2011 2000
「誰かが足りない」の一遍に認知症の母が語る章があった。
「なにかニュースは?」と家族に聞かれる度に戸惑いと苛立ちを感じながら、同時に「様々な事を忘れている」という自覚もある。
「ときおり訪れる正気のたびごとに、私は夫の死を新しく知るのだ。それをいつか安らかに受け入れられるときが来るのだろうか」
こういう状況に自分がなったら、、。この女性の心中を思いながら、アルジャーノンを思い出していました。
「32歳で幼児の知能しかないチャーリーに、大学の教授が頭を良くする シロネズミのアルジャーノンと共に連日検査を受ける。手術によりチャーリーの知能は天才に変貌したが、、やがて退行していく。
いつかは来る「元の状態」への恐怖。
「なにをすれば良いのか、おぼえていないという事実が。いままでは頭の中の黒板に書かれていたものが全部はっきり見えていたのに」
「教授、ぼくたちは、たまたま同じレベルに属しちゃいない。ぼくはあんたのいる階を通りすぎて昇っていったけれど、こんどはあんたの所を通りこして下へ降りていく」
「ほんの数ヶ月前に読んで楽しんだ本を取り上げてみて、内容が思い出せないというのは妙な気分だ」
「ぼくの論文を再読。自分がそれを書いたのだということはわわかっているのだけれど、誰か他の人間が書いたのだ、という感じがしてならない。大部分、理解すらできない」
ここまで書いていたら「good time charlie's got the blues」が頭に流れていました。チャーリーからの連想ですが、、、、。久しぶりに歌詞を確認。
「もうガキじゃないのだから。ぶらぶらしているとワイフを失うし、人生も棒に振ることになるよ。勝つ奴もいれば、負ける奴もいる。グッド・タイム・チャーリーにはブルースだ(ブルーになる)」
You know my heart keeps tellin' me
You're not a kid at thirty-three
You play around you'll lose youe wife
You play too long you'll lose your life
Some gotta a win! Some gotta lose!
Good time Charlie's got the blues !
Good time Charlie's got the blues !
* Good time Charlie 遊び人、道楽者、放蕩者。(陽気な人、という意味もある)