今夜も一杯 ! ヒロシのブログ

電子書籍で「新サラリ-マンの法則」 「笑いの宝庫」を出版しました。

常識

2004-12-31 22:22:54 | 気がついたこと
人が持つ常識と価値観は、現在年齢が何歳かは別にして、生まれてから18歳(高校卒業)くらいまでに、身に付けた知識、道徳観、生活環境等がベ-スとなって積み上げられたものだと思う。逆に言うと、この年齢までに身に付けたものは、良いか悪いかは別にして残りの人生で大きく変化することは少ない。社会人になると、自分の好き嫌いとは関係なく、付合う人間の範囲が拡大されるが、ここで自分が考える常識と価値観が、相手と大きく異なる事に気が付く。いわゆる異質な人にぶつかる訳である。相手の言動に許容が出来れば良いが、出来ない場合は、常識はずれの変人だと思えてしまう。また、自分が得意とする趣味、特技等を相手から否定されると価値観の違う人も現実に身近に存在することを認識する。理解とは、自分と相手とは別人だという当たり前の事を認める事である。GAPを埋める努力は必要ない、まずGAPを認める事が相手の人格を認めるスタ-ト地点になる。子供から大人になるには、面白くなくても、相手を認める努力が社会生活をしていく上で必要となってくる。この難関を通過できないと、わがままな子供の性格を持ったままの大人になってしまう。

会社の歯車の1つ

2004-12-31 20:14:18 | 気がついたこと
昨年末に、今年3月に社会人になろうとする娘から聞いた話が面白かった。学生の娘から見れば、社会人の兄の仕事の詳細がわかる訳はないのだが、兄に対しての発言は”お兄ちゃんは会社の歯車の1つとして既に頑張ってるんだね。私も働きはじめたらすぐに歯車の1つになるんだよね...。”と社会人の一員になることを躊躇している様子に対して、兄の答えは”歯車ならたいしたもんだよ。歯車なら!。それが欠ければ会社は回らないからね。今の自分はネジだぞ、ねじ!ダメならいつでも交換されるよ!”と返して次の言葉は”せめて、歯車になれば代わりがいない立場になれるのだから、それを目標に頑張らなくちゃ!”、娘の発言は”それなら今の私は、ネジにも到達してないのね。ネジの錆び程度かな、錆び!かぁ”。確かに組織のリ-ダ-でない人は自分の立場を歯車の1つという例え言葉を使う事があるが、大きな企業や組織を動かす”歯車の1つ”の立場ならたいしたものだと、息子の話からあらためて言葉の意味を考えさせられた。

知恵と知識

2004-12-31 20:05:52 | 気がついたこと
副題にこの文字があると、どうしても衝動的に本を買ってしまう。社会人になって以降ムダな知識を勉強していないからである。小学校から大学までの16年間に勉強したことと、社会人になってお金を稼ぐために役に立った知識を比較して考えると、学生時代に勉強した内容は、お金を稼ぐためには、日常生活上直接役に立っていない。振り返えって科目別に考えると算数は大いに役にたっているが、数学(数Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)は殆んど使うことがない。社会科で言うと、地理は役に立っているが、歴史は役に立ってない。国語は役に立つているが、漢文は生活に必要ない。理科は役に立つが、化学、物理はほとんど役に立たない。しかし、役に立たないものほど一生懸命勉強した。本当に、無駄な時間を費やしたものだ。ただ、ムダな知識はある面、教養という言葉で置き換えれば、物知り、博学ということになる。ただ、社会生活の中で生きるためには知識より知恵が優先される。知識は宝石で言えば、原石であり、それに磨きを掛けると知恵という輝く宝石になる。ムダな知識も磨けば、何に化けるかが楽しみで本を買う。

小説”犯人に告ぐ”を読んで

2004-12-30 22:21:01 | Weblog
双葉社から発行されている、雫井脩介(しずくいしゅうすけ)筆の”犯人に告ぐ”を一気読みした。367頁の推理小説だが、筆運びがうまく、最後まで文章にだれる部分がない。前半に誘拐殺人事件が発生し、結局迷宮事件として扱われ、この中で犯人像の伏線を作り、その後は別の事件の展開があり、最後にこの2つの事件が、以外な形で別々に収束する。別の事件の展開では、犯人をあぶりだすために、テレビの報道番組を利用する。報道番組の視聴率競争も織り交ぜ、男女の人間模様も取り上げている。主役の巻島刑事が出演する番組のニュ-スナイトアイズは、登場人物像からすると久米宏のニュ-スステ-ションをイメ-ジしており、競争相手の番組のニュ-スライブは、筑紫哲也のニュ-ス23を完全に意識している。面白さでは是非、今年1番の薦めの推理小説です。多分この小説は映画化されると思う。

