とろける。

感じたことや、思いついたことを書いています。

奥さんがすごいんだよって、違うんだよー

2018-07-07 22:33:12 | ポリアモリー
私のだんなさんには恋人がいる。私とだんなさんは仲がいい。だいたいその恋人さんとも仲がいい。
それを聞いた人の反応は様々だ。
ときどきだんなさんは、「(それを認めてくれている)奥さんがすごいんだよ」とか「奥さんに感謝しなきゃだね」などと言われ、恋人さんも「奥さんに感謝だね」などと言われるようだ。
私は、ときどき「献身的な妻」などと言われたりする。
誤解が極まると、「だんなさんに説得されてしまったかわいそうな妻」扱いになってしまう。

おーい、そうじゃないよー。そうじゃないんだよ。

まず、私には恋人がいないけど、だんなさんに恋人がいることについて説明したい。
それは単に、私が他人と持続的に親密になるのがあまり得意じゃなくて、あんまり恋をしないから、現状恋人がいないだけだ。私が誰かと恋人関係になるのを認められていないわけではない。だから、もし私が誰かと両想いになってつきあいましょうとなれば、それはそれでOKなのだ。


でもそのくらいの説明じゃ実際は「いやいや、そうはいってもやっぱりすごいよ」などと言われてしまう。

なので、ここに至るまでの考えの変遷を書いてみたい。
だんなさんと付き合っていく中でいろいろなことを話した。
恋人がいるなら異性(異性ってくくりも変だけど)と2人でごはんやお出かけをしちゃだめという考えの人たちがいる。浮気はどこから?というのに近い話だ。
まず最初はこれに違和感があった。私は気の合う人と2人でいろんなことを話しながらお茶をするのが好きだったから、異性と2人ででかけちゃだめってなったらやだなーと思った。だってそうなったら人類の約半分と仲良くすることができないんだよ!窮屈だし、縛られたくないなと思った。

それとは別にプライベートまで駆け引きをしたくないね、空気を読みたくないねという話をしていた。それは特にいまのだんなさんが思っていたことだった。エネルギーを費やせば察することもできなくはない。でもそれは仕事だけで十分。恋人間でもそれをやっていたらぐったりしてしまうから、だまってても分かってほしいと求めるのはやめよう、何でも言おうということにしていた。

だから、話にタブーはなかった。
浮気ってほんとにいけないのかな?浮気されたらどんな気持ちになるのかなという話もできた。

そのころ私が浮気(他の人とのセックス)をした。
いまのだんなさんは、自分の恋人が他の人と仲良くしているのが嫌だなどということはないな、恋人が楽しくしていたらそれでいいと思ったようで、そう話してくれた。

それ以降は伝えてくれるなら、お互い浮気はOKという感じでつきあっていた。
自分がいることによって相手を束縛したくないという気持ちが当たり前になってきていた。
また、世の中の風潮や常識と違っていても、自分たちなりの判断をして生きていこうと思うようになっていた。

その頃はまだ、同時に複数人と恋人になるというイメージが私たちの中に存在していなかったから、それぞれ別の恋人はいなかった。でもここまできていれば、今の状態も何ら不思議ではない。新たに好きな人ができたら、どちらの人も愛したらいいじゃないかと思う。そして現在がある。


だから、もし褒めてくれるとしたら「こういうものでしょ」という常識に寄り掛からずに、自分たちがどう生きたいのかを地道に考え続けてきたことを褒めてほしい。
ひとつひとつ、何かこれはおかしんじゃないかということに気づいたらそうするのをやめてきたその積み重ねで今がある。

何だかストイックそうに見えちゃうけど、楽な形を模索してきた結果なのだ。

私は我慢したりしていない。だんなさんにはめっちゃ甘える。
ごくまれに自分がかまってほしいときに、だんなさんが恋人とコミュニケーションを取っていることはある。でも、四六時中かまってもらえないのは、恋人さんがいるからではなくて、仕事をしているとか、1人で考えごとをしているとかいろいろある。24時間いつでも自分が望んだときにかまってくれたらもはや奴隷みたいじゃないか。そうなったら、私だって他のことをしているときにいつでもだんなさんのために中断せざるを得なくなる。それは幸せじゃない。私たちにとっては恋愛だけがすべてじゃない。

