今夜も一杯 ! ヒロシのブログ

電子書籍で「新サラリ-マンの法則」 「笑いの宝庫」を出版しました。

女性専用車輌

2005-02-27 00:47:59 | 失敗した経験
通勤電車が痛勤と感じるのが、朝のラッシュである。時折ハイヒ-ルで靴を踏まれ、脇腹に女性のハンドバックの角が当たると、朝から競争社会の現実に晒される。都会生活は、とにかく体力勝負。飲んで酔っ払っても最終電車に間に合わすために、息切れしないで駅の階段を駆け上る体力が必要です。東京でも、混雑で有名な、地下鉄のK駅、駅員のマイクによる放送が、実況中継風で面白い”そこの身体が半分以上でているお客さん!誰が見てもそれでは無理です。ドアが閉まりません。次の列車をお待ちください”。電車の話なら、先日大阪に出張したときに、既にホ-ムに電車が止まっていて、発車真際だったので、目の前のドアから飛び込んだ。同僚のS氏が、”なんか雰囲気おかしいね”というので、周りを見ても、なにも変ったことはない。更に”男性がいないのは、変だね”と言われて、よく見るとと、本当に誰もいない。ラッキ-と思った瞬間、掴まっていたピンクの吊革をみると、そこに”女性専用車輌”と書かれている。気が付いてみると、今度は落ちつかない。いかに、善良なるサラリ-マンかを、周囲に分かるように振舞わないとまずいと思い二人で両手を吊革にあずける。2人の会話も途絶えてしまう。キャ-なんて言われると、次の駅で駅員に逮捕されるかも知れないと次々に悪い場面を想像してしまう。次の駅までが、本当に永く感じる。到着してドアから出た瞬間、お互いに顔を見合わせて、出た言葉は”助かった!”。しかし、誰もできないことを出来た訳だから、極めて貴重なハ-レム状態の経験。女性専用車輌があるなら、乗りたいかどうかは別にして男性専用車輌も欲しいものである。

従業員教育

2005-02-26 20:37:35 | 気がついたこと
駅前に新装開店した飲み屋に入ってみた。入口から内部までインテリアが素晴らしい。天井、壁、照明、テ-ブルと見渡しても、経営者がお金を掛けたお店という雰囲気が伝わる。問題は、従業員教育である。仏作って魂いれずという言葉があるが、なかなかオ-ダ-を取りにこないので、"すみませ~ん!”と声をだしてみると、店員がしばらくお待ちください、と決り文句の声が奥から聞こえ、それからしばらくしてやってきた。にこりともしないで、黙って前にたっている。言い方は悪いが、まさか何か注文するんじゃないの、めんどくさいなという雰囲気の顔である。ヘヤスタイルも中途半端で、髪がまとまってない。とりあえず、オ-ダ-したが、一瞬頭の中を横切った考えは、もしこの店の経営者が、来れば、従業員の教育がなってないと店長に怒って帰るだろうなと言う事である。立派なお店と、やる気のない従業員の組合せ。一度来たお客は、二回目は絶対訪れないだろうという典型的なタイプのお店に出会ってしまった。場所も良く、このインテリアで、もし店員の格好と愛想が良かったら、常に満員で、料理もお酒もどんどんはけるであろうと思えるのに、もったいないものである。

アグネスラムの影響

2005-02-25 06:52:46 | 気がついたこと
ハワイ生まれのアグネスラム、1975年に初代クラリオンガ-ルに選ばれ、翌年に日本で大ブレ-クした。いまでもネットで名前を探せば、当時のかわいい顔の水着写真が出てくる。彼女の大フアンだった漫画家の秋元浩は、1977年から連載し始めた”こちら葛飾公園前派出所”の漫画の中で、彼女のことを派出書の壁に掲示された紙に結構書き込んでいた。時折、編集者の悪口も書いてあり読者としてそれを見つけて読むのが楽しかった。連載の途中から登場してきた女性警察官の秋元麗子は、まさにアグネスラムのイメ-ジそのもの、彼女のフアンならではの作者の発想である。彼女に目をつけた、もう一人の女性漫画家、高橋留美子も、作品の”メゾン一刻”と同時期に、1978年から連載を開始した”うる星やつら”の中で”ラム”ちゃんとしてイメ-ジ登場させている。2人のメジャ-な漫画家が取り上げたくらい、彼女のインパクトが強かった証明である。漫画”こちら葛飾公園前派出所”は、初版発行が1977年7月31日だから、今まで28年間近くも続いている、初刊から121巻までは揃えてみた時代もある。作者の趣味の多彩さが、漫画の中に全て再現されている。しかし、これだけ長期間の連載が出来る事は、体力不足や、ネタ不足に陥る事はないのかと心配になる。

