空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い 前編④

沖縄戦に「神話」はない──「ある神話の背景」反論 第5回と第6回①


 第5回目以降は「ある神話の背景」そのものに対する反論です。すなわち「赤松大尉による自決命令があった」という論理展開が、ここから始まるということになります。赤松大尉の自決命令があったとする側が、どのようにしてその説を立証していくかということについてですから、その点については大変興味深いものであります。
 そういったわけで、以下に骨子を箇条書きにて掲示します。


① 「ある神話の背景」は客観的真実性が証明されていない
② 「共犯者の立場」(駐在巡査と大尉の副官)は否定するほうが有利
③ 物的な状況証拠(手榴弾が住民に渡された)がある


 ①については特に難解というわけではないと思います。赤松大尉の弁明ともいえる「ある神話の背景」ですから、むしろ「赤松側の」主観的な視点にたっているといっても間違いではないです。そういった意味では客観的真実性に乏しいと言えるかもしれません。
 しかし、「客観的」という視点を軸にした場合、「鉄の暴風」は住民側の主観から捉えたものといえることも事実です。現に渡嘉敷島の集団自決に関して、軍人の証言は一切採用されておらず、「知念少尉の慟哭」といった、言ったことやったことがないことまで書かれている有様です。
 しかも残念なことに住民側からの視点といいながら、その住民の証言を恣意的に取捨選択している疑いを、持たざるを得ないということも指摘できるのです。
 赤松大尉が発した自決命令の文言とそれに伴う行動について、2020年現在聞いたあるいは見たという住民の証言が全くないのです。
 前述したとおり曽野氏と太田氏の論争は沖縄タイムスの紙面上で、1985年におこなわれました。従って1985年という時点においても、聞いた人見た人がいないということは当然のこととなるでしょう。
 「鉄の暴風」に描かれた、赤松大尉の命令や行動を見聞した住民が全くいないという現状が、この論争が行われた時点よりも前に、既に事実として浮き上がっていたのです。つまりは「自決命令」を聞いた人見た人がいないという住民側の「事実」を、意図的に無視しているということになるのではないでしょうか。
 そういったわけなので、渡嘉敷島の集団自決を詳細に取材したであろう沖縄タイムスや太田氏だけにとどまらず、沖縄戦の研究者やジャーナリスト・マスメディアが、それを知らないはずがないという疑惑を拭えません。そういうことでありますゆえに、太田氏のいう「客観的真実性」とは何なのか、非常に気になることであります。

 なお、赤松大尉の自決命令に関する住民の証言については、当ブログ「誤認と混乱と偏見が始まる「鉄の暴風」」にて自分なりに考察しております。ご興味のある方は一読をお願いいたします。
 
 ②については、一人目が赤松大尉の副官であった知念少尉です。また、駐在巡査というのは「ある神話の背景」をお読みになった方は御理解いただけるかもしれませんが、集団自決の前から駐在所の巡査、すなわち警察官が軍と住民の連絡役になっていたということです。
 知念少尉と巡査はいわゆる「赤松側の立場」だから、たとえ自決命令があったとしても本当のことは言わないといった猜疑心を、少なくとも太田氏は持っているということになります。
 知念少尉の証言は当ブログで再三取り上げていますので省略し、ここでは駐在巡査の証言がどのようなものだったかを、参考までに「ある神話の背景」から引用します。


「隊長さん(赤松大尉──引用者注)の言われるには、我々は今のところは、最後まで(闘って)死んでもいいから、あんたたちは非戦闘員だから最後まで生きて、生きられる限り生きてくれ。只、作戦の都合があって邪魔になるといけないから、部隊の近くのどこかに避難させておいてくれ、ということだったのです」


 以上が太田氏のいう「共犯者の立場」の証言です。なお、同一人物である駐在巡査が「沖縄県警察史」(沖縄県警察史編纂委員会『沖縄県警察史 第二巻 (昭和前編)』 警察本部 1993年)にて、同じような証言をしていることを付言します。
 太田氏は上記の証言を「共犯者の立場」として信用しない、というスタンスを堅持しているようです。
 巡査個人の証言に関する信ぴょう性はともかく、太田氏はいわば巡査が「嘘をついている」と言っているようなものですが、果たして本当に嘘をついているのでしょうか。
 この証言で個人的に疑問を感じるのは、巡査が「嘘をついたかどうか」ではなく、「嘘がつけるかどうか」ではないかと思っております。
 「嘘をついたかどうか」は、当の本人しかわからないかもしれません。しかし「嘘がつけるかどうか」については、第三者によって簡単に見破られるものではないかと思っております。つまり「嘘をついてもすぐバレる」ということです。
 渡嘉敷島の集団自決では実に300名以上の住民が亡くなりました。と同時に、それ以上の住民が生き残っているのも事実です。これは1985年当時でも周知の事実でした。そのような状況で仮に自決命令があったとして、「赤松大尉の自決命令はなかった」と嘘をバラまいて成功させることが、果たして可能なのでしょうか。この点に関しては非常に疑問だと思っております。
 細かい嘘なら可能かもしれませんが、赤松大尉の自決命令が事実として住民全般にいきわたっていたと仮定するならば、「命令はなかった」という大嘘はその住民たちによって、いとも簡単に完全に否定されてしまうのではないでしょうか。

③については次回以降に続きます。

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