とろける。

感じたことや、思いついたことを書いています。

『砂漠化ってなんだろう』感想

2021-03-26 21:14:08 | 読書
岩波ジュニア新書は内容の詰まった本が多い印象だったけど、この本もそうでよかった。

砂漠に行ったことはないし、砂漠のイメージにも乏しいけど興味だけがある。
植林についても漠然と木を植えていくというイメージしかなかったが、ただ木を植えればいいというものではないということがはっきり分かった。どんな植物がその土地に適しているのかをよく知らなければ効果はうすい。場合によってはむしろ木を植えることで水が奪われてしまい草が枯れてしまって土壌の乾燥化が進むこともあるそうだ。

土壌の荒廃が二次遷移ですむ程度なら人や動物が入らないようにすれば回復するが、表土が覆われたり流されたり、塩類が集積してしまった場所を戻すのは難しい。なるべくそこまでいかないうちに手を打つのがよいのだろう。けれども人工が増加している中、放牧や耕作を減らすのは難しい。その土地の人たちの生活を悪くしない、よりましなやり方を広めていかないと、より厳しい未来になってしまう。すでにかなり厳しい状況なのだ。

短期的な成果を求めると長期的に状況が悪くなってしまうことも多いし、人工が増加していく中で長い目でやっていくには技術面だけでなく、政治や経済などの社会的な影響とも折り合いをつけていかなければいけないなと感じた。

引き続き土壌や水などの環境のことを知っていきたい。

『砂と人類』を読み始めました

2021-03-21 13:47:21 | 読書
最近は土壌や下水といったあまり注目されない環境問題に関心があって少しずつ本を読んでいる。
直近では『砂と人類』という本を読み進めている。私たちを取り囲んでいるコンクリート製の建物やアスファルトの道路、ガラスなどはすべて砂や砂利が使われている。これらは本当に大量に使われていて、材料は川や湖の底、砂浜、丘や山の表皮の下から採取している。これはものすごい規模の環境破壊だ。コンクリートの材料のことなど考えたこともなかった。あと、砂の採取を巡って殺人も起きているということが衝撃だった。
注目される環境問題とされない環境問題の違いはなんだろう。答えはいくつもあると思うけど、対処方法が分からないもの、対処するなら生活が犠牲になるものは取り上げられにくいように感じる。一般の人びとでも自分ごとにしやすく何かをやっていると感じやすいプラスチックごみの問題は取り上げやすい。取り上げやすい問題だけじゃなくて、どうしたらいいか解らない、解決の難しいけど破壊力のある問題にも注目する必要があると思う。

『排泄物と文明』の感想

2021-02-13 11:47:46 | 読書
読む動機として、ひとつの疑問があった。
排泄物を栄養として土に返さずに処理をして土壌が貧しくなることと、排泄物を土に返そうとして衛生上の問題が生じることの両方がありえると思ったが、ではどうすればよいのだろうかという疑問があった。たとえばコンポストトイレを使うとどのような影響があるのだろうと。

それについては、排泄物には毒になる要素があるので、病原体を死滅させるような適切な堆肥化が必要だと分かった。ということは、安全なものにして戻すのは土の栄養になるし、下流の水の処理や汚染、富栄養化に対しても負荷を減らせられるのだろうと思った。


この本では、いろいろな側面から排泄物について語っている。
例えば、地球上では好気性生物よりも先に嫌気性生物が発生したということは、排泄物の起源は酸素なのだ。
読むのが難しく細々と読んでしまったので忘れた部分も多いが、結論としては下記のようなことかなと思う。

排泄物のことを含め環境問題は、複雑だという認識をしたほうがよい。
何かひとつの問題を解決しようとすれば、別の問題が大きくなることが多い。
なるべくたくさんの視点を考慮しながら、どうするのがよいかを考えつづけるのがよさそうだ。

ひとつの解決法を大規模にどこの地域でもそればっかりをやると、それがだめだったり状況が変わったときに対応しづらい。
様々な解決法を様々な規模でやっていくのがよさそうだ。


個別に印象に残った話。
排泄物には薬剤や薬剤耐性菌が含まれている。たとえば家畜に与える駆虫剤が排泄物に含まれていたことで、排泄物を分解する無脊椎動物が死滅し、排泄物が分解されなくなってしまうこともあるらしい。では薬品の使用をすっぱりやめようというわけにはいかないので、簡単に解決できるわけではない一例だと感じた。

『土の文明史 ローマ帝国、マヤ文明を滅ぼし、米国、中国を衰退させる土の話』の感想

2021-01-30 13:19:45 | 読書
『土の文明史 ローマ帝国、マヤ文明を滅ぼし、米国、中国を衰退させる土の話』を読んだ。先日この本の続々編の『土・牛・微生物』を読んでこの本も読みたくなったのだ。この本も思った以上に説得力がある。

文明が土壌侵食により滅びる流れはおおまかに下記の通りだそう。
 肥沃な土地で農業を始め、人口が増える。
→土地が足りなくなって斜面も使い始める。
→斜面は浸食されやすく、土壌が浸食される。
→収量が減ったり、新しい土地が手には入らなくなって増えた人口を養えなくなる。
→文明が衰退する。