電卓と乗用車どちらが高価

2005-02-24 18:26:47 | 気がついたこと
百円ショップで、ライタ-だけでなく、電卓まで買える時代だが、素直な疑問として一体原価は幾らだろうと思う。1964年、自分が大学3年の時に、シャープがオールトランジスタ製の電卓、コンペット「CA-10A」を発売した。大きさのイメ-ジは、50センチ四方で厚みが10センチ近くあったと思う。自分が所属する大学でも1台購入した。教授が保管していて、学生が使用を申し込んでみても、見るだけで、借用は許されなかった。それまでは、計算が必要な場合、計算尺や、機械式でグルグル回すタイガ-計算機を使用するのが当たり前であり非常に手間が掛かった。ところが、数字を打ち込みボタンを押すだけで、足し算、掛け算の答えが瞬時に出てくる。当時の学生から見れば驚異の装置に見えた。アルバイトの日給が千円の時代、このコンペットの価格は、当時53万5000円。乗用車が買える価格だった。技術革新とコストダウンの成果として、誰もが電卓を簡単に買える時代になったが、結局、卒業までこの卓上計算機は教授の部屋から一歩も出る事はなく、まさに箱入娘の状態のままだった。

女形と男役

2005-02-23 22:53:34 | 気がついたこと
歌舞伎の世界では、女形(おやま)と言って、男性が女性の役をするのがきまりですね。しかし、下町の玉三郎と言われる梅沢富美男のように、ノッペリした素顔でも化粧をして舞台にでると、一変して妖艶な雰囲気の女性に変るのを見ると、男性から見た、女性らしさとは何かという事が良く分かります。要するに、女性以上に女性らしいという現実ではありえない不思議な倒錯を実現している事です。まず、相手を凝視しない伏し目がちと流し目の視線が、お客を引きつけます。目は口ほどにものを言いの実例です。現代では、こんな仕種の女性は日常生活でお目にかかる事はまずありえません。次に目が移るのは、口紅で小さめに描かれたつねに半開きの唇である。最後が、軟らかい流れるような物腰。ニュ-ハ-フのショ-でも、化粧と体型とファッションだけ女性らしくしても、これらが抜けていると、ただの陽気なオカマショ-にしか見えないことがある。女形の反対が宝塚における男役。男性から見たら、男らしくは見えないのだが、女性のフアンから男役を見れば、男性以上に理想の男性らしいのかも知れない。男らしいとか女らしいとは何かと言われたら、具体的に項目をあげて回答をするには難しい。言えることは、多少誇張した仕種がないと男と女の差がパッと見だけでは、良く分からない時代だということには間違いない。女々しいとか凛々しいという言葉が、身の回りでは死語になりつつある。