私が一方的に我慢しているわけではないのだ。というか我慢とかまったくしていない。だから、「奥さんに感謝だ」などという、非対称的なことを言われるとびっくりしてしまう。献身的な妻じゃないからね、よろしくね。

ポリアモリーは性質なのかライフスタイルなのかという問いについて

2016-06-12 18:28:31 | ポリアモリー
ポリアモリーの話をするとき、それはもともと持っている性質なのか、選び取ったライフスタイルなのかという話にたびたびなるが、それについて思い浮かんだことがあるので書き留めてみたい。
結論だけ先に言ってしまえば、性質と言いたい場合に「複数の人を好きになってしまう性質」ではなく「複数の人を愛せる性質」と言ってもいいんじゃないかということ。

ポリアモリーは性質だと言うとき、「性質だから仕方ない」「ひとりを愛そうと思っても、好きな人が何人もできてしまう」「やりたくてやってるわけじゃない、選んだわけじゃない」という主旨の発言を耳にすることがある。
それは、本人も悪いことだと思っているけどどうにもならないんだという当事者の発言のときが多いようだ。
(もちろん、特にネガティブなイメージではなく、性質だと思うという発言も聞く)

それに対して、性質だから仕方ないというのは責任逃れだと批判したい人が「ポリアモリーはライフスタイル」だと言いがちなイメージがある。
また、ポリアモリーやってる自分ステキかっこいいと自意識高めに思っている当事者も言いそうだなーと思った。
あ、いや、「そうなっちゃうから仕方なくじゃなくて能動的に選んでいる」ことを伝えたくてライフスタイルだと言うひともいるか。


それを踏まえて私が新たに思ったのは、問われたときの答えとしては「性質」もしくは「性質+ライフスタイル」はあるけど「ライフスタイル」のみってのはないんじゃないかなーということだ。

ライフスタイルとして実践できているのなら、それは複数人愛することができる性質を持っているのではないだろうか。
自分から何人も好きになったのではなくて、人から愛されたのをきっかけに愛するようになったら複数人になる人もいると思う。きっかけは自分からでなかったとしても、複数人を愛するようになった、愛することができたのなら、そういう性質があったと言っていいと思う。


※「性質」と「性質+ライフスタイル」とふたつ書いたのは、ライフスタイルってのをどう考えるかによるなーと思ったからだ。
ポリアモリーなライフスタイルというのは、その時点で複数の恋人がいて「実践中です」みたいな場合を指すのだろうか。もしくは、過去に複数の恋人がいて、いまはいないけど、またそのうちそうなりえると思っている状況のことも指すのだろうか。どちらでもかまわない。
自分は複数人を愛するような気がしているけれども、まだ同時に愛したことがないとか、同時に複数人と両想いになったことがないとか、同時につきあったことがないとかは、そうだと表明しない限り外からは分からないから、ライフスタイルとは言わなそうな気がする。


そんなわけで、ちょっとネガティブなイメージを持たれがちな印象のあった「ポリアモリーは性質」という考えを、ネガティブなことではないんじゃないかなということを思ったのでした。
「複数の人を好きになってしまう性質」じゃなくて「複数の人を愛せる性質」。
マイナスに言われているなという印象があったので肯定してみたけど、別にプラスでもマイナスでもなくフラットでいい気がする。
別に複数の人を愛せたほうがいいというわけではないし、愛の中身も多様だと思うし。

そして、この問いに決着をつけたいと思う必要のない状態が生きやすくていいんじゃないかと思います。


嫉妬について

2016-04-27 07:18:45 | ポリアモリー
だんなさんがポリアモリーで恋人や好きな人がいると言うと「嫉妬しないんですか?」と聞かれることが多いので、嫉妬について整理してみたい。
あくまでも私自身の話です。

文中で出てくる「メタモア」というのは、パートナー(恋人、夫、妻…)のパートナーのこと。


思い返してみて、嫉妬で苦しんだことはほとんどなかった気がする。
自分がかまってほしいタイミングで彼が他の人と会っていて淋しいと思うことはあるが、それは仕事が忙しくて一緒に過ごせないからつらいのと同じような感じだ。他の恋人と会っているから嫌だという気持ちにはならない。

