アメリカで中高生の子供を持つ親の悩みは、子供が勉強が出来るかどうかでなく、学校や地域で主催するパ-ティに参加するときに、自分の子供のパ-トナ-がいつも見つかるかどうかである。ようするに公の場に参加する場合は常にカップルが基本である。もし、見つからない時は、親戚の異性の誰かに代役を頼むしかない。かっこいい女の子なら男の子からの誘いが多いのでパ-トナ-は簡単に見つかるだろうし、スポ-ツが得意でハンサムな男の子なら、女の子を誘っても断られることは少ないのでなんとか見つかる。しかし、女の子を誘えない男の子や、また誘われない女の子を持つ親としては、子供とその親はアメリカ社会の中の落ちこぼれ組というレッテルを知人達から貼られるのではという恐怖感を持つ。こんなみじめな思いをするなら子供も一緒に道連れで生命を絶つ方が楽だという考えの人も結構いる。これは、日本で生活をしている日本人には絶対理解できないものである。日本人がアメリカのハワイや西海岸に観光で行ったことがある人は多いと思う。さらに短期留学や研修で行った人も結構多いと思うが、こういう事実はほとんど知らないし、また話を聞いてもアメリカで子供を持つ親でない限りピンと来ないと思う。こういう事を書くのは、アメリカで生きる子供達のほんとの厳しさを知らないで、アメリカは自由の国で素晴らしいなんて言う人が結構多いからである。学校のイジメの程度も日本の比ではない。
ほんとに街中監視カメラが増えてきた。テレビ局が街の意見を聞く時の日本の中心的役割を担っているJR新橋駅前にあるニュ-新橋ビルとSL広場を取り囲むように電信柱の上に一体何台のカメラが設置されているかを数えると48台もあった。凶悪犯罪が増えたためにいつの間にかかなりの数が増設されてた。最近は監視カメラによる肖像権問題はうやむやとなっているが、昨年の6月12日のブログに書いた”監視社会の恐さ”のように、これで凶悪犯罪が減るなら、肖像権の問題は当面は社会問題とならないかも知れない。コンビニ、本屋、ATM,エレベ-タ、駅のホ-ムに改札口、繁華街、ス-パ-と今では監視カメラのない場所の方が珍しくなってきた。言い換えると犯罪者も必ずカメラに写っていることになる。さらに技術が進歩すれば、指名手配者のデ-タのうち、身長または顔が多少でも一致する人は自動通報することが出来るようになる可能性も、近未来にはありそうである。
30歳の時にエレクト-ンを習いに行った。 動機は後で言うが不純である。1クラス7名程度のヤマハ楽器が主催するエレクト-ン教室で、それまで真面目に鍵盤なんて触った事がないので初心者の13級からスタ-ト。およそ、習いに来る人は若い独身女性ばかりで、男性が参加しているのは場違いな雰囲気の中で、半年以上も週1回のペ-スで通った。おかげで当初の目標の9級まで行った。なにが動機かと言うと、友人の披露宴で、オ-プニングの結婚行進曲を皆んなの前で弾いてみたいというとんでもない野心があったからである。とても安心して聞いていられるレベルまで練習もしてないのだが、ひょっとして音をはずしたり、途中で演奏が停止するかもという、そのハラハラドキドキ感を味わいたいのが本音で、結婚する友人に無理やりお願いして演奏させてもらうことにした。当時の結婚式は、式場側が準備する演奏者が披露宴のBGMとして30分程演奏するのが定番だった。ところが、自分が実際に演奏する段になると、不思議と弾く前から指に汗をかいているし、多少アルコ-ルが入っているので、日ごろ練習で見ている楽譜が、揺れてみえてくる。エレクト-ンの前に座って、楽譜を広げた瞬間、会場がシ-ンとして、少し暗い会場の中でスポットが当たるのは、結婚した二人をのぞくとエレクト-ン奏者だけである。出席者全員の視線を浴びているという緊張感も手伝って、なかなか演奏がスタ-トできないと言う経験もした。たぶん無意識の緊張感があって、両膝の上に載せていた両手が鍵盤まで移動しないのである。途中で何度か演奏がつまる所もあったが、練習中だってまともに最後まで弾けた事が少ないし(最初から言ってれば弾かしてももらえないし)、プロでなく、しかも無料で素人が好意で演奏するわけだからマアマアだったと自画自賛状態だったが、友人が言うには、見ている俺は何度か心臓が止まるような思いをしたという賛辞(惨事?)を聞いて、初期の目標達成かなと、思ってしまった。それ以来エレクト-ンはプツリとやめて、今度はピアノの練習を始めたわけである。当然また動機は不純である。