大晦日

2004-12-29 21:49:14 | 気がついたこと
一足早くホテルの玄関に飾られた門松や注連飾りを見ると、年の瀬を感じる。わずか数日前のクリスマスの雰囲気は一瞬で消えてしまう。しかし、コンビニや24時間ス-パ-のお陰で、お店の年末年始の休業看板を見ても、焦って買う必要を感じなくて済んでいる。便利だが季節感が薄れていく淋しさは残る。毎月の月末のことを晦日と呼び、12月はその最後の月末なので大晦日と呼ばれている。たまには上野の寄席でも行って落語を楽しみ、そばでも食って、混雑する御徒町のアメ横を散歩すれば、ダミ声で新巻鮭の売り声を聞くことができる。年の瀬を味わうのはこんな雰囲気が良いかもと思ってしまう。

一杯のかけそばの、うまい構成

2004-12-29 11:01:52 | 気がついたこと
何年前だろう”一杯のかけそば”の話をラジオで聞いたのは。年末になると思い出す。あまりにも出来すぎの話で、日本人の心にグッと迫って来る。キ-ワ-ドとして、設定は大晦日(寒い冬+切ない1年の終わり)、場所はそばや(子供にせめて年越しそばを食べさせたい)で客もいなくなった時間帯(客である母親は夜遅くまで働いていて、母親帰りをまってから来た家族と想像しやすい)、主演は子供2人+母親の3人家族(父親不在で生活は大変だぞと思ってしまう)、3人で注文1つ(本当お金がないことを更に強調!)。せつなさを盛り上げる為に、この状況でうれしそうな家族の笑顔(家族の絆の美しさ)でけなげさをサラリと出し、来年も食べれれば良いね!というささやかな願いの家族の会話。この話が、正月やクリスマスでは、盛り上がらない、設定時間もお昼では暗さがと苦しさが出ない。場所が回転すしとかファミレスでは、もの悲しさが出ない。家族構成も父親不在で子供の数も2人がこの話には丁度良い登場人数。3人、4人では話がしまらない。かけそばの注文の1つが、残り364日の苦しい生活を暗示させる。これが、テンプラそばやチャ-シュ-メンでは悲壮感が漂わない。ある年からこなくなった3人の席を予約席として、ずっと確保しているそばやの夫婦のやさしさもまたぐっとくる伏線として効いている。日本人がホロっとする、清く、まずしく、美しくの要素を全て備えている名作かも知れない。

メンタルヘルスとストレス

2004-12-28 11:31:07 | 気がついたこと
完全に健康な人間ているのだろうか。生きている限りケガや病気は当然だし、目が見え、耳が聞こえ、話す事ができて、自分で歩く事ができれば、これ以上の健康はないと思う。一病息災、なにか病気を1つ持っていれば、身体を大事にして健康であるという事だが、これも本当にそうだと思う。最近はメンタルヘルスという言葉も良く聞く。ストレスは大敵とか、心のケアとか、外見からはわからないことも病気という扱いになっている。これでは、精神力を鍛えるという言葉は不用だし、我慢するとかイヤな経験を避けることしか思いつかない。まさに、幼児性そのものを増長させる社会的風潮が広まっている。このまま行くと、入学試験の失敗、失恋、他人から注意される等の経験もうっかり出来ない。それは精神的ストレスそのものであり、これだけで病人になってしまう。昔は恋煩いで、食欲がなくなり、死ぬ人もいたぐらいだから、病人なのかも知れない。

ダイエット食とは

2004-12-27 22:55:39 | 気がついたこと
ダイエットの為に、レストランで野菜サラダや生野菜をオ-ダ-する女性が多い。しかし、野菜を食べて生活している動物を考えると、象、牛、カバ、豚のように丸々として大きいものしか、浮かばない。肉食なら、チ-タやライオンのように、あるべきところに肉がついて、不用な部分は余分な肉がついていないスタイルの良い動物を思い浮かべる。痩せるには、食べない事が1番だと思う。過食になれた現代人には、口寂しさを感じると、身の回りにある適当な菓子類をつまんでしまう。コンニャクや竹の子のようにカロリ-がないものを一杯食べていれば、満腹感もあり、肥満にもならないが、どうしても美味しさの面で満足を感じないので、食品に記載された低カロリ-の文字に弱くなる。例えば、従来は10Kカロリ-の飲物があって、5Kカロリ-の同じ飲物が新規に売り出されると、妙に安心して、無意識的に従来の倍近く飲んでしまう。米国の食品販売は、これを狙った商品も多い。製造メ-カ-は、従来の2倍の売上となり大喜び。本人は何故痩せないのか疑問を感じつつも買ってしまう。結局低カロリ-食品とは、そんな程度のものである。