浴衣の君

2005-02-22 06:13:36 | 海外の思い出
成田空港で、日本のお土産として浴衣やハッピを売っている。日本人には、着物と浴衣の違いがわからない人はいないと思いますが、外国人には、その差が分からない人が本当に多い。昔の外国映画でも特に香港映画は、日本人芸者が出てくるシ-ンは、顔は目つきがするどいアジア人、頭が花魁状態、着ているものが、着物なのか浴衣なのか中国服なのか生地の見分けがつきにくい。帯びの位置も胸元に近い位置で締めているし、足元になると、何を履いているか見たくもなくなる。海外の田舎町で見かけるジャパニ-ズレストランという怪しげな看板の店では、こんな風景にいつでも出会える。足元は、靴か足袋かゲタのいずれか、下に襦袢がない1枚だけの着物かハッピ、帯びも頭に巻いていたり、浴衣用で前結びもあり、帯の高さは、許容外というより、想像外である。髪はUPしているが、顔が何人かわからない。大またで裾を乱した歩き方、食事が来る前に腹がたってくる。ひやかしにビユティフル・ジャパニ-ズ・ド-ルと言えば、相手も調子に乗って、適当な事を言う。日本で芸者生活をしていたとか、親戚が日本人だとか、いい加減にしろと言いたくなる。顔かたちが日本人と全然違っていても、母親が日本人なら、娘さんは、ちゃんときれいな着物の着方をしているのを、海外でおひな祭りに招待されたときに一杯見てきている。多分、夏は時折、浴衣でも着ているのではとつい想像してしまう。多分、浴衣の君は、素敵な日本人だと思う。

喧嘩するなら日本語でしなさい!

2005-02-21 21:46:36 | 海外の思い出
数時間前に、しゃれた居酒屋の少し離れた場所に座った20歳過ぎのカップルが、小さな声で話をしていた。最初は気にならなかったが、途中で女性の声が大きくなると、英語しかも日本人の顔つきからは想像できないネイティブな発音。今度は男性が英語で話し始めるとまたまたキレイな発音。2人とも何処から見ても普通の日本人。会話は英語だったり、日本語になったり、2人ともバイリンガルの典型。会話に全然違和感がない。これを見ていて、昔ニュ-ヨ-クの地下鉄に乗っていて出会った光景を思い出した。40歳前の日本人のお母さんと小学校高学年のお兄ちゃんと低学年の弟が並んで座っていたが、突然、弟とお兄ちゃんが口喧嘩を始めた。使っている言葉は英語である。途中でお母さんが日本語で、とりなしているが、2人は母親に英語で相手が悪いと説明しながら互いに主張をゆずらない。不思議な光景である。彼等はお互いに英語で喧嘩していて、母親からは日本語でとりなされ、英語で母親に文句を言っているのだから。5分程続いた口喧嘩も母親が”回りに迷惑だから、喧嘩するなら日本語でしなさい!”と日本語で一喝したら、止めてしまった。確かに、電車に乗っている人は、自分を除き、すべて外国人。英語で喧嘩している内容は当たり前だが、皆わかる。母親は、はずかしいので、周りに分からない日本語でしなさいと言えば、二人とも日本語で喧嘩したことがないようで、単語をおもいつかないらしい。親が米国の駐在員で現地で子供が生まれて小学校まで大きくなると、英語が優先してしまう。教養として親の前で日本語をはなしても、とっさに出るのは英語。バイリンガルは、素晴らしいはずだが、先のカップルの会話を聞いていて、日本になじめない2人の思いが伝わってきた。

D.I.Yの飲み屋

2005-02-20 11:07:09 | 失敗した経験
10数年前まで東京駅の大手町近くのガ-ド下に、立ち飲み屋があった。最初に立ち寄ったときに店の入口に酒の肴の名前の短冊が、10数種類ズラッと貼り付けているのが目に飛び込んできた。マグロ、イカ、イワシ、赤貝、カニ、クジラと酒の肴には十分である。築地も近いし、イキの良いのが食べれると思ってノレンをくぐり、カウンタ-にたってビ-ル下さいというと、言い終わらないうちにビ-ル瓶が出てきた。グイと飲むと、目の前に、見えたのは、缶詰の山である。マグロのフレ-ク、イカの塩辛、イワシのオイル付けと、ひよっとしてこれがあの入口の名前かとイヤな予感が働く。マグロ下さいと頼むと、ねじり鉢巻のお兄さんはくるりと反対側に向いて、フレ-クの缶をとり、威勢よくマグロ1丁!と叫びながら目の前にポンと置いてくれる、次にカウンタ-の下からハイどうぞ!と缶きりが出てくる。ひとりで缶のふちに沿って切ってフタをあける。お皿もない。箸で直接、つついてたべるだけ。回りを見渡すと、みんなキ-コキ-コと缶切で闘っている。缶切りが上手い人は、本当に早い。よどみなくあけてしまう。お兄さんが、ときおり、お客さん通だね。ウマイね。とお世辞も言っている。なにが悲しくて、飲みに入って、缶きりコンク-ルをやるのか。通といういのは違う意味じゃねえのかと思いつつ、安いのでいつのまにか良く通うようになってしまった。数ヶ月で、お客さんは通だね!と言われるようになった自分がなさけなかった。

