とろける。

感じたことや、思いついたことを書いています。

読み途中の『反共感論』に対する個人的な感想

2020-10-28 10:56:19 | 感じたこと
 ポール・ブルーム『反共感論』を読み進めている。
http://www.hakuyo-sha.co.jp/psychology/against-empathy/
 今まで読んだ部分をざっくり説明するとこんな感じ。
 他人の立場に身を置いて考えようという姿勢はよいものだとされることが多い。共感する気持ちがあれば凶悪な事件は起こらないと考えている人もいるだろう。だけど、共感には副作用がり、共感に頼らないほうがよい社会を築けるのではないだろうか。

 私自身がおおまかに著者の考えに近いのもあり、自然と納得しながら読んでいる。読み進めていたところ、自分の個人的な悩みに対するヒントを得られたので書き留めておきたい。

 この本ではまず共感をおおまかに2つに分けることをメモしておこう。
 他者が経験していることを自分も経験しているように感じる共感と、他者の心のなかで起こっている事象を感情を挟まずに理解する共感がある。ここでは、今まで読んだ部分に主に関係する前者の共感(他人の感情を自分でも身をもって感じる共感)についての話の感想になる。

 「第4章 プライベートな領域」の中から印象に残った部分をいくつか引用してみよう。
 「他者の感情に波長を合わせることに対する天性の能力を持つ心理療法士」とされるハンナは「他者に対する配慮は好みによるものでも敬意によるものでもな」く、「抑えようのない共感に駆り立てられている」。
 『「過度の共同性」尺度のスコアが高い人が、他人の問題について聞かされてから数日後に面談を受けると、それに関してまだ心の動揺がおさまらず、侵略的な思考に悩まされ続けていると回答する割合が高いという、別の研究による報告もある』
 「過度の共同性は共感、もっと正確に言えば共感的苦痛、つまり他者の苦しみに苦しむことにより強く結びついている。」
 「ハンナの問題は、彼女の気づかいが、苦痛に対する感受性に駆り立てられている点にある。」
 「共感とは対照的に、思いやりは他者の苦しみの共有を意味しない。そうではなく、それは他者に対する温かさ、配慮、気づかい、そして他者の福祉を向上させようとする強い動機によって特徴づけられる。思いやりは他者に向けられた感情であり、他者とともに感じることではない」
 「実のところ、私たちの多くは、共感反応を抑えられないために、セラピストという職業には向かないはずだ。」
 「過剰な共感は人を麻痺させるからだ。私を助けてくれるはずの人が、私の痛みを感じて耐えがたく重い、歩み去ってしまったなどということにもなりかねない。」
 「ある実験では、他の個体が痛みをもたらす電撃を受けずに済ませられるとうにする棒を押すべくラットを訓練した。ラットの中には棒を押さない個体もいた。だが行動を起こさなかった理由は、自分と同じ動物種の他の個体に無関心であったからではなく、その状況に圧倒されたからである。この研究の著者によると、これらのラットは「苦痛を感じて鳴き声をあげはね回っている個体からもっとも遠ざかる箱の隅に引きこもり、うずくまってじっとしていた」のだ。」(「幕間Ⅱ 道徳基板としての共感」より)

 
 自分の話になるが、私は世界が生きやすい社会になるような仕事に頭の片隅で惹かれている。けれども、医者とかカウンセラーとかソーシャルワーカーなどの仕事は自分にはできなさそう、しんどくなってしまいそうで取り組めないと感じていた。
 また、私は共感力が高いと言えるのかもしれないが、他人の感情に影響されることが多い。影響されるとしばらくぐるぐるそのことについて思い巡らしてしまい、かといって何か行動できるわけでもない自分がいやだと感じていた。とはいえ、他人の気持ちに寄り添えるのは自分の長所のように感じてもいた。

 この本の中で他人に親切にするのに、他人の気持ちを自分でも同じように感じるような共感は必要ないと書かれていることが自分を楽にさせた。そのような共感をしない思いやりが挙げられていて励まされた。
 また、苦痛を感じて動けなくなってしまうのが私だけの反応ではないことを知って安心した。罪悪感が減った。
 どうやったら自分が共感反応を抑えられるのかは分からないが、認識が更新されただけでも一歩前進したと思う。これからはどうやったら過度な共感に振り回されずに思いやりを持って行動できるかを探っていきたい。

芸能人を自分たちとは別の生き物だと思うのはもうやめよう

2020-10-03 18:33:56 | 考えていること
最近聞こえてくる芸能人の方のニュースに心がざわざわする。

自殺、犯罪、結婚……。

最近のニュースでは結婚相手が「一般人」だと報道されていて、違和感があった。
芸能人は一般人ではないの?一般人って何?
それはなんだか、一般人である私たちとは別の生き物だと言っているように聞こえて居心地が悪かった。
そしてそれは「私たちとは違うから何を言ってもいい」という感覚に繋がっているような気がする。

自分には何の影響もないのに芸能人や有名な方に何か問題があったときに、言いたい放題批判をするのをネットや現実世界で見かけることもある。
その声はその人にも届いて必要以上にその人を傷つける。

芸能人のやっている仕事は、例えば食料や必需品を作ったり、人のお世話をする仕事と比べて目立つ。憧れられることも多い。
「やりたい仕事についてちやほやされているんだから、何を言われてもしょうがない。」そんなのはおかしいと思う。それは、自分と他人の人生を慈しめない人の発する呪いの言葉だ。

人間の種類に線を引いてああだこうだ言うのはもうやめたいし、やめてほしい。