Nyancoin Bakery / 江都屋

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玄米菜食

2010年10月28日 19時47分31秒 | ベジタリアン
 
 さて、写真は一昨日から水につけておいて軽く発芽させた玄米を炊き上げたものに近所のスーパーで買ってきた(妙にうまそうだった)ナムル。どちらもうまくて満足であるぞ。

 先日のtwitterにも書いたが、やはり充分に水を含んだ玄米ならばあまり加圧時間を長くとらなくてもよいようだ。参考までに言うと、パナソニック電気圧力鍋の場合は鍋の内側に白米用と玄米用の両方の水量の線が記されているので、今回のように丸二日とか水につけておいた玄米を炊くような場合は、玄米のではなく白米の水量線を基準にするのがよいようだ。見た感じちょっと少なめかなと思えるほどの分量。加圧時間は玄米モードではなく、「高圧」で10分に合わせる。炊きあがりの電子音が鳴り、フタのピンが下がるまで15分ほど待ち、さっくりと軽く混ぜていただきまする。こりゃうまい、てなもんだ。

 そうそう今日炊いたのは実家でもらってきた新米だったのだ。なおさらうまいわけだ(実家で米づくりをしているわけではない。実家のさらに実家、つまり両親の田舎から玄米が送られてきたのをちょいとわけてもらったというわけ)。ていうか、不味かろうはずがない。


 ところで近頃何となく考えること。ブログのプロフィールから「ベジタリアン」の文字を省いてしまおうかな。といってもベジタリアンをやめるという話ではない。ベジタリアンであることには変わりはないのだが、何と言うか、自分を表すアイデンティティ(?)は「ベジタリアン」の一言では括れないから。これは俺だけではなくって、他のベジタリアンの人々でも同じだろう(ベジタリアンでない人でも同じようなことが言えるだろう)。ベジタリアンである以前に、あるいはベジタリアンであると同時に「私は○○である」というアイデンティティ、パーソナリティ、個性、とかそういう言葉で表されるものをもっているはず。それが、プロフィールに「ベジタリアン」と書いてしまったがために常にそれに縛られてしまう。他の人たちはどうだかわからないけど、少なくとも俺は近頃そう感じてきているのだよね。ブログの記事カテゴリーに「ベジタリアン」があればそれで充分ではないか。

 それに俺はけっして模範的(?)なベジタリアンでもないし。哺乳類と鳥類の肉を食べないという意味において、たしかにベジタリアンではあるけれど、魚介類や乳製品、卵については(一般的な食生活を送る他の人々よりはかなり少ないとはいえ)避けているわけではない。ベジタリアンの分類では「ノーミートイーター」ということになる。あるいは今日のこの記事の表題にあるように「玄米菜食」を基本に食生活をおくる者、という言い方のほうがより正確だろう。それにさ、「ベジタリアン」というある種のストイックな人みたいなイメージからはかけ離れていると自分では感じているから、なんかこっ恥ずかしいよな気分になるのだよね。

 だからのちのちプロフィール欄から「ベジタリアン」の文字が消えたとしたら、それは以上のような理由からなのであって、肉食を再開するということではないんだよと、まあそういうことなのです。よろしくね。

 では、おやすみなさい。
 

 
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