オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

文京区・春日通の旅 春日局の礫川公園、於大の方と千姫の伝通院

2016年05月29日 | 東京


礫川(れきせん)公園の春日局像。徳川家光の乳母、春日局はこの一帯の土地を拝領し、墓所は本郷の麟祥院だったので、春日という地名になりました。戦前は今の白山通りを境に東は本郷区、西は小石川区でした。小石川と礫川は同意語です。礫川の礫は小石という意味です。




礫川公園



礫川公園の隣の東京都戦没者霊苑。ここに慰霊施設があることを初めて知りました。


徳川家康の生母、於大の方の墓所、伝通院

伝通院処静院跡の案内板。新選組の前身、新徴組の隊士が集結した場所です。

伝通院の本堂




於大の方の墓。私が於大の方を初めて知ったのは北大路欣也が第1部で若き日の徳川家康、第2部で長男・信康、市川右太衛門が壮年の家康を演じたテレビドラマ「徳川家康」(1964~1965年、NET(現テレビ朝日))でした。於大の方役は村松英子です。NHKの大河ドラマは1964年に「花の生涯」でスタートしたばかりで、このNETの「徳川家康」は当時としてはエポックメーキングな歴史ドラマでした。私はこの時は高校生です。村松英子は好きでした。独特の話し方でしたね。実兄の村松剛さん(立教大学教授)とよく似た兄妹でした。ちなみに家康の父・松平広忠を江原真二郎、家康の正室・築山を扇千景が演じました。

徳川秀忠の娘、豊臣秀頼の正室、千姫の墓。千姫は大坂城落城後、江戸城近くで暮らしました。

徳川家光の正室、孝子の墓

作家・柴田錬三郎の墓。通称・柴錬、「眠狂四郎」の作者です。

作家・佐藤春夫の墓

新徴組の発起人、清河八郎の墓
春日通りは徳川の女たちゆかりの通りです。伝通院から先へ進み大塚三丁目で左折し富士見坂を下っていくと徳川綱吉が生母、桂昌院のために建立した護国寺があります。桂昌院の墓は護国寺ではなく、芝増上寺にあります。
春日通りは国道254号と部分的に重なっていますが、どこまでが春日通りか。池袋の明治通りの交差する地点が春日通りの東端で、その先は川越街道と呼んでますね。西端は厩橋で隅田川を越えスカイツリー近くの横十間川です。










最新の画像もっと見る

コメントを投稿