太った中年

日本男児たるもの

国のなりいき

2009-11-05 | weblog

近所の惣菜店で低カロリーの玄米弁当を買って食す。

久しく忘れていた玄米に一筋の涙がこぼれた。

さて、奥さん、以下石原閣下の産経エッセイ「日本よ」シリーズ

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【日本よ】石原慎太郎 これからの国のなりいき

政権交代という端的なキャッチフレイズの元に行われた総選挙で、人心に倦(う)みつくされた自民党の権威は崩壊し新しい政権の誕生となった。亡き司馬遼太郎氏が度々慨嘆していた、徳川政権崩壊の後誕生した太政官制度以来連綿と続いてきた中央官僚によるこの国の統治が果たしてこれで終わるのかどうか、その後この国の政治はどのように変質し、この限りない停滞から脱して新しい繁栄におもむくのかどうか。

それを占うための新しい兆候はいくつか見られるが、今限りでそれをもって何をどう断じるまでにはいたらない。その大切なとっかかりはあくまで来年度の国家予算の態様を見てのことだろうが、すでにいくつかの懸念は窺(うかが)えもする。

政治にとって国民との繋(つな)がりを支える言葉は不可欠なものだが、しかしなお政治の理念、目的を表現するための言語が全てということでは決してない。最近では戦後間もなく実存主義の手立てとしてしきりに使われた「マニェスト」なるものが突然復活し何やら政治に関することさら新しい方法のように喧伝(けんでん)されているが、要するに宣言、声明ということでしかない。

選挙というある限られた政治の催しもののために使われる言葉は、それが使われる目的が投票による当面の効果に絞られているために、言葉としての絶対的な価値や意味としてはあくまで限られたものに違いない。つまり選挙の公約なるものの信憑(しんぴょう)性は絶対たりえまい。選挙の折の公約が財政的に完璧(かんぺき)に裏打ちされたものならばともかく、公約なるものの全き履行はある危うさを伴うに違いない。

「初めに言葉ありき」ということでことが通るのは、それは人間の信仰、組織としての宗教の範疇(はんちゅう)であって行政はそれではすまない。私たちは新政権に期待はしてもそれを「信仰」している訳ではない。

民主党のかかげた公約の多くについては、その財源の信憑性についていわれてきたことだが、しかし一方その所以(ゆえん)たる理念については共感をそそるものはあった。「コンクリートから人へ」というフレイズは確かに心に響くものはある。諫早湾の干拓とか長良川の河口堰(ぜき)といったあの馬鹿げた事業を眺めれば、アレックス・カーが指摘した日本の年間のコンクリート使用量がアメリカの倍という思いがけぬ数値のいわれに動揺しない訳にはいかないが、しかしなおそうした事例にこだわって「公共事業」が悪であり無駄という決めつけにはなり得まい。

日本のコンクリートの使用量が膨大な所以は、官僚の恣意(しい)の故というだけではなしに、国土の面積に比してイギリスの可住面積は日本の八倍、ドイツは十五倍、フランスは二十三倍といった地勢の上での劣勢事情もある。要は公共事業のコスト・アンド・ベニフィットの指数の高低の問題である。それを無視した公共事業が過去に氾濫(はんらん)していたことは否めないし、それを放置してきたのは自民党政権の責任には違いない。

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公共事業の実態の放置を含めて自民党は結局、あの年金の破綻(はたん)問題などをみてもおんぶしていたつもりの官僚組織に滅ぼされたとしかいいようない。それにしても国民も延々と続出する年金行政の不始末を眺めてよくまあ我慢したものだと思う。あれがフランスやイギリスといった他の先進国ならとっくに超党派の抗議大デモが起こっていただろう。それなしに溜(た)まりに溜まっていた鬱憤(うっぷん)が選挙で爆発したともいえそうだが。

政治の運営とその効果は結局財政、経済を無視しては考えられない。経済と財政は車の両輪であって、財政が狂えば経済は疲弊し、経済が進展しなければ財政は支えられない。その視点で眺めると、今の時点で云々(うんぬん)するのは早いかもしれないが、新しい政権の姿勢にはいささかの危惧(きぐ)を抱かざるを得ない。

政策とそれに伴う予算の無駄というのは、いうには優しいが、その検証は複雑で難しい。いわれている教育振興のための家庭補助とか高速道路の無料化といった生活の保護策はかなりの財政支出となろうが、その財源に関する論だけではなしに、そのための金が果たしてどれほど還流するかの問題がある。それをばらまきとするならば、そうして支出される財源がどれほど還流して経済を刺激するかが論じられるべきと思う。

先の選挙での民主党の公約の大きな眼目の幾つかは、それを実践することでの経済面での還流率が希薄なものが多い。もちろん政府からの家庭補助による教育の振興は金目では計りきれぬいわば無形の効果を挙げ得よう。しかしなお、教育に限らずそうした財政援助による福祉政策は、受ける側からは当然歓迎されようが、経済でのお金の還流という面ではほとんど力がない。