アポロ11号

2005-02-19 19:06:45 | Weblog
米国が1969年7月に打ち上げたアポロ11号。人類が初めて月面に降り立った偉業をテレビニュ-スで見た記憶がある。今月、本屋に邦題”アポロって本当に月にいったの?”のリメ-ク版(初版98年)が並んでいたので、内容が面白い事と、立ち読み出来る程度のボリュ-ムだったので、一気読みをした。月面に立てた星条旗が風になびいているのは、空気がない月では、おかしいとか。二人の宇宙飛行士が映っている写真の影が別々の方向で長さが違うのは、太陽が1つしかないのにおかしいとか、逆光でとったはずの写真がなぜ手前の影の部分が鮮明に映っているのかという疑問を並べている。また、月面着陸のシ-ンは月ではなく、UFOで有名な、ネバダ州にある空軍の秘密基地であるエリア51で撮影したのに間違いないとか、興味津々な記事の連続である。ただ、この本にもかかれている質問で同調できるのは、アポロ11号から、そのあと今日までなぜ35年間も再び月へ行かなかったのか、その計画もないというは何故?という単純な疑問である。人間の想像を越える何かを見てしまったのか。間違って地球上に大きな問題を運んできてしまったのか。疑問は深まるばかり。この本を読む前に、次のサイトを見れば、また興味が湧くと思います。アポロ計画の壮大なム-ビ-が見えます。”もう一度月へ”のURLをコピ-して開いてみてください。 http://jvsc.jst.go.jp/universe/luna/index.html

水商売

2005-02-19 11:02:33 | Weblog
遠い海外の油田から原油を汲み上げ、タンカ-で日本まで運び、精製して出来るガソリン。誰が想像してもかなりのコストが掛かっているのは理解できる。現在、自動販売機で売られている500mlのペットボトルのミネラルウオ-タ-やお茶は、1本120円前後。ガソリン1リットルとほぼ同じである。ボトル2本で1リットルなら、240円となってしまう。日本も産油国ではないが、石油より水の方が倍の値段である。ガソリンが高いと思っている人が、その倍以上の単価の水を飲んでいるのは、ふしぎな国である。米国と日本のガソリン価格を比較すると、米国は単位がガロン(3.75リットル)で、1ガロンが日本の1リットルとほぼ同じ価格である。言い換えると、日本は米国の4倍の価格。米国車は排気量が大きく、昔は燃費が悪く、ガソリンを撒いて走っていると言われたが、1973年のオイルショック以降は、燃費の良い日本製の2000ccクラスのコンパクトカ-が見直された。最近、小料理屋でも、ビ-ル、日本酒党から、焼酎派も増えてきた。量が多くて、安い。まさに燃費の良いアルコ-ルである。酒屋で一升瓶(1.8リットル)を買えば、1本2000円もしない。しかし、酒屋から飲み屋に瓶が移動すると10倍以上の価格に化ける。水を運ぶというのは、原油よりは商売になるようである。

だまし絵の天才(M.C.ESCHER)

