現役の木製の電柱 2023.12.02 午前 立科町にて
【2023.12.02】
木製の電柱、電信柱は今でもあるのだろうか?
電柱は電力を扱うもの、電信柱は通信目的のものと区別される。
今は殆どがコン柱で、木製のものは見かけなくなった。
しかし、探せばどこかにあるかも知れない。
カミさんを誘い、木製の電柱探しに繰り出した。
<近くの古い集会場跡>
現在は使われていないが、柱は残っていた。
昭和にタイムスリップした感じがする。
<立科町で発見>
所用で上田方面へ向かう途中の沿道で、木製の柱をカミさんが発見した。
(冒頭の写真)
写真を拡大すると、柱に取り付けられた防犯灯の電源の線が接続されているのが確認できた。
<今回の経緯>
ペリーの黒船来航で「モールス電信機」が日本に入ってきたことを知った。
私は歴史には滅法疎い人間で「ペリーの黒船来航」は聞いたことがあるという程度だった。
しかし「モールス電信機」の視点で歴史を探ると興味深いことが次から次だった。
1854年2月13日、2台のモールス電信機の他に電池、電線、碍子等を日本に持ち込み江戸幕府へ献上した。(日米和親条約締結のため)
電信機の外箱中央のプレートには「For the Emperor of Japan」と彫刻がある。
1Kmの距離に電信柱を30本建てて、電線を張り2点間で通信実験を行った。
この「電信柱」に私の脳が反応した。
「電信柱とは懐かしい響きだ」
「昔、デンキンバシラと言っていた奴がいたな・・・」
「木製の電柱がどこかに残っていないだろうか?」
そのような流れで、久しぶりにブログを書いてみた次第である。
ペリーは凄い!
ペリーの通信実験の詳細は下記のURLから
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/145204
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私は見つける力が乏しい気がします。
カミさんは色々なものを見つけますが、何が違うのか不思議です。
それと、私はものを見失うことが多々あります。
スマホや車のカギが突然消失して慌てたりします。
車のカギを、屋外の物置の中に置き忘れたときは大騒ぎでした。
自分の行動を思い出すのは結構大変です。
色々なことを纏めてやろうとして、無意識に行動する傾向があります。
気を付けなければと反省です。
「私は今も二十代の青年」は素晴らしいと思います。
私も真似をして座右の銘に追加しようと思います。
寒くなり、朝の血圧が10くらい高めに出る傾向にあります。
onecat01さんもお身体に気を付けて、お元気でお過ごしください。
コメントをありがとうございました。
木製の電柱、見つかって良かったですね。見つけたのは奥様・・、ああやっぱり・・そんな気がしました。
「昔、デンキンバシラと言っていた奴がいたな・・・」
この言葉に驚きました。昔でなく、今でも私は「デンシンバシラ」と言っています。私は今も二十代の青年なのに、昔の人間とは驚きました。
木の電信柱は、害虫にも、雨風にも弱いので、時代と共に消えていったのでしょうね。ご苦労さまと言いたくなります。私が中学生だった頃までは、電信柱は木製でコンクリート製はなかったと思います。
昭和26、7年の頃ですが、貴方からすると、やっぱり昔なんでしょうか。面白いですね。