがイラク政策だと思います。独裁者のフセインを倒して民主主義を押し付けて。そういうことをやって成功しないと安心できないんですね。イラク政策は金だって相当かかるし、アラブを敵に回します。冷静に米国の国益の立場にたてば撤退すべきだと思います。でも日本も中国侵略をやめられなかったですね。どこかで引き返せばこれほど悲惨な目に遭わなかったかもしれないのです。アメリカばかりは批判できませんがね。

◆──米国の中東政策は石油利権が絡むと伝えられていますが……。

経済は口実ですよ。経済活動で戦争なんてしません。そもそも、経済活動そのものも幻想で成り立っている。中国侵略で日本は失敗したが、同じようなイラク侵略で米国は成功したい。それによって日本に完全に勝ったと初めて思えるからです。イラク国民はいい迷惑ですね。米国が世界政策を進めていく限り戦争はなくならない。米国も強迫観念にかられている、という自分自身の状況を自覚すべきです。

ただ、先住民の虐殺の事実を認識することは米国人にとって容易ではありません。現実を見つめることがスタートなのは、神経症の治療と同じです。例えば親に虐待されて育った子にとっては、親が自分に対して愛情を持っていない、というのは辛い現実。辛いので、親が自分を殴ったのは自分を愛しているからだ、とその事実を正当化して考えがちです。でもこれは自己欺瞞だから、親への不満や疑い、憎しみを無意識に抱えている。無意識に抑えているものが衝動となって出てくるのが神経症です。その神経症を治すには、まず現実を見つめることが何よりも大事です。そこから出発して事実を受け入れ自分の人格構造を立て直さないといけない。それが神経症の治療です。

◆──日本も同じ神経症だと指摘していますね。

その通り。日本も降臨天孫説を唱え、我々の先祖は天から降りてきた神である、という誇大妄想から始まっています。アメリカも病人だが、日本も病人。でも人間は生まれながらにして本質的に神経症だといえます。100%現実を認識することなんてできないから多かれ少なかれ神経症になる。だからまずは病人であるということを自覚し病気の症状をコントロールしないといけない。ところが、米国のように、自分は病人なんかでなく、正しい理想を世界に広める為に頑張っているんだと思っている限り、症状は治らない。日本では安倍政権が誕生しましたが、米国に追随する姿勢をより鮮明に出しており、とても危険だと思います。

敗戦以来、日本は米国の植民地ですからね。日米同盟なんて大嘘。同盟というのは対等な関係で結ぶもの。自衛隊はアメリカの傭兵のようなもの。支配されて洗脳されているわけですから、まずそういう厳しい現実を見つめないといけない。現実を見た上でどう行動するかというのが大切です。そういう世界の現実を見渡した上で、それでも米国の従属国であることがやむを得ない選択と判断されるのならば仕方がありませんが。

◆──米国の中東の民主化政策については、フランシス・フクヤマ氏の『歴史の終わり』や、サミュエル・ハンチントン氏の『文明の衝突』といった立場に基づく論調が優勢です。こういった主張をどうお考えですか。

『歴史の終わり』については、ヘーゲル哲学を背景にしていますが、ヘーゲルの歴史観は理性の発達です。ヘーゲル時代のドイツの君主制は最高かつ最善の国家形態である。それが最終的に勝利して世界の模範となった時に歴史は終わる、と彼は唱えました。フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』では、アメリカの自由民主主義が唯一正しい理念であって、それが普遍的に共有された時に歴史は終わる、と指摘しています。最終到達点に立つのが歴史の目的である、というのがヘーゲルであり、マルクスにいわせれば共産主義社会の実現が最終目的でした。最終目的の形態は違っても考え方のパターンは同じで、それらもすべて幻想なのです。人々の間に自我があり、お互い突っ張り合っているから、歴史に終わりがあるはずがありません。

サミュエル・ハンチントンの、『文明の衝突』という考え方は、僕の主張に近い部分があると思いますね。

◆──資本主義はどうですか。

資本主義も人間の本能が壊れた、という点から説明できます。僕はヨーロッパ人というのは世界で最初の被差別民族で、そういう被差別状態が現代の発展の原動力になった、と主張しています。ある土地に住んでいて、その土地の自然の産物である程度豊かに暮らしていける環境では、個人主義は必要ありません。集団としてその土地の産物で暮らしていけるわけですから。