急に会いに行くことになると、友達だと「今日じゃなくてもいいのに」とか思ってしまうこともあるが、恋人だったら気前よく「行ってらっしゃい」という気持ちになりやすい。

恋人や好きな人については、彼からいろいろ話を聞いているので、私もメタモアを愛おしく感じていることが多く、彼女たちにも幸せになってほしいなと思っている。
私の場合だけかもしれないが、彼が好きになる方は、何かしら自分と似ている部分もあるような気がして、共感することも多い。

メタモアのことを何も話してもらえてなかったら、不安や、嫉妬も生まれてきたかもしれない。
彼がその方にどんな気持ちを抱いているのか、どんな関係なのか、どんなふうに過ごしているのか…。全部じゃなくても聞けたほうが私はうれしいな。


こんな風にメタモアと彼の幸せを思えるのは、彼と私の関係に安心感があるからだと思う。
「もし彼が他の人を好きになったら、自分は振られてしまうだろう、ないがしろにされるだろう」と思っていたら、私だって心穏やかではいられないだろう。

先々のことは本当には分からないけど、これまでやってきて、彼とは何となく大丈夫な気がしている。
だから、メタモアに嫉妬することもないのかなと思う。


ここまでの嫉妬の話は英語で言えばジェラシー(jealousy)についてだったと思う。恋人を独占できないことや、奪われる不安での嫉妬の話。

でも嫉妬にはいろんな種類があって、「うらやましい」(エンヴィー(envy))という感覚もそのひとつだ。
実はエンヴィーは感じることがある。
「仕事で同期が自分より成果を出してて悔しい」みたいな、何かに秀でていて活躍している人をうらやましく思ったりする感覚だ。

「くぅぅ、だんなちゃんがモテモテなのがうらやましい!」と思わないことがないわけじゃない。
だからといって、自分から人と親密になろうとするモチベーションはあんまり上がらないし、対抗して恋人を作ろうとするのは、その相手になる人に失礼だし。「たまたま人を好きになったらでいいや」なんて思う。

とは言え、たくさんの人から好かれたり、信頼されているのを見ると、自分がそうじゃないことを感じて「そういうふうにできる人はいいよねぇー」などとコンプレックスの混ざった、ネガティブなことを思うこともある。
でも、落ち着いて考えれば、自分が何かダメなわけじゃないと気づくし、人と仲良くしたかったら行動しようよっていう話なので、羨望はおしまいにできる。


さらに言えば、もし嫉妬(jealouosyでもenvyでも)したとしても、「だから相手の行動を制限していい」とは思わない。
他人には他人の人生があり、パートナーだからといってその人の考えや行動を制限する権利なんてないと思う。

それは、「どうするのも私の勝手だ」という自己主張ではなくて、相手の気持ちをないがしろにしないけど、自分の人生は自分の人生だし他人の人生は他人の人生だという切り分けが必要だと思う。
一人でも楽しいけど、一緒にいたらもっと楽しいという状態でいたいな。



参考記事
「恋人は「思い通りになる人」じゃない」http://fuduki-ren.hatenablog.jp/entry/2014/08/05/102530
「嫉妬について」http://fuduki-ren.hatenablog.jp/entry/2015/11/30/001836

私が「ポリアモリーですか?」と聞かれたら

2015-10-15 21:40:06 | ポリアモリー
だんなさんがポリアモリーなので、最近取材をしていただいたりしてまして、あなたもポリアモリーなの?と思われそうな感じなので自分のことをちょこっと書きます。

ポリアモリーとも言えるし、でなないとも言える感じです。
現状、複数の方とつきあってるわけじゃないし、過去にも同時に複数の方とつきあってたこともないので行動としてはポリアモリーしてないです。
ただ同時に好きになったりくらいはあるので、今後ありえるかなーという、可能性とか傾向で言えばポリアモリーかなと思います。

(ただ、あんまりたくさん恋に落ちないし、気になる人がいてもぼんやりしているうちにタイミングを逃しがちなので新たな恋人はなかなかできないかもだけど。でもそのあたりはポリアモリーがどうとかじゃなくて単に人それぞれだと思ってます)

参考記事
動画ありネット
雑誌のネット掲載

『ポリアモリー 複数の愛を生きる』を読んだ。

2015-06-25 21:23:08 | ポリアモリー
深海菊絵さんの『ポリアモリー 複数の愛を生きる』を読んだ。
まずは本が出版されたことに感謝。
140字以内SNSに挙げた感想を並べておこうかな。

