佐藤さんについて書きたい事がたくさんあるんだけど
まとまらないので、ドンドンいろんな接点を見つけていく。
カナモジカイ
というグループがあって、1920年結成
日本語をカタカナにしようと運動しているグループで
創立者は山下ヨシタローという人で、この人は
住友の偉い人で、住友本店副支配人にまでなったのに
突然退職して、カナモジカイを作る。
ワープロもパソコンも無い当時は漢字というものが
非常に不便で、読めない人も多かった。
なんだかんだと色々あって、カナモジカイは独自のカタカナフォントを
作っています。
そのフォントとはヨコのラインを統一した目に優しいフォントで
佐藤さんが作るゴシック体に似ている。
数年前に市ヶ谷で
カナモジカイ(カタカナグループ)
Nippon-no-Ro^mazi-Sya (日本のローマ字社)(モチロンローマ字グループ)
ひらがなたんかかい(ひらがなグループ)
という3大グループが
集まって話をするという貴重な場に行った事があって、
しかもその3つのグループは戦前から仲が悪いとか日本のローマ字社の
人達は恐いとかいろんな噂があって、3つのグループが同じ場所で
話しあいをやるのは、これが始めての事らしく。
はじめは緊張した雰囲気があったんだけど、
話す内容はトコトン漢字の悪口というわかりやすい敵がいて
盛り上る。
盛り上ってる最中に客席から、
「なんでこんな貴重な場所に我々日本エスペラント学会が呼ばれてないんだ!」
とエスペラントの重鎮も入ってきて言語のプロレスみたいになる。
しかも会場に来ていたのは、20代の僕の次に若いのは50代のおじさん達で
話しあいが終わっ瞬間に「若い世代がきた!」
というあからさまな喜びモードで
3大文字(もじ)(MOJI)(モジ)グループのボスが僕めがけて
風変わりな名刺(MEISI)(メイシ)(めいし)をもってくる。
文字が一番カッコイイ(メイシ)のカナモジカイの方といろんな話を
する。
カナモジカイが発行している小冊子「カナノヒカリ」は現在も
発行されている。
しかも、創始者の山下ヨシタローは当時アメリカに行って
カナモジカイのフォントでタイプライターを特注したりしている。
その山下ヨシタローのお墓はカタカナでしかもカナモジカイの
フォントで名前が刻んである。
佐藤修悦とカナモジカイ
文字のカタチ以外にも何かの接点がみえてくる
まとまらないので、ドンドンいろんな接点を見つけていく。
カナモジカイ
というグループがあって、1920年結成
日本語をカタカナにしようと運動しているグループで
創立者は山下ヨシタローという人で、この人は
住友の偉い人で、住友本店副支配人にまでなったのに
突然退職して、カナモジカイを作る。
ワープロもパソコンも無い当時は漢字というものが
非常に不便で、読めない人も多かった。
なんだかんだと色々あって、カナモジカイは独自のカタカナフォントを
作っています。
そのフォントとはヨコのラインを統一した目に優しいフォントで
佐藤さんが作るゴシック体に似ている。
数年前に市ヶ谷で
カナモジカイ(カタカナグループ)
Nippon-no-Ro^mazi-Sya (日本のローマ字社)(モチロンローマ字グループ)
ひらがなたんかかい(ひらがなグループ)
という3大グループが
集まって話をするという貴重な場に行った事があって、
しかもその3つのグループは戦前から仲が悪いとか日本のローマ字社の
人達は恐いとかいろんな噂があって、3つのグループが同じ場所で
話しあいをやるのは、これが始めての事らしく。
はじめは緊張した雰囲気があったんだけど、
話す内容はトコトン漢字の悪口というわかりやすい敵がいて
盛り上る。
盛り上ってる最中に客席から、
「なんでこんな貴重な場所に我々日本エスペラント学会が呼ばれてないんだ!」
とエスペラントの重鎮も入ってきて言語のプロレスみたいになる。
しかも会場に来ていたのは、20代の僕の次に若いのは50代のおじさん達で
話しあいが終わっ瞬間に「若い世代がきた!」
というあからさまな喜びモードで
3大文字(もじ)(MOJI)(モジ)グループのボスが僕めがけて
風変わりな名刺(MEISI)(メイシ)(めいし)をもってくる。
文字が一番カッコイイ(メイシ)のカナモジカイの方といろんな話を
する。
カナモジカイが発行している小冊子「カナノヒカリ」は現在も
発行されている。
しかも、創始者の山下ヨシタローは当時アメリカに行って
カナモジカイのフォントでタイプライターを特注したりしている。
その山下ヨシタローのお墓はカタカナでしかもカナモジカイの
フォントで名前が刻んである。
佐藤修悦とカナモジカイ
文字のカタチ以外にも何かの接点がみえてくる