オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

話題の焙煎珈琲地帯・清澄白河から深川、両国を歩く

2015年02月27日 | 東京
いま話題のブルーボトルコーヒーが気になって清澄白河へ行きました。メディアによると行列がすごいようです。私は待つのは苦手なので1時間も待つ気はないが、すんなり5分で入れることもないことはない、見るだけでもいいかという気持ちで出かけました。

地下鉄・門前仲町から清澄通りを北へと歩きました。深川地区は縦横に運河が流れています。運河の一つ、仙台堀川を渡ります。

海辺橋のたもとの芭蕉像。江東区には芭蕉記念館とか芭蕉稲荷神社があります。


ブルーボトルコーヒーです。やっぱり行列です。平日でも30分から1時間待ちですね。入店は断念し見学のみです。

私はスターバックスは日本初進出当初の銀座店にはよく行きました。赤坂の旧TBS会館の店舗やタリーズの日本1号店銀座店にもよく行きました。スターバックスはアメリカ西海岸、香港、上海、釜山、台北、シンガポールも行き、自称スターバッカーでしたが、最近はちょっと飽きてきたところです。ブルーボトルには興味津々ですが、こんなに込んでいるのではしようがないですね。

この煙突は寒い中、並んでいる人たちのためのヒーターなのです。最初、私は地下に焙煎工場があって、その煙を排出するための煙突かと思いました。勘違いでした。

ブルーボトルの近くの焙煎珈琲店、アライズコーヒーロースターズ

同じく深田荘という珈琲店。休憩中でした。

珈琲こふく

カフェ清澄。このあと清澄通りに戻り、深川江戸資料館へ向かいました。


資料館通りの零嚴寺。松平定信の墓があるようです。

資料館通りの佃煮屋。深川ならではですね。

資料館の前の深川めしの店


江戸深川資料館

現在は「相撲の歴史と本所・深川」という企画展をやっています。

1階には大鵬の等身大パネル。「横綱大鵬顕彰コーナー」が設けられていました。



深川江戸資料館の常設展示。江戸の町並みを再現しています。

「相撲の歴史と本所・深川」展の入口。大鵬部屋の看板を展示。中は撮影禁止でしたが、撮影するほどのものはない。
こういった資料館、箱物はあちこちにありますが、この資料館はあまりにも内容がプアだと思います。資料館はやめにして保育園か老人施設に転換してはどうでしょうか。
平日の午後ですが見学者は4、5人、説明員などスタッフは5、6人。スタッフの人は退屈そうでしたね。
大鵬部屋は大鵬が一代年寄だったために今は存続していませんが、大鵬の弟子の大嶽親方が名前を変えて継承しました。一代年寄は大鵬のほかには北の湖と貴乃花です。千代の富士は推挙されましたが辞退しました。なぜ辞退したかはいろいろ取り沙汰されています。大鵬は本来なら二所ノ関を継ぐのが筋だと思いますが、大横綱が名門の二所ノ関を継ぐと、対抗勢力の出羽海一門としては都合が悪いということで、一代年寄として顕彰しようという動きになったようです。相撲協会内の勢力争いの結果です。大鵬部屋の看板がこの場所に展示されているのを見るのはつらいですね。大嶽部屋は「大鵬道場 大嶽部屋」と名乗っています。

深川江戸資料館を出て、本所・両国方面へ歩きました。次は小名木川を渡ります。

続いて上を高速道路が通る堅川

堅川に架かる二之橋に吉良邸討ち入りのころの古地図があります。吉良邸にも寄らねば。

両国小学校の角に芥川龍之介の文学碑があります。龍之介は中央区明石町に生まれ、本所の母方の実家で育てられました。龍之介は作家時代は田端に住んでいましたね。田端には龍之介に因んで「りゅうのすけくん通り」があります。


これは時津風部屋のビルです。「時津風部屋」と「双葉山相撲道場」、二つの看板がかかっています。私は1980年ころ仕事で時津風部屋を訪ねたことがありますが、当時は2階建てか3階建てでしたが、かなり立派な建物でした。今の建物はまるで高層マンションです。
時津風部屋の親方は双葉山以降は鏡里、豊山、双津龍、現在の時津海と続きます。私がお邪魔したときは元大関の豊山が親方でした。この時、取材をしたのは豊山と同じく新潟出身の剴皇(元大関の魁皇ではありません)。剴皇は有望な若手力士でしたが不注意で大怪我をし、一度だけ十両に上がりましたが幕下で低迷し引退。引退後は脳梗塞で倒れた田中角栄専属の介護人となって車椅子を押したりしていました。