黒人として人類が発祥したアフリカはまさにそういう理想の地だったんですよ。ときには地震や台風などの自然災害で作物がだめになり、餓死したり飢饉が起こったりしますが、全員が平等にやられる。皆それぞれ自分の土地の産物で大体暮らしていけた時代に、ヨーロッパは寒冷で土地がやせて暮らしにくく、ヨーロッパ人は世界で一番貧しい民族でした。そんな所に自分から進んで行くわけがない。

アフリカから、被差別民族としての白人がヨーロッパに追われていったのです。土地が貧しいから、狩猟採取だけでは足りず、皆で平等に分けていると全員が餓死する。だから能力のある者の努力の成果を評価してやることで、有能な者の力を発揮させ、そうすることで社会が成り立っていった。そこで能力のある者とない者の格差が生まれました。

次に労働の対価として貨幣が生まれました。貨幣があればなんでも買えるし、果物や肉や魚だったら腐るが貨幣は蓄積できる。土地のやせたヨーロッパに追われた結果、その必然性として貨幣が誕生した。貨幣は資本主義の始まりですからね。

◆──北朝鮮政策をどう考えますか。

いまの北朝鮮は大戦中の日本と全く同じです。日本がかつて唱えたアジア開放思想と同じで、アジアがアメリカの支配下になり、東亜の盟主日本がアジアを侵略する欧米を打ち破れ、というのが大日本帝国でした。いまの北朝鮮そっくりですね。そういう国とどう付き合えばいいのか、非常に難しい。消去法で米国に擦り寄るしかないんでしょうかねえ。いずれにせよ、その前に日米同盟なんて大嘘であって、日本は被支配国なんだということを見据えた上で行動すべきです。

◆──今、どんな分野にご興味をお持ちですか。

日本の高校や中学の世界史の教科書を見直すべきだと主張しています。中学や高校の世界史の教科書は、欧米人の都合のよいように作られた歴史を丸写ししています。それを読んだ子供は洗脳されていく一方ですから極めて危険です。

(以上、日経Bis-Plus より引用)

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これはいただけない編集、日経はヘタ。

「世界史の教科書を見直すべきだと主張しています」とは以下著書の宣伝だったりする。

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世界は『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』でできている

改憲論議や第2次大戦前後の歴史論争に顕著だが、昨今、分かりやすい正義やスッキリした結論が求められがちである。ビジネスの世界も同様で、つい先日まで正義とされていたアメリカ式市場主義が、今は逆に格差社会を助長すると悪者にされつつある。そういった単純な善悪が求められる時にこそ、この本を薦めたい。

著者の岸田秀は30年前、『ものぐさ精神分析』という書を発表。同書はシリーズ化し、一世を風靡した。

フロイトの精神分析理論は一般的に個人向けのものと思われているが、著者はそれを国や民族のような大きな人間集団に当てはめる。人間は本能の壊れた動物であり、その状態で現実を生きるには共同幻想をもって補完するしかない。それが文化といわれるものの正体であり、宗教もイデオロギーもすべて共同幻想にすぎない。著者はそういった考えを「唯幻論」とよび、それを歴史に当てはめる「史的唯幻論」を説いた。

たとえば、『ものぐさ精神分析』では、こういう問いが立てられる。

「60年前、なぜ日本はアメリカを相手に無謀ともいえる戦争を行ったのか?」

それは、「幕末にアメリカに無理やり開国されたから」。これが「史的唯幻論」から導きだされる答えだ。また、

「アメリカは、なぜ遠い国(当時はベトナムを指した)まで行って余計な戦争をするのか?」

という問いの答えは、「彼らがインディアンの土地を奪って国を作ったから。国の成り立ちが他国民の略奪だった彼らは、その罪悪感を正当化するため、他の国におせっかいをし続けなくてはいられない」というもの。

詳細は、『ものぐさ精神分析』を読んでいただきたい。その快刀乱麻を断つがごとき論理展開は、牽強付会スレスレながら、目からウロコが何十枚も落ちる快感を読者にあたえるであろう。

◆ギリシャ文明は、アジア・アフリカ文明の影響下に?

