とろける。

感じたことや、思いついたことを書いています。

安全に話せる場をつくりたい/哲学カフェのイベントに行ってきました

2015-03-24 20:04:00 | 考えていること
先日、初めて哲学カフェのイベントに行ってきました。
熊野にいた時に『哲学カフェのつくりかた』という本を見てメールマガジンに登録してましたが、興味・日時・場所がなかなかぴったり合わず、そうこうしているうちに、「カフェフィロセミナー:哲学ファシリテーター入門」というむしろ哲学カフェのようなものをつくりたい人が参加するものにタイミングがあい、参加してきました。軽く覚え書いておこうかと。
cf.カフェフィロ http://www.cafephilo.jp/
*この文は、私の視点を通しているので、もともと提示されていたものから離れている場合もあるかと思います。

1日目は「哲学カフェのつくりかた」、2日目は「質問力を鍛える?!」という2日間に渡るもので、とっても濃い時間を過ごしました。

1日目は、哲学カフェはどういうものなのかを教えていただいたのちに、実際に短い時間ながら哲学カフェを体験。これが、とっても楽しかった。タイミングがあえば哲学カフェに行ってみたいと思います。
私自身は、普段の会話がわりと哲学カフェみたいなところがあるのですが、普段は話さないような人たちの意見が混ざるのは面白いなと思いました。

2日目は、思考を深めるためにどんな質問をしたらいいんだろうということを、知識として知ったのち、3パターンのワークで実際に行いました。
「私はこう感じたんだけど、あなたはそれについてはどう思いますか?」という聞きかたではなくて、「○○ですか?」と端的に質問するのは、意識しないとできないけど、意識すると少しずつできるのを実感できてよかったと思います。(もちろん、普段の会話では、特に端的でなくてもいいと思います。)


いろいろ学んだことはあったけど、しばらく経って一番心に残ったのは「安全に話す場」をつくるんだということでした。
こんなことを言ったらばかにされるんじゃないかと思ったりしない、安心して思ったことを話せる場。

そのために具体的には、発言する/しないは自由という前提があり、発言者の話は最後まで聞き、他人に考えや信条を押し付けず、自己紹介をしないことなどがあります。

自己紹介をしないのは、自己紹介をしてみて社会的立場の偉そうな人や専門家のような人がいた場合、その人の話を聞く場みたいになってしまいがちだとのことでした。
自己紹介はしたほうが話しやすいのかなーと思っていたので、とても新鮮でした。
立場を背負わずに話したいということでもあるので、職業とかを言ってしまうと、その職業の代表みたいになっちゃって一人の人物として、その場にいられないのかなーとも思いました。
また、人に言えない悩みを抱えている人などにとっては自己紹介をすることが、重荷になる場合もあるかもしれないと思いました。


日常の場面では、いつも安全に思ったことを話せるわけではありません。私自身はそうありたいと思いますが、仕事でお客様と話すとき、つきあいで年長者の話を聞くとき、力が対等ではない家族と話すとき、組織で利害が異なる人と話すとき…。
もちろん、人によっては、ほとんどの人に対して「こんなことを言ったらへんな人だと思われたり批難されそうだから話せない」という思いを持っている方もいるのではないでしょうか。

同調圧力にあらがいまくっている私としては、「それ、同調圧力だよ!」って気づいてほしいということもあるし、生きやすい世の中になってほしいから価値観の多様性を担保するために、思っていることを安心して自由に発言できるようにしていきたいです。そのための一歩が哲学カフェのようなものなのかなと思いました。また、自分自身がそのように発言し、聞くということでもあります。

エピソードとして、哲学カフェに参加しているうちに、自分と違う考えを受け入れ、また自分の思いを言えるようになり、職場でも一人で抱え込まなくなったという人がいたらしいです。
もちろん「ただ楽しくて哲学カフェに参加するでOK!!」なんだけど、そういう話は聞いてうれしくなりました。

相手を説得したり、合意を得るためのものではなくて、対話を通して相手や自分を知る哲学カフェのような場がたくさんあったらいいなと思いました。
そして、できることなら、安全に話せるという点において、会話のほとんどがそのようなものになったらいいなと思います。

実家から独立したいと考えている人がお金がなくて独立できないのを何とかしたい

2015-03-13 23:44:07 | 考えていること
土地や建物、住まいのことが気になっていたけれども、また関心が移ってきた。
「実家から独立したいと考えている人がお金がなくて独立できないのを何とかしたい。」と思うようになった。

親にお金があって家賃や生活費を援助してくれるならスムーズに一人暮らしなど親から離れた生活もできるかもしれない。けれど、援助したくても経済的にできない親もいるし、親子の仲がよくないために支援をしない場合もあるし、親が子どもを経済的に頼りにしてしまっている場合もあるし、子どもを近くにおいておきたいために独立に賛成しないなどいろんなパターンがある。
頑張って稼げばなんとか援助なしでもやっていけるかもしれない。でもそれは、何かしらの学生ではなくなって、新しく仕事を始める人や学生にはハードだ。そして、そのハードさに向き合わなければならない人とそうでない人がいる。理不尽だと思う。
お金がないと、家を借りることができない。親とうまく行かずに独立したくても、することが困難だ。親の経済力や精神状況、考え方によって、子どもの生き方は大きな影響を受けてしまう。
人生は、生まれる場所も環境も設定できず、人によっては超ハードモードになる無理ゲーみたいだという話を聞いたことがあるけど、そんな世界を肯定したくない。
子どものころに自分で世界を選べないのはある程度しかたないと思う。理想論だけじゃどうにもならない。でも、大人になって外に出てみようと思っても出られないなんて苦しすぎる。

