駿河国・古城の旅 静岡浅間神社と今川氏の詰城・賤機山城 2018年12月20日 | 東京 青春18きっぷで静岡に来ました。 駅前の家康像竹千代像静岡駅前の松坂屋浅間神社前のうなぎ屋大歳御祖(おおとしみおや)神社の鳥居大歳御祖神社参道静岡浅間神社の境内には浅間神社、神部神社、大歳御祖神社、少名彦神社、玉鉾神社、八千戈神社、麓山神社の7つの神社があり、七社参りをすると満願が叶うそうです。神池八千戈(やちほこ)神社浅間神社・神部神社総門楼門は工事中舞殿浅間神社・神部神社拝殿少彦名(すくなひこ)神社王鉾神社麓山神社参道の百段の石段賤機山古墳老木を伐採した切り株麓山(はやま)神社休憩所うっすら富士山が見えます。一本松西側、安倍川側の眺望救世観音菩薩像B29墜落搭乗者慰霊碑日米友好親善の樹はなみずき賤機山城は南北時代、北朝方の今川氏が南朝方の安倍城に対抗して築城。賤機山城は安倍川の東岸、安倍城は西岸に位置し、安倍川をはさみ今川氏と安倍氏が対峙しました。戦国時代は今川氏の本拠、今川館の詰城として重要な意味をもちました。標高は173m。栃木県の足利城に似た長いアップダウンが続く尾根筋を活かした山城です。安倍城の方角賤機山城塞阯ひのきの丸太下るのもつらい石段東雲神社(丸山東照宮)城北公園市立中央図書館城北公園は旧制静岡高校の跡地です。静山荘(初代静岡県知事・関口隆吉邸)跡。関口は15代将軍徳川慶喜の側近。慶喜は維新後は水戸、静岡を経て、晩年は東京都文京区で過ごしました。太田道灌が築造した嵯峨流公園。道灌は今川義忠の死後に起こった今川家の家督争いに介入。内紛は氏親が家督を相続することで決着しました。氏親は義元の父です。私は信長・秀吉・家康については多少は知っているつもりですが、今川や北条はよく知りません。今川・北条は武田・上杉と比べても大河ドラマ等で取り上げられることは少ない。その意味では「おんな城主・直虎」で多少ですが今川氏が描かれていたのはよかったです。北条、今川のドラマ化を希望します。本当は臨済寺に立ち寄る予定でしたが、臨済寺は常時公開ではないそうです。また今度です。 門前のうなぎ屋鳥居参道の古美術店家康の時計をデサイン化参道書店ミニカー専門店ホンダのオートバイ落花生の店古書店古切手・古銭の店 参道入口薄暮の静岡駅 « 赤坂六本木の旅 完成から22... | トップ | 駿河国・古城の旅 北条の最... »
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