2005-02-18 23:29:42 | 気がついたこと
約30年程前になりますが、エッシャ-のだまし絵に会った瞬間、目からウロコが落ちる思いをした。本当に、目で見た情報を脳で翻訳してから物事を理解してるんだ、だからこんな錯覚が起きるんだと気づかされた本だった。オランダ生まれの彼は、昭和47年に74歳で他界したが、数多くの作品を残した。彼のだまし絵の魅力にとりこになった大正15年生まれ(この年の12月に大正天皇が崩御され昭和元年と年号が変わった)の日本人がいた。彼の名前は安野光雅。昭和24年に上京し、美術教員として働きながら、42歳になった昭和43年(1968年)に、だまし絵の本”ふしぎな絵”を出した。東京神田の福音館書店で、この本に出会った時は、エッシャ-の新しい翻訳本かと見間違うばかりの、すばらしい内容でした。丁度、我が家も長男が生まれて、その成長過程でタイミングよく、安野光雅の作品を次々と見せることが出来たのは幸いでした。74年に”ABCの本”、76年に”あいうえおの本”、77年には”旅の絵本”と、だまし絵の手法を取り入れた、大人も子供も楽しめる絵本を次々と世の中に送り出しました。何度見てもだまし絵は楽しいものです。ある意味時代を超えた、永遠のひとコマ漫画です。最近は、もう少し簡単で面白いトリックア-トの芸術家も増えてきました。インタ-ネットでもエッシャ-やトリックア-トの記事が結構見つかります。是非、だまし絵を一度は楽しんでもらいたいものです。

軍事機密

2005-02-17 21:06:36 | Weblog
世界各国で、歴史的に地図と海図は軍事機密でした。昭和20年の終戦を迎える前と違い、今の日本には軍隊という名前が存在しない為に、軍事機密という言葉を国内で使うことはありません。海外では、空港、港湾、橋等は重要な軍事施設であり、国際テロが増えた現在では、海外で国際空港の滑走路を撮れば、いきなり連行されることもあります。軍事技術の中でも偵察衛星の機能の上昇に伴い、地図と海図の作成能力は一気に飛躍しました。軍事技術を民間に転用した例として、自動車のGPSがあります。かってのミサイルや飛行機は慣性航法システム(INS)を利用して、出発前に現在の緯度経度を入力し、ジャイロ(地球ゴマ)で方位を測定して加速度計を利用して、積分回路で、速度を割り出し、更に積分して距離を算出して目標まで到達することが出来ました。米国のトマホ-クのような巡航ミサイルも、古いタイプと新しい制御方式の2つを使用しています。どんなに兵器の威力が凄くても、最後の占領という戦争のクロ-ジング段階になると、戦車や迫撃砲といった地上戦が必要です。相手の武器が旧式でも、執拗に長期間の抵抗をみせれば、最後は兵士の精神状態に頼るしかありません。かってのベトナム、アフガニスタン、現在のイラクを見れば分かりますが、威力のある武器だけでは、戦争は終結しません。まして、戦争に正義なんてありません。正義と言いくるめるのが外交の仕事です。

タ-ミネ-タ-2

2005-02-16 10:13:31 | Weblog
ことわざの”百聞は一見にしかず”は映像の世界では通用しない。昔から写真でも映画でも合成技術というものが発達してきた。いわゆる映像のトリックである。キングコングやゴジラ、近くはジェラシックパ-ク、スタ-ウオ-ズ,タ-ミネ-タ-のような娯楽映画だけでなく、戦争映画や、恋愛映画でもCG(コンピュ-タグラフィック)が数多く使われる。最初に仕事で使ったCGがハリウッド映画の特殊効果として使用されていた米国のオ-トデスク社の3Dstudioというソフトである。最初からうまく使うためには、映画で使われているシ-ンをマネをすれば早いという事で、タ-ミネ-タ-2に出てくるT1000という新型タ-ミネ-タ-が警察官の役で一瞬に手が水銀のような状態で刃物に変化化するシ-ンを作成してみた。ほぼパ-フェクト。ほとんど映画のシ-ンと同じ出来栄え。しかし、問題はレンダリング時間である。レンダリングとは、打ち込んだ数値情報を計算して画像情報に変える作業です。今と違って1993年頃は、パソコンのCPUの速度が20Mhz程度、現在の1ギガ近くの速度の50分の1。1シ-ンわずか2-3秒の画像を作るために、3-4時間。色や形や速度を修正するたびに、毎回3-4時間掛かる。それでも7分(420秒)のCG画像を3ケ月程度で作成し、最後にスタジオで、音声と音楽を入れる日が来た。それまで、技術的なことをオ-トデスク社に時折、問い合わせをしていたので、彼等も映画会社が製作するのではなく、普通の人が仕事で7分のCGを作るというのは、世界ではじめての情報。米国から3人も東京のスタジオに見に来た。映像を見た瞬間、この画像を海外のCMに使いたいという申し込みがあった。OKとは返答したものの、そんなに凄いものだったのかと思うと同時に、映像を見直すと、タ-ミネ-タ-とスタ-ウォ-ズの映像表現のテクニックを全編に使いまくり。好きな映画のものマネからスタ-トしてなければ、こんなCGは出来ていなかったと思った。

