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場所っプ

トリオフォー&素人の乱シランプリそして場所っプ山下陽光の日記bashop77@yahoo.co.jp

佐藤修悦その3

2007年07月12日 02時59分56秒 | 佐藤修悦
本日日暮里行ってきました。
新作は発見できませんでしたが、
前回は写真を撮る事に夢中になりすぎて
細部を観てなかったので、じっくりと観る。

前回佐藤さんに逢った時に製作途中だった
「一旦停止」が出来上がっている。

昨日の予告通り、佐藤修悦と草間京平を
どうにか結びつけよと思い草間京平の
文献を読み漁る斜め読み。

何かが似てると思ったんだから仕方ない。
それで無理やり佐藤さんと草間京平を結び付けよう
としたんだけど、わからなくなってくる、。
でも何かあるはずだ。
草間京平はガリ版の神様と言われた人で、今生きていたら
100歳を超えている。

草間京平(くさま・きょうへい)
1902-1971(明治35年-昭和46年)、茨城県生まれ、
本名佐川義高。大正中期に上京、 郵便配達、人夫、
出版社の校正係などをしながら、文学を志す。
1920年(大正9年)に短歌の同人誌『孔雀草』を謄写印刷で創刊。
1923年、作家有島武郎から資金を得て、
芸術倶楽部アパートの一室で「黒船社」を設立、
謄写印刷技術の研究と出版に取り組む。
謄写印刷の技法開発、機材開発、研究誌の発行、教育・普及活動に尽くし、
謄写印刷技術の第一人者といわれた。
創作を多く残した若山八十氏と対比して、「複製派」と呼ばれることがある。

ガリ版http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%84%E5%86%99%E7%89%88
でとんでもない程の綺麗な美術印刷をしていたのが
草間京平です。
地図とか浮世絵とか物凄く綺麗すぎてどこからみても
ガリ版で刷ったとは信じ難い作品ばかりで、最後の頃は
どうやって刷ったのかまったくわからないような
油絵のようなガリ版作品もあるんですが、本人は
単なる紙屑みたいなものだ。と言って何一つ保管していなかったようです。

なんとか拾い集めた草間京平と佐藤さんがつながるような文献

ガリ版は草間京平によって孔版(ガリ版のこと)に技術革命
された。それは人間技とは思えない精微な製版だった。
孔版につながる人で陰に陽に草間京平の影響をうけない人は
いないはず (昭和堂月報の時代より)

謄写文字についても草間京平が従来の楷書体の他、新しくゴシック体を考案しました。
草間は当時の無声映画の独得なタイトル文字からヒントを得て
これを謄写印刷のゴシック書体に取り入れた
と聞いております。彼は毎日この書体の研究に熱中して
1文字でも疑問があると直ぐに近くの映画館に行ってその文字
をタイトルの中にさがしてメモして来たというエピソードがあります。
(軽印刷のルーツ --- 東軽工千代田支部25周年史)

謄写印刷は磨かれざる宝石である。われわれはその研磨師である
  (草間京平伝 --- 里美村教育委員会)

ガリ版は印象すらなくなるほど遠くのモノになってますが
でも、あえて無理やり知ってる事を言えば、
手描きの文字がそのまま印刷されたぶっきらぼうな
プリントごっこの兄貴みたいな存在でしかなかったんだけど

草間京平の浮世絵や地図の色の豊かさや
ソレを作る為に作った版が40版もあるという
気が遠くなっておそろしくなるような作業を思い浮かべると
本当にすごいなぁと思う。

おそらく草間京平の時代もとっくに浮世絵なんて言う文化は
なくて、ガリ版に対してそんなに高度な事はだれも求めて
なかったんだけど、やる

それ以外に答えがなかったんだと思う。

今も、佐藤さんの文字は凄いし、そこまでは誰も
求めてはいないんだけどやる。

文字の中味や意味ではなくカタチが大切だ
というような事を佐藤さんはインタビューの
中で答えている。

おそらく
今日僕がみた「一旦停止」も「一時停止」
では伝わらない何かがあるのだろうなぁと思う。


最後にちょっとした朗報です。
今週末に日暮里駅構内の改装工事が
あるらしく、1つか2つくらい何か新しい文字を
切る予定とのことです。

それでは、また明日


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