「本日も読書」

読書と映画の感想。ジャンル無関係、コミック多いけどたまに活字も。

面白半分の作家たち

2005年01月16日 | ビジネス
さっき心をこめて書いたのに混雑エラーで全部消えた。
このうんざりした気持ちは辛い。
だって同じ内容を同じ気持ちでは書けないから。

というわけで
『「面白半分」の作家たち-70年代元祖サブカル雑誌の日々』
佐藤嘉尚 集英社新書

読んだ後、ジーンときます。
その気持ちのまま書いたのにだからこそ、消えるなよ!ってところです。
五木寛之、開高健、吉行淳之介、筒井康隆などなどなど・・・
今じゃ大御所ばかりですが、当時はのりにのってる頃でしょう。
著者は「面白半分」の編集者、自虐ネタをしつつ、優しい視点で作家たち
と触れ合っているように思えます。
というよりも著者が「友だち」感覚ということを書いてますけど、
本当にそんな感じ。

憲法の講義を聴いてた時に教授が「四畳半襖の下張」について触れて、
この「面白半分」のことも少し触れていたが、そのとき雰囲気が和らいだのは
、教授にとってもこの時期は若い時代の良い思い出だったんじゃないか、と
私的なことですが思いました。

「四畳半襖の下張」事件は、面白半分にあったこの小説を「わいせつ」
と判断され裁判に。出版関係者、法律を学んだ人、同時代を生きた人には
良い思い出なのかも。
表現の自由の勉強をするとき判例に使われますが、
とにかく凄い裁判だったようです。

なにが凄いって裁判に「笑い」があったというんですから。
裁判を傍聴すればそれがどれだけ「凄い」か分かるって。
普通の裁判はしらーっとしてるし、注目されている裁判だって
悲しみの嗚咽や白熱した言葉のやりとりはあっても、
「笑い」はないよ。

この裁判には作家たちが支援して、
開高健が証言しているときに「笑い」がすごかったらしいです。
面白い話だったみたいです。
開高健だからこそ、みたいな部分もあるでしょうが。
堂々と下ネタを話すってのは、人格が試されますもん。
私が同じことをしたって笑いは出んでしょう。

ただ、まえがきにあるとおり、今や活字は力を失っているわけです。
この本に出てくる大作家たちの本を私はほんの少ししか読んでいないし、
今の若者は全く読んでない、名前も知らない人はザラでしょう。

だけど本の中にも出てくるがタモリの名は今の若者でも知っている。
これがメディアが変わったことを如実に表していますよね。
それは活字の黄金時代が終わったこと。

後半は関係者が死んでいく話が出てきて・・・
黄金時代が終わっていくのを読んでいるだけで感じます。

今の出版市場は2兆円程度。ドコモに並ばれた、と聞きました。
業界全体が一企業に並ばれるってのは・・・
それでも活字はテレビにもネットにも影響を与えているはず。
活字が無かったら二つとも生まれなかったんだから。
これからも活字ファンでいよう、と思いながら「ブログ」だもんなあ(苦笑)

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