国営デパ-ト

2004-12-26 16:19:54 | 海外の思い出
既にイラクはフセイン政権が倒れたが、まだ社会主義が幅を利かしているときに、バクダットの国営デパ-トにエアコンを買い物に行った。日本と違い、まず店員さんと目が会うと、相手はお客から遠い方に移動する。彼女達は売れなくても、売れても給料は同じ。面倒臭いので、売りたく無い訳である。だから店員を呼び寄せるのにまず苦労する。エアコンを買うと言っても現物を置いてある訳ではなく、カタログを見て、お客は注文するわけだが、店員はお客が言う機種の在庫があるかないか、倉庫の場所へ電話で問い合わせる。あれば、お客は別の場所の倉庫(10kmはある)まで運転して行って、本当に在庫があるか再度確認して、在庫証明書を貰い、デパ-トまで戻ってくる。経理セクションに行って、その紙を見せてお金を支払う。その領収書をもってまたまた倉庫まで出向き、エアコンを受け取る訳だが、運が悪いと領収書を持って受取にいったら、その間に別の人に売ってしまっている場合もある。

南部で働いてみた思い出(2)

2004-12-26 08:54:53 | 海外の思い出
フロリダで一緒に働いている米国人から、自宅に招待されたことが何度かある。ただ、時折奥さんに事前に話していなくて、尋ねて行くと、入口で暫く待ってと言われて5分ほど待って家に入ると、短時間で片付けた後がありありと見える。奥さんがコ-ヒ-の準備でキッチンに向かうと、招待してくれた人が、クロ-ゼットを開けて、ホラ、見て、アメリカは便利だろうと言う。見ると部屋の中にあったと思われる子供のオモチャ、洗濯物が放り込まれた状態。ウオ-キングクロゼットがあれば、足で部屋の中のガラクタを一瞬で蹴りこめる。おかしかったのは、よほど焦ったのか小さな犬まで放り込まれていた。彼が言うには、誰もお客がこないと、女房は家の中を片付けないので、時折無断で呼ぶんだと。
南部なまりが強い人で、仕事にいつも人1倍文句を言う米国人には、”俺は毎日テレビのABC,CBS,CNNを見ても判るが、お前の英語は何を言っているのかわからない。次からは標準語で話してくれ”というと、大体真っ赤な顔をして怒る。しかし、日本人(JAP)に自分の英語のなまりを指摘されたので、焦って言葉がでなくなる。たまに英語で苦労している息抜きには、失礼だが面白かった。

南部で働いてみた思い出(1)

2004-12-26 01:38:10 | 海外の思い出
フロリダで港湾設備の建設の仕事に約1年従事したが、常時50名近くの米国人を使用していた。南部なまりの英語に加えて、白人に黒人もゴチャマゼで年齢は18歳から50歳近くまで、その中でも白人の女性が1名、この仕事を通じていろんな経験をさせてもらった。まず、事務所仕事ではないので、ほとんどの人が、お弁当を持参して、昼食はお互いに中身を見せ合って、楽しそうな雰囲気で食べている。奥さん、または母親が作る弁当の中身は、日本人には信じられない内容である。ランチボックスの中身はバナナ1本とか、リンゴがまるまま1個にパン1斤とか、ほとんど材料に手を加えていない。サンドイッチとか、バタ-クリ-ムを塗ったパンが入っていることも殆んどない。それでも、皆んな自分の弁当の中身を自慢する。仕事でもめると、常に議論というより口喧嘩。お陰で英語で口喧嘩できるようになった。まさにダ-ティ・イングリッシュを身に付ける事ができたが、他では使いようがなかったのが残念だった。南部なまりは、日本で言えば、東北弁。かなりなまりが強い。東海岸のキレの良い早口英語、北部の独特のアクセントの英語、西海岸の判りやすい無国籍英語と違って、まず、話す速度が遅い。口の中でごもごも。これでも英語かといつも疑問に思っていた。時折他の州に出掛けて話すとホッとする経験も今では懐かしい。

