とろける。

感じたことや、思いついたことを書いています。

愛着障害の本を読んだ

2014-07-16 22:15:21 | 自己紹介
最近出会った、岡田尊司さんの本『母という病』『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』『父という病』をすがるように読んだ。

自分が該当すると思うと同時に、自分はそうではない例も、苦しい状況が目に浮かび、そういう人もいるだろうと、心に突き刺さる。

闇の中で何に向かって戦っているのか分からずにもがいてるところから、光が差して戦っているものの形や状況が見えてきた。
自覚できるようになる、俯瞰的な視点を持てるようになる、道しるべを見つけられるってすごいことだ。
そこから、始まり、一歩を踏み出せるように思う。

自覚から先も大変なんだけど、自覚しないよりはましだと思う。自覚してないと、次の世代に悪気なく連鎖させてしまうし、周りの人も自分のことも受け入れなくて、より困難な道を進みそうだ。

誰かひとりが悪いわけじゃない。親もその親との関係で苦しみ、もしかしたらまたその親も…、と思う。
とは言え、自分が苦しんだことについては、憎しみも手放せず、とにかく関わりたくない、これ以上傷つきたくないと思う。
と言いつつ、親をdisってしまった罪悪感は消せない。
とにかくしばらく会いたくない。ようやく、健康になりかけてるのに、やっていけるような気がしてきたのに、考えるだけで苦しい。

いったい、何を書いてるんだろう。
だんなさんが安全基地になってくれてて、ほんとにラッキーだ。何とか前向きに生きていけそうだと思って書き始めたのに。

彼は、私が元気な時も病める時も受けとめてくれる。ほんとに彼がいてくれてよかった。私も彼の安全基地になりたい。
そしてまた他の人にも少しでも安全基地のようなものを提供したい。

いま、カフェで長居して(あ、でも追加注文とかしてるけど)気が済むまで本を読んで、文字を書いて、泣いてる。

読んで救われる、書いて生き長らえる。それをさせてくれる場所。
それを作りたくてカフェと本屋をやってるんじゃないかなと思う。やたら交流するわけじゃないけど、その人が生きてることをさりげなく肯定したい。

その純粋な思いのかたすみに、「人の役に立ってるから私は生きてていい」という、ちょっとこじれた気持ちがいる。
他人の役に立ててない自分は生きてちゃいけない/他人の役に立ってるなら生きてていい。成果を出すなら生きてていい。

そう考え始めると、自分の能力とか体調とかを無視して働き始める。無理してるから長期的にはいい結果が出るはずはないんだけど、やれてない目の前のことを放っておくことが許せなくなってくる。

こうなりそうになったら、早急に立ち止まらなきゃいけない。
仕事をして役に立ってないと生きてちゃいけないわけがないと、落ち着いて思い直したほうがいい。
そして、「生きてていい」「丁寧に生きたい」という、お店のコンセプトも、自分が抱えている願いだということが明確になってきた。また、私が注目することは変わっていくかもしれないが、いまこれを大事にしたいということは変わらない。そして、具体的な手段として、今、カフェと本屋をやっているけれども、他の方法を思いついたら、先々他のことをやってもいいかもしれないと思う。