今回採りあげた本は、その岸田秀の最新刊である。内容は、英国人歴史学者マーティン・バナールの『黒いアテナ』の解説が主になっている。

『黒いアテナ』とは何か。それは、「ヨーロッパ文明の元祖といわれるギリシャ文明が、実はオリジナルなものではなく、アジア・アフリカの文明の影響を色濃く受けたものだ」と主張した歴史書である。この本はヨーロッパ文明至上主義的な歴史学会に大きな衝撃を与えた。余談だが、最近亡くなった作家の小田実も死の直前まで注目していた。

原著が出たのが1980年代。2巻目の後、最近、やっと1巻目が翻訳され、ざっと目を通しただけでも非常に興味深い内容だと分かる。

しかし、困ったことにやたらと分厚い。1巻だけで約600ページ。どういう理由か別の出版社から出ている2巻目は上下に別れていて、両方ともに500ページで計1000ページ。合計1600ページになるというとんでもない大著だ。それにどうやら全4巻らしい。正直言って、多忙なビジネスマンには手が出ない。

本著『嘘だらけの~』は、そんな大著とそれに対する反論や再反論を、全部まとめてコンパクトに解説してくれている。しかも、岸田節ともいえる「史的唯幻論」のオマケつきだ。その部分を簡単にまとめると、以下のようになる。

バナールは「ギリシャ文明はヨーロッパオリジナルではない」というが、そもそもギリシャ文明と今のヨーロッパ文明は無関係である。ギリシャ人だったアリストテレスの著作をヨーロッパの古典とするのは、孔子の『論語』を日本の古典と称するに等しい。他人のものを自分のものとするのは一種の横領である。

このへんは岸田秀の面目躍如といったところか。非常に分かりやすく印象に残るたとえである。

ヨーロッパの人間は、アジアやアフリカを植民地にして、悲惨の極地に追い込んだ非常に残酷な民族である。その残酷さは他に類を見ない。なぜここまで残酷なのか。それは、遥か遠い過去に、白人が黒人に差別されたからであろう。色が白いのを理由に差別され、豊かなアフリカ大陸を追い出された。その被差別の記憶が後のアジア・アフリカ人への差別につながり、ナチスはその最も極端な形なのだ。

◆アーリア人、皇国史観、東京裁判史観、唯幻論も疑わしい

前の戦争で、ナチスが金髪碧眼のアーリア人をもっとも優秀な民族とし、ユダヤ人を劣等民族と決めつけ、その絶滅を図ったことは周知の事実だ。その恐ろしい行動は全世界的に非難されているが、著者はその国家的犯罪の奥に目を向ける。

そもそも、アーリア人という概念自体が嘘である。それは日本の天孫降臨と同様、作られた物語だ。インド=アーリア語族という言語学上の概念が定説となっているが、それも、18、19世紀の植民地支配を正当化するために「発見」された概念にすぎない。なのに、いまだに日本の高校の教科書は、アーリア人の存在を事実として無批判に記述している。

情けない話だと著者は嘆く。そのような物語を作ってまでも、アジアやアフリカを差別せずにいられなかったのがヨーロッパ人であり、そんなヨーロッパ人が作った歴史の嘘に、われわれはもっと気づかなくてはいけないと、主張する。

とはいえ、著者は単なる白人嫌いのナショナリストではない。むしろ逆だ。「これが正義だ」と声高に語る者ほど胡散臭いと、この30年間、ずっと言い続けている。戦時中の「皇国史観」も眉唾なら、戦後の「左翼史観」「東京裁判史観」も疑う。本著でも、ヨーロッパ主導の歴史を疑いつつ、自説である「唯幻論」すらも「正しいかどうかは分からんよ」と舌を出しているのだ。そして、それこそがこの著者の大きな魅力となっている。

本著はバナールの『黒いアテナ』とは違い、正式な学術書ではない。というより、歴史学者が書いてないという意味では、門外漢が書いたエッセーに近い。しかし、根底に流れる懐疑主義や文化相対主義の「構え」には深い味わいがある。多忙からついつい単眼思考に陥りがちな時こそ、肝に銘じておきたい。

(以上、日経ビジネスオンラインより引用)

これもダメな紹介文。日経はセンスねーなぁ。それから、自説である「唯幻論」すらも「正しいかどうかは分からんよ」とは、クレタ人が「クレタ人はすべて嘘つき」と言った自己言及のパラドックスと同義。あと、「アメリカは、なぜ遠い国(当時はベトナムを指した)まで行って余計な戦争をするのか?」について日経の説明はなってないなぁ。次回のテーマにしよう。

国家論 - 岸田秀