そんなふうに思うから、独立したいと思った(若い)人が、その人に余裕ができるまで住めるような家をなんとかつくれないだろうかと思う。
シェアハウスもいいかもしれないけど、気があうから一緒に住もうと思った人たちになるわけじゃないので、巨大マンションじゃない集合住宅をそれ用に用意して、それぞれ独立した部屋に住めるといいなと思う。1部屋くらいは、共有のスペースを用意して、住人どうしで会えたり、人を呼んだり、イベントをできたり、商売をできたらいいのかなと思う。

こんなふうに思うけど、こういうのってビジネスとしてやっていけそうに思えないので、どうしたらいいんだろう。
自分がお金持ちだったり、余ってる不動産があればやりたいんだけどな。自分の生活費も何とかしないといけない状況だし。こういうのに賛同して、格安で貸してくださる大家さんを見つけられたらいいのかな。
低価格かつ、支払のタイミングは相談可にしたいけど、住人から家賃はもらうのがいいと思うし。

もともとあった、生きづらさとなんとかしたいという思いと、建物や不動産への興味を考えていったらこうなった。
生きづらさはいろいろあるけど、私には家族の問題は切実に
感じられる。親も孤独で苦しいかもしれないけど、まだそこを支援するような感じには自分の年を考えても難しいし、自分が小さな子どもに直接何かを支援するイメージも湧かない。となると、10代後半から20代、30代前半くらいまでの人に向けたことになるのかなぁと思う。

もちろん経済的に家を借りづらい人だけじゃなくて、何かのマイノリティで断られがちな人や、メンタルが弱っていて自力で物件探し&交渉&契約が難しい人とかにも役立てられたらなと思う。

形にできるかは分からないけど、この方向で少し模索してみようかなと思います。

バレンタインデーとホワイトデーについて思ったこと

2015-03-13 19:56:50 | 感じたこと
アルバイト先でテレビがついているので目に入ったのだけど、明日はホワイトデーらしい。
その番組では、お返しが気に入らないという女性や、お返しをするのが負担になってるという「不満」の声を取り上げていて、驚いた。

確かに「義理チョコ」ということばがあって、職場で他の人があげているかを気にしたりというのは私も経験があるけど、「お返しはあげたのよりも1.5倍くらい高額なものがいい」とかいう人がいてびっくりした。

話がごちゃまぜになった。

私が気になったことは2点。
☆あげたくないなら、あげなければいいんじゃないの?
☆お返しを求めるってなんだかおかしいんじゃない?
ということ。

義理チョコなんてやめてしまえばいいのになーと思う。
やりづらいとは思うけど、もらってもお返しをしないのもありだと思う。
恋人という意味での好きな人だけにあげるのではなくて、こういうタイミングにあやかって普段お世話になっていて何か贈り物をしたいと思っている人にプレゼントを渡したり、メッセージを送るのはありだと思う。

でも、周りがやっているからと、特に積極的な気持ちも湧かないのに、バレンタインでチョコなどのプレゼントを送るのは、この時期を当てにしているお菓子屋さんくらいしか喜ばないんじゃないかなー。

そうなると、あげたんだから、お返しをもらえるのが当然と考えるのも、おかしい。
しかも、お返しはこういう品物がいいとか、こういう金額がいいとか。
そんな気持ちでいられたら、バレンタインをもらうのって全くうれしくないよー。いらないですって言いたくなっちゃうー。

とかとか、思いました。

今後仕事どうしようかな…

2015-03-02 21:19:33 | 考えていること
最近ちょっと気になる求人を見つけて迷っている。
それはやったことのない分野で、独り立ちするまでに3~5年という記載もある。
私はひとつの仕事を長く続けたことがない。続かなかった理由は様々で私のせいとも限らないんだけど、これまで7個くらいの職場にいて、最長が1年11か月くらい。

今後仕事に就くときは、半年、一年、長くて二年と考えて始めてみようと考えていた。
たまたま続いたらそれはそれでよいと。

「よし、これをやろう」と思うと、そのことばかり考えてしまうのが短命に終わる大きな理由のひとつかなと思うようになった。

いくらよい仕事でも、ちゃんと休んで、眠って、大切な人との時間をとって、違うところへの好奇心もはばたかせていないと、私は結局だめになるんじゃないかと思う。エネルギーの分散が必要だ。

そういうわけで、未知の分野に取り組むときは、全力でいかないといけないとも思うんだけど、すべての力を仕事に注いじゃいけない気がする。

もしくは仕事も、複業という気持ちでいろいろやるつもりでいたほうがいいのかも。

困ったなぁ。さすがに、今後ずっと、1、2年単位で仕事を変えていくのも、それはそれでハードだよなぁ、と思い始めてきた。「これができます!!」と自信を持って言えるものがないっていうのも不安要素。少なくとも今はまだ自分主体で事業をおこすって感じでもないし…。
もし、続かないとしても、試しにやってみるしかないかなぁ。

あと、やっぱり、自分がこれはいいことだと思えることじゃないと気持ちが持たないので、接客バイトとかはめっちゃ受かりそうだけど、気が進まないなぁ。
ライスワークだと意識してしまうものは、すぐ辞めたくなってしまう。
生きていこうという意思が弱いので、お金や生活のために働くことが困難だ。

そもそも、生きていこうという意思が弱いから、将来を考えたくなくて行き当たりばったりなんじゃないかとも思う。
それはそれで面白みもあるけど、今後はどうしたもんかなぁー。