「ポリアモリーを実践しよう→パートナーをみつけよう」と考える人たちがいることに驚いた。選び取るライフスタイルなのかなぁ。
自分の身近では、「恋愛が1対1じゃないといけないのってなんだか変だよなぁ」「複数の人を好きになっちゃったけどいけないことなのかな、どうしよう」という人たちが、そういう生きかたもありなんだと思える概念のように思っていた。

複数を好きになっちゃったところから始まるもので、「よし、始めよう。実践してみよう」というはちょっと違和感。モノガミーの恋愛も、「つきあうってすばらしい。恋愛を実践してみよう」って始める人いるのかなぁ。
まあでも、結婚したいとかセックスしたいとかで恋人募集する人もいるし、恋人ほしいって世間ではよくある話っぽいので、理由はちょっと違うけど、ありえる話か。

メタモア(自分のパートナーのパートナー。自分のパートナーを共有する人)ということばは、初めて知ったけど、そういうことばを持ってなかったので便利かなとおもった。

ポリアモリーの区分として第一、第二、第三パートナーということばが紹介されていた。恋人になった順ではなくて、同居して金銭や子育てをする第一、住居や金銭は別にする第二、デートするが日常を頼りあわない第三。それぞれの区分に複数人がいることもありえる。文字数で雑だが、ほへーした。

そういえばポリアモリーの本を読んだ時や、いろんな家族があっていいみたいに思うとき思い出すのは、昔NHK教育でやってた『フルハウス』っていうアメリカの連続ドラマ。大人の男の人3人と女の子たちが一緒に住んでて、当たり前のように家族してる。血縁のない人と住むのはおかしいとか思わんかったな。

ポリーラウンジ感想

2015-01-16 22:08:34 | ポリアモリー
先週末に「ポリーラウンジ」というイベントに参加しました。
その感想を書き留めておこうと思います。
用語については、専門的に知っているわけではないので、まちがいもあるかもしれません。
プライバシーにかかわることは書いてないと思いますが、もし問題がある方がいましたらお知らせください。

今回参加したのは、「ポリーラウンジは、ポリアモリー/ポリガミーフレンドリーな、年齢・セクシュアリティ不問の交流会です。ポリーでない方も歓迎です。」というもので、学問的に議論をするというもののでも、恋人をつくるための出会いの場というわけでもなく、普段感じていることや気づき、抱えている問題などの話をしたり、聞いたりする場というイメージです。

ポリアモリーというのは、ざっくり言うと、同時に複数の人と恋愛関係を持つことだと私は認識しています。だいたいは、恋人は別の恋人がいることを知っていてOKしているのかな。

ひとりの人だけを愛さなければいけない。そうじゃないのは、浮気や不倫だとマジョリティの倫理規範で咎めるのではなく、もし複数の人を好きになったらどうしようかなと想像してもらえると話をする余地があってうれしい。

私は現在、恋愛感情はパートナーひとりにしかなく、特に新しい恋人を求めているわけではないのですが、過去を思い返してみると、何度か同時に複数人を好きだったことがあるような気がします。そのときは、ポリアモリーという概念も知らなかったので、同時に複数つきあうことはありませんでした。でも、今後は、もし誰かを好きになったら、ありえるかも~とぼんやり思っています。


以下は感想等をぽつぽつとメモ。

・ポリアモリーは「その人の性質や性指向に近い」と考える人と、「その人の選び取ったライフスタイルや主義である」と考える人がいるらしい。私や私の知っている人たちは、性質や性指向に近いと思っていたので、選び取ったものだという考えは新鮮だった。

・自分自身、複数を好きになることがあるけれども、倫理的にではなくて、やりくりができないと考えて、実践に移さないという方もいた。複数人とつきあうのは、時間・金銭・精神面などの調整がなかなか大変そうではある。

・よく複数だと時間のやりくりが大変と思われる。しかし、時間の配分というのは、恋人間だけではなく、仕事や友達づきあい、通院などいろいろなもののうちのひとつだ。仕事がめちゃめちゃ忙しいと、「私となかなか会ってくれない」となりやすいが、他の恋人のせいというよりは、仕事が忙しすぎると考えられる。

