とろける。

感じたことや、思いついたことを書いています。

身内の子だけじゃなく面倒を見ていきたいと思った

2018-08-19 20:38:48 | 考えていること
今年は大企業に勤めているので、9連休という長い夏休みでした。
最後の3日間は、友人と友人の子ども2歳と旅行に行ったり、私たちの家に泊めたりしました。

外でその子の面倒を見ていると、私がその子の親の親戚や姉妹だと思われたりすることがあり、以前別の友人の子どもの面倒を見ていたときもそう言われたことがありました。

やっぱり、子どもの面倒は血縁者が見るものと思っている人がけっこう多いのかなと思いました。

最近の私は全体的にやや子どもにモテるようになってきたみたいで、昨日行った古材や古道具を売っているお店では初めて会った兄妹になつかれて、ちょっと疲れたけど面白く、楽しかったです。

身内の子どもだけとか、知人の子だけ、地域の子だけ、同じ国の子だけじゃなくて、たまたま機会があれば誰の子でも面倒をみたらいい気がします。

理想を言えば生きている人全員がしあわせでいてほしいと思うので、できる範囲で人に親切にしていきたいと改めて思いました。

ココロはどうしたら自由になると思いますか

2018-08-03 19:19:31 | 考えていること
お題箱に「ココロはどうしたら自由になると思いますか。」というお題をいただきました。
厳密に考えると、ココロって何?自由って何?という問いに答えていかないといけない気がしますが、ココロが自由になるためにどうしたらよいか私が思い浮かんだことをゆるい感じで話してみようと思います。

その最初の一歩は「感じた違和感をなかったことにしない」ことかと思います。
生きて他の人と関わっていると、ときどき「えっ、そんなことする?」「そんなこと言う?」と思う行動に出くわし、驚いたり、いやだなと思ったり、傷ついたりしませんか。

もちろんその場でその方とやりとりをして解決できればいいのですが、私はその場でははっきりと何がいやなのか分からずに対応ができず、あとで怒りにかられたりします。
そして、少し時間が経ってから、やっぱりそれはいやだったな、こんなふうにいやだったなというのが整理されて「今度そういうことがあったらこのように対応しよう」とか「自分はこういうことはしないようにしよう」というふうに落ち着いてきて、自分の生きる方針が見えてきます。
漠然と怒りにかられたり、仕方ないと抑え込むのではなく、何がどういやだったのか分かりたい。

どんな対応をしても分かり合えないだろうという人と話をしても消耗するので、直接自分がいやだと思う行動をとった人に働きかけることはしなくてもいいと思いますが、「そういうことが起きても仕方ない」「そういうことをされても仕方ない」とは思わないようにしていきたいと思います。
「世の中そういうもんだ」という考えには極力沿わないようにしています。すぐじゃなくてもそのうち変わるかもしれないし。あきらめ悪くいたいと思います。

ここまでが、違和感についての話でした。
ちょっとかっこつけて、違和感の芽を摘み取らないようにしようなんて言ったりします。

あとは、世界を知ろうとすることでしょうか。
実家にいた子供の頃は、親と学校の人くらいしか知らなくて、とても窮屈だったと思います。
実家を出て、知らない人たちの中に入ったらだいぶ楽になりました。
本を読んで、これまでの関わりの中では誰も語ってくれなかったけれどとても共感することばに出会ったり、時代や地域が変わると文化がすごく違うことを知ったりしました。身近な社会の常識が絶対だなんてことはないんだと本当に思いました。

いろいろな場所や考え、生きかたがあることを知ると、ここだけじゃないということが分かり、選択肢が増えます。選択肢が増えることは、自由になることに近いのではないかなと思います。


そして、感じたことを書いたり、話したりすることで、自分の考えや気持ちをより理解できるような気がします。
自分のことを知ると、どうしたいかが分かって進む方向が見えてくるんじゃないかなと思います。

自由で居続けるために、一度決めたことや他人の言う通りにするのではなく、こういったことを地道に繰り返して、自分の考えを更新していくのがよいのかなと思います。

(何だか書いていてちょっと恥ずかしくなってきました。
読んでくれた方の感想や考えがあったらぜひ聞いてみたいです。)