とろける。

感じたことや、思いついたことを書いています。

資格試験に思うこと

2016-03-18 21:12:35 | 感じたこと
試験運営の仕事をした。
試験の会場では受験者の張りつめた雰囲気に圧倒された。

失敗したらどうしよう。落ちたらどうしようという緊張が伝わってくる。

資格は持ってないのがデフォルト、プラスアルファで取れればいいという認識でいられたら楽なのにと思ったが、なかなか難しそうだ。
生活がかかっているし、受験に向けての費用や勉強にさいた時間もある。
ここは何としても受かりたい。
そう思っているのかもしれない。


試験は公正でなくてはいけない。
だから、不正できないように、がっちり監視している。

人が人を管理し、監視する。
その状況に「うっ」となった。
監視する人と監視される人。

でも、その状況を越えて試験に受かれば、知識や技術を持っていることが証明されて、胸を張って自分の能力をアピールすることができる。
そう、きっと、そもそもは、試験は前向きなものなんだ。
「落ちたらどうしよう」ではなく、「受かったらいいことがある」もの。


複雑な気分だった。
みんな受かって!受からなくても力を出し切って!と願った。

しゅんとすること

2016-03-18 20:46:33 | 感じたこと
友達に遊ぼうって言ったら、仕事や用事があって振られて、あと風邪ひいてるんだから治さないとって言われて、しゅんとした。
私にはめずらしい感覚だなと思った。

願いがかなわなかったときに、しゅんとする、すねる、むくれる、だだをこねるという行為。
私にも、まったくないわけじゃない。
でも初めて恋人ができて、しばらく経って甘えられるようになるまで、そういうことはしなかったな。

他人に甘えるってことが、自分には許されていないように感じていたのかもしれない。映像で見るフィクションの物語のように別世界のものだと思っていた。
自分が人から愛されることがありえるだなんて思っていなかったから、他人との関係で何か自分の願いが叶うということがイメージできなかった。

願いが叶わないことが当たり前だと思っていたら、しゅんとしてみせるとかすねるとかはまあしないよなって思う。
そうやって人に甘えることができるようになってよかったなと思う。

と言いつつ、落ち込む自分を見せつけて相手に甘えるのは、ちょっと暴力的な行為でもあるよなーって思った。
突き詰めれば、相手がしゅんとしてても、泣いてても、どんな対応をしてもいいはずだ。でも、しゅんとしたりしてることで、優しい対応を引き出せてしまったりする。優しくしなきゃって思わされたりしちゃいがち。

だから、コントロールできない振る舞いは仕方ないんだけど、あんまり正当化しないほうがいいかな、ほどほどにしておいたほうがいいかなって思った。

土足で他人の心の中に入って来ないで!という気持ち。

2016-03-18 20:41:02 | 考えていること
先日、親戚の葬儀に行った。
自分は親と会うのがしんどくて、その旨を伝えていて、長らく会わないようにしている。そのうえで時間をともにした。
お通夜や告別式などは参加し、会食などは遠慮させていただいた。

事情を知らない親戚の方が、何で帰っちゃうのと何度も聞いてきて、困った。
こちらから親も親戚も苦手だと言うわけにもいかないし。
何とも言えへんということを察してくれないかなーと思った。

その時に、昔よく感じていた「土足で入ってこないで」という感覚を思い出した。相手の気持ちも考えずに遠慮なく踏み込んでくる人が憎かった。


いまの私は、思っていることを素直に話したい性格だ。
上手な嘘なんて不得意だし、うまいこと話したいともあんまり思わない。

でも、思っていることを口に出すことで、相手が嫌な思いをすることもある。
どうしたらいいのかな。

そもそも、他人が何を思っているかは正直分からない。
「本当にそう思ってる?」と聞いてもそれは確かめられるわけじゃない。

分からないからといって、勝手にこれは言っちゃだめだと判断してもおかどちがいなこともあるし、ムダになった配慮がかえって誤解を生むこともある。

でも、自分が想像もしないことで傷つく人もいる。

そうなると、何も言えないじゃんってなってしまう。
でも何も言わないと何も生まれなくて。

妥協かもしれないけど、その可能性を頭の片隅に入れておけばいいのかなって思った。
「自分は素直に疑問に思っていることだけど、相手はしんどい可能性がある」ってことを考慮することが大切なのかな。

ためらいを感じつつ話してみるくらいが自分にはちょうどいいのかもしれない。