・とはいえ、時間があって、いくらでもそれぞれの恋人と会えれば問題ないが、時間もお金も限りがあるので、ある程度はかたよる。ひとりのパートナーとだけ一緒に住んでいたら、生活の基盤はその人とがメインで、たまに「今日は誰々さんとデート」という日が発生する感じ。誰とも住んでなくて、それぞれにたまに会うという人もいるだろう。メールやチャットで話すのが苦手な人はやっぱり直接会う機会を増やしたいだろうし、チャットでも話せてうれしいという人や遠方の人とはたまに会うでよいかもしれない。お金も、同じくらい稼いでいる相手ならいつも割り勘でもいいかもしれないけど、若くて経済的に自立過程の人やあんまり稼いでいない人との時には多く払うかもしれない。
時間やお金、コンタクトの取り方も、それぞれに合わせていけばいいと思う。毎日ずっと独占したいというのは無理だけど、なんとかやりくりしていけたらいいな。

・「ひとりに注いでいた愛が、ふたりを愛することになると半分ずつになっちゃうんじゃないの」と言われることもあるらしいが、そういうものでもないらしい。時間やお金は分けていくことになるけど、気持ちが減っていくものではない様子。例えばあるカップルに子どもがひとりいて、次にもうひとり生まれたときに、愛が半分になるってわけではなさそうというとイメージしやすいかな?

・ポリアモリーの人は「本当の愛を知らない」って言われることがあるらしい。しかし「本当の愛」ってなんだろう。言われてみれば、ひとりだけを愛すればそれは本当の愛と言えるとは思えない。自己犠牲で尽くされても重たかったりするし、何があっても相手のことを否定しないってのも違う気がするし…。周りを見ていると、友人を思いやる心とのグラデーションのどこからが愛なのかよく分からないし、あんまり厳密にしなくてもいいかと思うようになってきた。性の対象に対する愛が恋愛なのかもとも思うけど、アセク、ノンセクといった方もいるようなので、性だけとも言えないなぁと思います。

・小学生くらいまでの小さい子には、「○○ちゃんと、××ちゃんと、△△ちゃんが好きー」って言う子がけっこういる気がするんだけど、もしかして世間で言われているよりもっと多くの人が本来はポリアモリー的だったのではないかという仮説が湧きあがった。育っていく過程で、早く恋人ができた友人を見たり、両親を見たり、漫画やドラマに接しているうちに「こういうものだ」とひとりの相手とだけ恋愛するのが当たり前のように思えてくるのではないかとも考えられる。その「こういうもんだ」にどうしても乗っかれなかった人が少数いるのではないかなぁ~。突き詰める気はないんだけど。

・もちろん一夫一婦制がメインの世の中なので、ひとりのパートナーと生活をしていくのが一番無難だとは思う。社会保障は世帯ごとになっている。扶養控除とか、配偶者控除とか…。(私は、最近夫婦で一緒に住むようになって、世帯をひとつにしたら、私の分の国民健康保険の納税義務者が夫で、夫宛てに通知が来ることにとてもびっくりした。いや、私の分の国保ですけどって思った。)社会保障が世帯単位ではなく、個人単位になったらいいねという意見があって、そうだな!って思った。親子がうまくいかない例を見ていると家族で助け合えってのは本当に暴力的だなとも思うし。世帯とか家族とか血縁とかがもっと薄まったらいいな。

・ポリーラウンジは、まわりに理解してくれる人がおらず、ぽつんとひとりで悩んでいる人が安心して話せる場として貴重だなと思った。もちろん、悩んでいなくても、だれかれかまわず話せることではなく、外で話すと面倒なことになるときもあるからよいという意見もあってそうだなと思ったし。他の人の実例や工夫を聞くこともできる。

・自分の価値観を押し付けたり、自分と違うと否定するような人はいなくて、とても話しやすかった。いろんな方がいて、とっても面白かった。

リンク
ポリーラウンジtwitter : https://twitter.com/poly_lounge
「ポリラン」と略して呼ばれることも多いので、twitter内で検索するといまなら他の方の感想も見られるかもしれません。
ポリーラウンジfacebook : https://www.facebook.com/polylounge?fref=ts
ポリアモリーとは:http://ja.wikipedia.org/wiki/ポリアモリー