かきの会

2004-12-25 08:27:17 |  人の縁は不思議
数年前に知人から”かきの会”への参加要請があり、その会の趣旨を訪ねると”かきを食べる会”と聞き、てっきり”柿を食べる会”だと思い込んでしまって参加した。会が始まると、次から次に自分の苦手な牡蠣出てくる。殻付きの生牡蠣から、焼き牡蠣、天ぷら牡蠣と、これでもか出てくる。周囲の声は”おいしい、絶品、こんなに美味しいものを嫌いな人は信じられない..”という、非情な言葉しか出てこない。まさに孤立無援、インデアンに取り囲まれた騎兵隊の心境、負けずと手をつけずに美味しいですねと誉めたのが間違い。なんと、隣の人はこれを上げると自分の牡蠣を私の皿の上に乗せ、”貴方は初めての参加だから一杯食べて、私は毎年食べているから”もう逃げるわけにも行かず、皿の上には牡蠣で富士山状態。頭は使いよう。何をしたかと言えば、生牡蠣が出たら、焼きを食べに来たのでと言って、他の席へプレゼント。焼きが来たら、天ぷらを一杯食べたくてと言い訳をして、また他の席へ、天ぷらが来ればもうお腹一杯と言って、1番若そうな人へプレゼント。今年もあと2日で牡蠣の会がある。また今年もこの手が使えればとひそかに考えている。

アメリカ大統領への手紙

2004-12-24 23:22:18 | 面白ジョ-ク かVOW
昔読んだ”アメリカ大統領への手紙”という英語の本は、当時のレ-ガン大統領宛てに子供がホワイトハウスに出した質問、告白、お願いの手紙をまとめたもので、面白いものが多かった。時折、洋書関係で探すのだが、その後はこういう企画をしていないのか、淋しい限りである。内容のいくつかを紹介すると、いつもお姉ちゃんにいじめられている弟が書いたもので、”もし、最初の女性宇宙飛行士を選ぶなら、是非、強いうちの姉ちゃんを選んでください。燃料は片道分で良いです。”。中には ”ぼくの小遣いの値上げをお母ちゃんに言ってください。大統領は国民の生活を守る義務があります”。女の子の手紙では、”大統領の家では、どちらが強いのですか、私の家では、口ではお父さん、喧嘩では母ちゃんが勝ちます”。


パソコンの歴史 

2004-12-23 22:26:13 |  人の縁は不思議
忘れもしない1974年(昭和49年)。T社で開発担当しているときにインテル社が4004というCPUのテストサンプルを出荷した。当時の日本は、トランジスタからICに変わりつつある時代で、周辺回路を設計するには全て英語が読めないと、ICを販売していたテキサスインストルメント社やフェアチャイルド社の設計資料が役に立たない。開発チ-ムのM氏、W氏との3人でCPU4004のタイミングチャ-トから手分けをして回路設計をした。最初のサンプルが到着して、基盤の上にマウントして、動いた時は、3人で感動。今でいうプロジェクトX並の凄いこと、日本で初めて1ボ-トCPUが出来たわけである。俗に言うマイコン時代の幕開け。周辺のメモリ-もまだスタチックの256ビット、今では考えられない極小の記憶装置を並べるしかない。プログラムと言ってもスイッチを並べ、条件を作り1つづ命令語を記憶させるには、徹夜の連続。すぐに1024ビットと、毎月記憶容量の能力が拡大していた。CPUも4ビットから8ビット、16ビットと上がっていった。昭和55年までは、アプリケ-ションの開発の連続であった。しかし、給料も上がらず、疲れ果ててしまった。その後転職したが、このときの知識と経験は現在までに随分役に立ってきた。あのままパソコンの仕事をしていれば、すごい仕事をしていたのか、体調を崩して会社を辞めていたのか判らない。唯一言えるのは、日本で初めてのパソコンを自分が作った3人のメンバ-の1人ということだけかも。



インド人の不思議

2004-12-22 21:54:08 | 海外の思い出
かってインド人80名を採用して、自分がボスで一緒に6ケ月働いたことがある。最初のショックはまさにカレ-の辛さである。1口食べると、目と眉毛の間から汗が落ちてくる。これが、1日3食、毎日連続。ここまでは良いにしても、馴染めなかったのは、スプ-ンを使わないで、手で食べることである。口に運ぶたびに、指の間についたカレ-とお米をまた美味しそうに目の前で食べるを見ていると、どうしても食欲がなくなる。インド人の中でもタ-バンを巻く人がいるが、あのタ-バンの中はどうなっているのかを見た人は少ないと思う。タ-バンを巻く人は、髪の毛の長さは、降ろすとほぼ腰の位置までくるくらい長い。タ-バンの中は女性が髪を丸めてUPしている状態を想像してもらえば良い。仕事が終わる夕方に、シャワ-を浴びて、腰巻だけで彼らは髪を下ろして、めいめいに長い髪をときながらリボンを結んでいる仕草を、美しい夕日の中で後から見ると、どうしても女性のように見えてしまう。能力面で、彼らは本当に恐ろしくなるくらい記憶力が凄い。難しい図面でも短時間で記憶してしまう。解析能力もすばらしい。ル-ビックキュ-ブを与えて、1時間もすると簡単に解いてしまう。こういう人たちが、今コンピュ-タのソフトの仕事で世界から求められているのは納得できる。