吉良邸です。江東区の公園として維持されています。

吉良上野介義央の像

松坂稲荷神社

みしるし洗いの井戸

吉良家家臣の墓。小林平八郎、清水一学の名前があります。忠臣蔵では赤穂浪士は義士として描かれています。全国的に見れば赤穂浪士は忠臣で善玉、吉良は敵役ですが、愛知県の吉良周辺では上野介は名君と評価されています。会津と薩長、新選組と勤皇志士、立場が違えばそれぞれの見方があります。

吉良邸の隣の小松屋。柳橋に本店がある老舗の佃煮屋です。

和菓子の大川屋。名物「吉良まんじゅう」があります。

工藤写真館。相撲写真資料館を併設しています。

相撲の聖地、回向院の山門

昭和初期に造られた国技館の写真パネル。戦後は米軍に接収されたため相撲協会は蔵前に国技館を建築。米軍から返還された後は日本大学の講堂となり入学式・卒業式に使用されました。日大講堂は私もよく覚えています。

回向院内の参道

回向院の本殿と念仏堂。念仏堂の建物は斬新です。コンパクトな建物ですが、コンセプトが濃縮されかなり大胆なデザインです。河原泰という建築家です。


河原泰の建築は回向院の分院のほかに千葉県に多いようです。またひとり要注目の建築家を発見しました。

力塚。私は力士を弔った塚だと思っていましたが、力士ではなく年寄を弔ったものでした。

裏面には伊勢ノ海、井筒、放駒と、いろは順に年寄名が刻まれています。

双葉山の名前があります。

力塚の横に相撲記者碑があります。相撲の記者クラブで選定されるんでしょうね。NHKアナウンサーの北出清五郎、志村正順の名前があります。

馬頭観音。回向院はもともとは無縁の人々を葬ったことから「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」として無縁者、動物、ペットを弔っています。

国技館の跡地はシティコアという商業施設になっています。

両国駅の通りには歴代横綱の力士像

元大関霧島のちゃんこ店

ちゃんこ店、大内。栃若時代の大内山の店でしょうか?

両国駅。上野駅に多少似ています。

現在の国技館。この国技館では1985年1月の初場所からこの国技館で開催されています。はや30年です。私は蔵前国技館と今の国技館の初期にはよく本場所を見に行きました。

相撲博物館では「しこ名考」という企画展をやってましたが、開館時間をすでに過ぎていました。最近の力士の四股名について私はは言いたいことはたくさんあります。後日この展示を見てから当ブログで触れたいですね。

国技館の前に忠臣蔵の俵星玄蕃道場跡の立て札。俵星玄蕃は架空の人物です。架空の人物なのに記念の立て札があるのはどうでしょう。

駅の横のちゃんこ店、花の舞。花の舞というのは力士名ではありません。はなの舞という居酒屋チェーンの店舗です。


両国駅の中に優勝力士の優勝額が展示されています。白鵬と武蔵丸の優勝額。他の面には三重ノ海と二代目・若乃花。優勝額は展示品としては効果的です。深川江戸資料館には1枚もありませんでした。大鵬の優勝額はすべて大鵬の出身地、北海道・弟子屈町の川湯温泉の大鵬記念館にそろっているそうです。


駅の中では「両国駅の歴史」展を開催中でした。昔は両国は総武線の始発駅でした。いわゆるテルミナ式(頭端式)の駅です。鉄道が隅田川を越えるのには橋が必要で、その工事が大変だったので両国が発着駅でした。都内では上野駅、飯田町駅(現飯田橋駅の近く)、新橋駅(旧新橋停車場)、両国駅が頭端式の発着駅でした。

両国駅のホームから見えるちゃんこ江戸沢の看板。江戸沢は元は静岡が本社のちゃんこのチェーン店です。江戸沢という力士は実在の力士ですがほとんど無名の力士です。
珈琲店を目的に出かけたんですが、テーマは相撲へと脱線してしまいました。足の向くまま、気の向くままの旅です。珈琲店探訪はまた次回です。





























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