だからそれに徹している国ではそれを高率な税金で支えている。先般訪れたデンマークでは教育費はただ、医療費も外国人までただという高福祉国家だが、消費税は二十五%、所得税はなんと六十%と聞いた。高福祉低負担のまかり通る日本では考えられぬ、というよりも口にすら出来ぬことだろうが。

前述の通り来年度予算の様態をみなくてはいえぬことだが、私には今悪い予感がきざしてある。新政権のいうところを眺めれば、かつて戦後三代目の知事として首都東京に壟断(ろうだん)し都の財政を破綻させてしまった美濃部知事の都政に酷似している観を否めない。美濃部都政は徹底したばらまき福祉で、有名な老人のバス料金ただに始まって数多くの援助福祉と、公共事業は自民党の資金源の悪としてほとんどすべて中止凍結。ということで東京の経済は衰弱疲弊してしまった。

私が願うのはあくまで、新政権の政策がかつての美濃部都政の全国版とならぬことだ。

新しい政策を実現していくためには健全な財政基盤が必要だろうが、そのためには景気を回復させ総生産を向上させなくてはなるまいが、コンクリートよりも人間本位という理念が、予算の還流をはばみ経済を衰弱させてしまってはいかなる理念の実現もありえまい。

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「なりいき」ではなく「なりゆき」、「マニェスト」ではなく「マニフェスト」じゃないの、と突っ込んどいて、舌鋒鋭い石原さんが突然トーンダウン。新都民銀行と五輪招致費用の問題が原因なのか。産経新聞が民主党へ戦闘宣言したような勢いはなく、民主党へのオモネリとも受け止められる。

昔、石原さんが国会議員を辞めて浪人しているとき日本生命主催の講演会を拝聴したことがある。そのとき石原さんは小沢さんを「能力のある日本に必要な政治家」と高く評価していた。ところが都知事選に出馬する際に一変して以後小沢批判を繰り返す。今年6月、記者クラブの会見では

「小沢こそアメリカの言いなりになって自由化を進めた。彼の幹事長時代(海部内閣)にアメリカから200数十項目の要求が突きつけられていた。それに対して我々はカウンター項目を作ったが、小沢に封じ込められてしまった。あのころ内需拡大策として430兆円も使って道路を造った」

「湾岸戦争のさいに40億ドルを拠出、さらに90億ドル合わせて130億ドルだ。その金がキックバックされている。スイスの銀行に口座があるが、その後にロンドンに移した。口座名はジョン万次郎。不思議と130億ドル戦費のフォローがなされていない。アメリカから謝礼の一言もない。こんなにアメリカに振り回されていいのか」

以上、陰謀論めいた発言をしている。しかし、産経エッセイでは小沢のオの字もない、何故だろう。

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小沢氏「自民システム破壊」へ理論武装 国会改革で

「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)から4日、国会改革の提言を受けた民主党の小沢一郎幹事長が、持論の「官僚答弁禁止」の実現に向けて本格的に動き始めた。官僚答弁禁止を「自民党型政治システムの破壊」の一環と位置づけ、今月末までの今国会中に国会改革の一部実現を目指す構えだ。だが、連立政権を組む社民党だけでなく民主党内からも拙速な改革に異論が出ており、一筋縄ではいきそうにない情勢だ。

「国民の代表たる政治家同士が、自分自身の見識に基づき、国民のために議論する国会にしたい」

小沢氏は都内のホテルで提言書を受けた後、記者団に官僚の答弁禁止の意義を改めて強調してみせた。さらに「可能なものから今国会で成案を得たい。私は与野党合意は得られるのではないかと思っている」と意気込んだ。

官僚の答弁禁止は、民主党が掲げる「官僚支配からの脱却」の象徴であると同時に、小沢氏にとって「かつて自民党に骨抜きにされた」(周辺)という苦い思いがあり、何としてでも改革の目玉として実現させたいようだ。

実際小沢氏は、自自連立政権時代の平成11年、自由党党首として閣僚の代わりに官僚が答弁に立つ「政府委員制度」の廃止を主導した。だが、代わりに官僚に細かなデータの答弁を認める「政府参考人」と、内閣法制局長官ら独立性の高い機関のトップが答弁を担う「政府特別補佐人」の両制度が作られ、抜け穴となってしまっていた。

参院民主党の高嶋良充(よしみつ)幹事長は4日の記者会見で、小沢氏の目指す改革実現を後押しするように、「野党の協力も得る努力をしなければならない」と述べた。

だが、野党どころか、連立を組む社民党が強く反発している。党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相は4日、「法律までつくって役所の答弁を禁止する必要はない。国会議員の質問権は保証されるべきだ」と強調した。

小沢氏は、新たに「国政調査・行政監視会」などの場を設け、国会議員が官僚にも質問できるようにする案を提示し、社民党など各党の理解を求めていく方針だ。しかし、これ自体が新たな抜け道になる可能性があるほか、今国会中の成立は「物理的にできるわけがない」(民主党国対幹部)との見方は強い。

自民党の川崎二郎国対委員長は「与党内の合意が得られず法案提出はできないだろう」と語った。

(以上、産経ニュースより)

「自民党型政治システム」とは官僚内閣制。小沢戦略による「国のなりいき」は機会を改めて。