群馬県藤岡市の平井城です。永享の乱(1438~9年)の際、関東管領・上杉憲実は鎌倉を逃れて平井城を拠点として、鎌倉公方・足利持氏と対決。室町幕府6代将軍・足利義教は関東管領方を支持したため、足利持氏は敗北しました。県道側の土塁土塁の上1552年関東管領上杉憲政は北条氏康に攻められ越後の長尾景虎(のちの上杉謙信)のもとへ逃れますが、景虎は1560年に平井城を奪還しました。景虎は関東での本拠を平井城から厩橋城(のちの前橋城)へ移したため平井城は廃城となります。本丸跡の眺望。樹木が繁っていてよく見えません。
本丸跡の断崖絶壁
上杉氏一族の碑上杉憲実永享の乱歌碑乳母様分霊堂内部平井城址余情鮎川側の崖
本丸跡の農場・牛舎
駐車場
復元された橋竪堀本丸跡の真ん中に牛舎があります。
駐車場の土塁跡県道
本丸跡の断崖絶壁
上杉氏一族の碑上杉憲実永享の乱歌碑乳母様分霊堂内部平井城址余情鮎川側の崖
本丸跡の農場・牛舎
駐車場
復元された橋竪堀本丸跡の真ん中に牛舎があります。
駐車場の土塁跡県道
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