鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

月の原

2021年06月25日 | 鳥海山

 先日蕨岡旧道へ登るときに通った嶽の腰林道、その手前にある集落が月の原です。その手前の褄坂は昔の記録にも名前が出てきますが月の原は昭和三十年ごろに開拓されました。

 後ろに鳥海山が見えます。

 これは何をしているところでしょうか。先に書いた水呑の池の貯水もこの月の原のために作られました。

 鳥海山の見どころは調べれば調べるほど出てきます。

 


旧蕨岡道を行く その3

2021年06月21日 | 鳥海山

 水呑を過ぎると「徑は喬木の間を縫うてだんゞ上って行く」とある通り「湯の臺道を合せる」ところまでどんどん登ります。道の左右はブナ、橅、山毛欅。

 ブナ

 橅

 山毛欅

 蝦夷春蟬のナキガラ、じゃなくて抜け殻もあります。

 なんといっても今回見たかったのはこれ、

 珍しい陶製の祠です。土に埋もれていたのをAさんが見つけて掘り起こし、元の場所に置いたものです。この春は又倒れていたそうです(雪のせいで)。祠の右には「奉納」、左には「羽後酒田港亀ヶ崎古城内 國柗重次郎」とあります。「國柗」は「くにまつ」と読みます("こくしょう"さんかもしれませんが)。「史跡鳥海山」では「國松」と書いてあり、「古城内」も省略されてあります。又「史跡鳥海山」では湯ノ台道の出会いよりずっと上にあるように地図で印されていますが、そこを探してもありませんのでお間違えの無いように。本に書かれてあることを鵜呑みにしてはいけないということですね。

 この場所は拝所「狩籠鉾立新山大神」か、と書かれていますが確実なところはわかりません。

 ここを過ぎ、もう少し登れば「湯の臺道を合せる」と書かれたところに出ます。

 下山中、間違って立ち入らないように封されています。道を知らない方は間違ってもこれより先進まないことです。

 ここからなだらかな道を少し下れば南高ヒュッテです。そこでコーヒーをドリップして大休止。立ち上るコーヒーの湯気と香りに疲れも癒されます。ここで休んだ後は来た道を引き返します。

 車を置いたところまであと少しです。お疲れさまでした。


旧蕨岡道を歩く その2

2021年06月21日 | 鳥海山

【水 呑】 (みづのみ)山路三里。此處は喬木帶の入口であり又拜所、水葉みづはの神の在す所で側に美しい小川が流れて居るから如何にも水呑の名に相應しい所である。丁度体を疲れて居る時分だから暫らく此處で休むがよい。徑は喬木の間を縫うてだん〲上って行く途中に湯の臺道を合せるが、向も上り何時か鳳來山の山頸をたぎる頃になると、前面に横堂の笹小屋を見る。(橋本賢助「鳥海登山案内」より)

 道はいつしか山毛欅林に替わります。雨がぽつぽつ降ってきてレンズに付着しています。

 水呑は今は水呑の池として貯水池になっています。

 渇水状態でモリアオガエルの卵も落ちる先の水がありません。

 「水葉みづはの神の在す所で側に美しい小川が流れて居る」と書かれたのは下の写真の場所です。「史跡鳥海山」では橋本賢助「鳥海登山案内」に「水破の神の拝所として相応しい小川のあるところ」と紹介されている、とありますがそうは書いてありません。「水葉みづはの神の在す所で側に美しい小川が流れて居る」が正しい記述です。原本の記述を変えてはいけません。「鳥海登山案内」中に「水破」の文字は出てきませんし、「水葉」は全文中この部分に一度出てくるだけです。

 登拝道からほんのわずか下れば水場があったのです。それまで沢沿いに歩いてきましたがそれは戦後月の原が開拓されてからのものですから当時は水呑の池も水呑より下の沢はありません。

 かつてはここに「水葉みづはの神」が祀られていたのですが貯水池を作る際に現在の場所に移されました。これは工事に携わって水葉神を移した方からAさんが直接聞いた話だそうです。

 石の祠のようなものがありますが、屋根もあったのでしょうが今あるのはこれだけです。鳥海登山案内には「水葉みづはの神」と記されていますが右の石には「水波大神」と書かれています。前の写真からわかるように、登山道から少し降りたところに【水呑】の水場はありました。

 用水路の整備のため人が入っているので、此処まではまだ道はわかりやすくなっていますがこの先湯ノ台道との合流点まではガイドなしでは無理でしょう。何とか上ったとしても下りは道に迷うのは間違いないです。


旧蕨岡道を行く その1

2021年06月21日 | 鳥海山

 6月20日、登山ガイドのA氏より旧蕨岡道を歩いてみようとのお誘いで一日地図の赤く記された道を歩いてきました。

 山と高原地図などの登山案内には嶽ノ腰林道をソブ谷地まで詰め、鳳来山へ登るのが蕨岡口と書いてありますが、嘗ての参拝者が歩いた蕨岡道、本当の蕨岡道はそれと異なります。地図に手書きで嶽ノ腰林道を途中で弘法水と書いてある水場へ折れていくのが修験者、参拝者が登拝に使った道です。「水呑み」でのどを潤し、と書いてある記録は古い登山案内などには必ず記されています。では歩いてみましょう。

 月の原の集落を過ぎると嶽ノ腰林道の入り口に着きますがこの少し先で路肩崩壊しているために現在は車は通行できません。

 崩壊した場所を右手に見ながら林道を歩きます。

 駒止のかつて笹小屋があった場所です。橋本賢助の「鳥海登山案内」には「蕨岡口最初の笹小屋で冷汁や金剛杖等を賣っている。登山者を乘せた馬は此處まで來ては引返し、丁度下山の時を見計らつて再び迎馬むかひうまとして此處まで來て居ると云ふ。此處から上には駒を上げないと云ふので此の名がある」とありますが、それがこの場所です。

 道の傍らに咲く野薊や鳥足升麻を見ながら進みます。

 林道を右に折れて水路に沿って歩きます。この水路は水呑から用水としてひかれているものです。水路の途中には見事なポットホールもあります。

 道はいたるところ倒木が塞いでいます。

 先行者はスタスタと登っていきます。

 この水路、実は尾根の上を流れています。

 いくつもの倒木を乗り越え、潜り、笹薮を踏み分けながら進みます。水呑はまだ先です。地図に水呑ノ池から庄内熊野川にそそぐ川があるように記されていますがそれは間違いで地図の青いところに実際は流れていません。この先まだ長いので続きは次回。