弁護士バッジ

2005-02-15 07:51:17 | 気がついたこと
弁護士が襟元につけているバッチは、ヒマワリのマ-クの中に天秤がデザインされています。ひまわりは正義と自由の象徴で、天秤は義理と人情のどちらが重いかを測る象徴、というのは嘘で、平等と公正の秤だそうです。目を閉じて、片足で10秒以上立っていられるかという平衡感覚テストがあるが、年をとれば、平衡感覚が衰えて来るらしい。もし、健全な精神は健全な肉体にやどるという言葉を借りるなら、若い人ほど色んな意味でバランス感覚があり、年寄りほどバランス感覚がなくて頭が固い人と言うのが、正確かもしれません。大人の会話で、Aさんはバランス感覚があるとか、無いとか言っている人は、その人とAさんが、うまが合うか合わないかの話であり、そう大した意味は無いと思えます。テレビで、行列の出来る法律相談所と言う番組があります。1つの問題に対して数人の弁護士が論戦を張りますが、現実の訴訟でもこの通りで、一人一人の弁護士の考えも大きく違うという事を知っておくのは大事です。最後の審判は裁判所ですから。普通の人の日常生活の中では、訴訟、弁護士、裁判所というものは、身近に感じないと思います。知っておくべきことは、民事事件(借金、恋愛、離婚、口喧嘩、恫喝、家庭内暴力等)は警察は介入しません。110番で呼んでも、一時的仲裁だけで、後は本人達の問題として去って行きます。民事問題を解決するには、弁護士に相談するしかありません。電話帳で身近な弁護士会を調べて、電話で相談するのが賢明です。

I miss you !

2005-02-13 06:23:07 | 海外の思い出
簡単な英語のI miss you.映画のシ-ンでは良く出てくるのに、日本の英語の教科書には出てこないのが思議です。離れていた親子や恋人同士が再会するときには、会いたかった!として使われ、逆に別れる時には、寂しくなるわ!という意味になります。カリフオルニアで仕事をしている時に、昼休みになると、いつも若い女性が車で事務所にやってくる。一緒に仕事をしている同僚を訪ねてくるわけである。車の音がすると、彼はドアの外に出て、やってきた彼女と抱き合って、お互いにこのセリフを繰り返している。彼はインディアンである。本来なら居留地(リザベ-ション)に居れば、働かなくてもアメリカ合衆国から多少の生活援助の資金がもらえるのに、それに満足せず、居留地を出て働いている。現代のインディアンは、部族の誇りを持続しており、ほとんどが長髪(肩より長い)を維持している。しかし実態は、米国人からはさげすまれ、まともな職業にはなかなか付けないのが現状です。かって部族の名前は、北米で30近くあった。特に、西部開拓史の時代は大平原でバッファロ-を捕まえて生活していたアパッチ、コマンチ、ス-族等は有名ですが、侵略者である白人が同じバッファロ-の狩猟で生活しようして闘いが始まった。彼はおとなしいネズバ-ス族出身であり、気がやさしくて力持ち。ある日彼に、毎日そんなに会いたい、会いたいと言ってるのは、1日に一回しか会えないのかと聞くと、いや同棲しているのだが、朝から4時間も会ってないのでお互いに寂しいと言う。本当に馬鹿馬鹿しくて付き合えないというのが日本人である自分の気持ち。帰国する前に頭から腰まで続く美しいインディアンのはね飾りを買いに同行して貰ったが、今は家の中のどこにあるのかさえおぼえていない。日本円で確か4万円近くしたと思うが、いつか頭からかぶって、大平原のインディアンのごとく腕組みをして夕日をじっと見てみたいものである。