この年末年始、酒を飲まずに過ごしている(年明けの祝いの席で二度ほど口にはしたけれど)。どうやらこれで飲酒の習慣から抜け出せたように思えるので、新年の抱負とかいうことでもないのだけれどここで言っておこう。酒をやめることにしました。
話の発端は昨年の秋にさかのぼる。俺がアルコール飲料を口にしない日がないことを彼女が心配し、週に一度くらいは休肝日をつくったらどうかと勧めてきたのだ(俺の飲酒について話はそれより以前にもあったが、今回のヤメ酒につながるものとしてはこの時期かなと思う)。なるほどたしかに、自分では飲酒をコントロールしているつもりではあったが、飲まない日がないというのはよろしくない。あまり心配をかけるのもなんだし、休刊日くらいつくれるところを見せて安心でもさせようかということで週一の休肝日を始めてみた(実は自分でもうすうす危機感を持っていたので、この軽い気持ちは表面上のものでもあったのだが、それに気付くのはもう少しあと)。
さて、そうは言っても週に一度となると曜日が決まってしまう。たとえば土曜日と決めてしまうと、毎週決まって土曜の晩に酒が飲めないということになってしまう。それはつらい。てなわけで休肝日を五日に一日ということにしてみた。そうすると、たとえば月曜日に飲まず、火水木金は飲んで、土曜に飲まず、日月火水飲んで、木曜飲まず、のように週ごとにずれるのであまり悲しくはない。これで数週間やってみた。ある週気紛れに、そのローテーションからいくと飲んでも良いとされている月曜日に飲まずに過ごしてみた。火曜日も飲まず。水木は飲んだのだったか、金土はまた飲まず。飲まなくてもつらくない。その調子で飲まない日を増やしてみるようにしてみた。そして11月ころには週に一度だけ飲むというくらいのペースになっていった。ずいぶんと飲酒をコントロールできるようになったと感じたものだ(実際はまだまだだったのだが)。
12月。忘年会や友人宅で飲酒する機会が続き、またまたコントロールを失いかける(せっかくうまくいきそうだったのにとも思うが、飲酒のコントロールはたやすく崩れてしまうものだと実感するにはちょうど良い時期だったかもしれない)。忘年会の明くる日、また彼女と俺の飲酒について話す。アルコールというのは本質的に麻薬と同じである。酒を飲んでいない素面のときの俺を彼女は当然のこと知っている。その俺がなぜ、アルコールという薬物を飲まなければいられなくなるのかわからない、と彼女は言う。理解しようともするけれども、やはりわからない。俺自身もそれを薄々感じながらも気付かぬふりでこの十年ほどほとんど毎日酒を飲み続けてきた(二年ほど前、数カ月間飲まずにいたことがあったがそれもほんの少しのきっかけで酒飲みに戻ってしまった)。もうこれ以上、飲酒をコントロールできるフリをするわけにはいかない。まだ肝臓やその他の臓器を壊してはいないが、いつそうなるかは知れたものではない。いやいや、問題は体だけではなく、心の持ちようの問題でもあるのだ。アルコールを飲まずにいられない(いられなかった)状態はやはり、不健全ではある。
ということで、決意がゆるがぬよう必要な知識も得るべく「禁酒セラピー」なんて本も読んでみたりして、そうこうするうちに本当に飲まなくても平気になってしまった。我慢して飲まないのではない。飲酒それ自体を幸せと感じる理由がなくなってきたのだ。だから、もう飲まなくてもいい。休肝日をつくったらどうかと勧められた時にはこんな風になるとは思ってもみなかった。それは彼女にしてもそうだったろう。歯車がうまく噛み合ったのだろう。うまいことアルコールの罠から抜け出せたようだ。感謝感謝。
ところで、酒を飲まなくなることで人生の楽しみを一つ無くすという意見があるが、それは真実ではない。逆に、アルコールに左右されない人生を踏み出せるということで、俺はひそかにワクワクしていたりもするのだ。
(この記事は単に、一人のベジタリアンである私、江都屋黄金丸が個人的に酒をやめるに至った経緯を書き綴ったものです。
"ベジタリアン"カテゴリーに入れてはありますが、ベジタリアン必ずしも"酒を飲まない人"ではありません。)
2nd blog mixi mail form
とりあえず今年一杯は禁酒の予定ですが、江都屋さんと同じで、楽しみをひとつ無くすではなく、別の楽しみの発見でもあると感じます。
アルコールがなければ楽しめないのではなく、アルコールが無いからこその愉しみというのが実はあるわけで、それを積み上げていくのもまた楽しみです。
そういえばこれまで勤めた職場では何人か、アルコール耐性がまったくない体質の人が何人かいたけれど、彼等はむしろそこらの酒飲みよりも楽しそうではありました。