なんで痩せた土地に人が住んでいるのかということが謎だったけど、初期の農耕民が定住していく流れはこんな感じなのか。なるほど……。
不作で飢えて人口減少することはたびたびあった。人口が増えると不作になっても、他の土地には他の人がいるので移動できず、その土地で農業をしてやっていくしかなかった。そして土地にしばられるようになっていった。

植民地だった国では独立後も、よい土地は輸出用の作物栽培に使われてしまい、現地の人は作物が育ちづらい土地を使わざるをえない状況にあると知って、何だか腹立った。

太古の昔から現代まで土壌を使いはたして収量が減って飢える事態が世界各地の土地で起きている。日本にいるからか実感していなかったけど、アメリカで起きたダストボウルなどの事例からその大変さが伝わってきた。日本の状況もちょっと知りたくなってきたけど、地球全体への関心が芽生えた。

現代にはでは地球全体の規模も分かり、作物が育たなくなったからと言って他の土地を当てにすることができないことが分かった。
またこの本に書かれているような調査で、対策も見えてきている。
なんとかうまく未来の人が飢えなくてすむような地球を残していきたいと思った。

『ぼくはお金を使わず生きることにした』を読んだ

2015-08-01 15:48:27 | 読書
友人に勧められて読み始めた、『ぼくはお金を使わずに生きることにした』を読み終えた。
訳者の方も、この本に共感して訳したことがわかるあとがきでなんだかうれしかった。
忘れないように、いま頭の中にあることを書いておこう。

表紙のごついイメージから、ストイックでちょっと極端な人なのかなと思っていて敬遠してたとこもあったけど、そんなことはなかった。

お金を使わないと言っても、完全に浮世離れしているわけじゃなくて、既に作られて余っている人工のものは使っている。
それは例えば、トレーラーハウス、消費期限切れの食材、道路といったもの。

「お金なしで生活するとか言っても人口のものを使っているじゃないか」という批判もありえるけど、廃棄されるものは、廃棄されるより使われたほうがいい。
すでにできている社会のもの一切を否定するのではなくて、現実的にできる範囲で自分の信条にあったことを行っている。もちろん廃棄されるほどたくさんの物が生産されないのが一番だけど、それは少ない人数で少ない時間で一気に解決されるものではない。だからできるところからやっているのだ。

そこが最もこの本で尊敬することかもしれない。私自身は、「あれもこれもいやだ」と後先考えずに、メリットデメリットを考えられずに極端に考えてしまい、何でも否定してしまいがちなので、「理想ではないけどましなほうを選ぶ」という判断を身につけたい。「長いスパンで考えたらよくなると思える行為」を行えるようになりたい。

また、好印象だったのは、彼も試行錯誤で、これは失敗だったといっていることもあること。人生は判断の連続で、迷うことも多くて、何かを選ばなければいけないけど、選ぶと失敗することもある。だからと言って、多くの人が安泰だと考えている常識に乗っかるのではなくて、随時考えて行動する。
行動すると失敗することもあるけど、行動しないと得るものもないんだろうなって思った。

お金なしで暮らしてみる実験を書いてくれたことで、本当にいろんなことがお金を介して成り立っているんだなということに気づかされた。
著者は例えば、ペンや紙がなくてキノコからつくることもあったり、おなかがすくこともあったり、PCを充電するための電気が不足することもあったり、自転車を修理に出すことができなかったり、電車に乗れなかったり、寒かったり、靴をつくったりということをしていた。
よーく考えたら、そうなんだよね。

私はここまでのことはできないけど、やっぱり、そんなにたくさんものを持たなくていいって思った。いらないものはいらない。既に存在するものは、なるべく、捨てずに人にあげたり、もらったり、直したりしていきたいなーと思った。
たくさん消費してほしい経済の状況ってのは、やっぱり何だかおかしくなっちゃっていると思った。でも、ここで、お金や経済すべてを否定したり憎んだりするんじゃなくて、できることを行動に移そうって考えるのが今回の本で得た学びだ。

『誰も知らない』を中心とする、あかいかわさんの小説の感想

2015-07-04 16:55:41 | 読書
kindleにあがってる、あかいかわさんの短編集『誰も知らない』の感想を書こうと思う。
しかし、まだkindleにあがっていない『ねこキラーの逆襲』も頭の中に混ざりこんでしまって、ひとつひとつの小説の感想を書くことが難しい。両方交えながら思いついたことを書いてみます。(ネタばれします)

短編集『誰も知らない』(http://t.co/a1r1lk2ilX 99円)には、8作品の短編が入っている。


【さまざまな現実に対する怒り】

感想を書こうと思ったときに思い浮かんだ作品は、『ホット・ディスク・イン・ザ・レイン』と『鳥鳥鳥』。
主人公たちは怒っても仕方のないもの、他のたくさんの人はそれについて何とも思っていなさそうなものに怒っている。

『ホット・ディスク・イン・ザ・レイン』で「俺」は降り続く雨とか、買おうとしているゲームソフトにおいてもっとも大切な「それでどれだけの時間をつぶせるか」ということが書かれていないことをはじめ、あらゆることにイラつき、怒っている。

『鳥鳥鳥』で「わたし」は現実は美しくない、正しくない。現実世界に戻りたくないと思う。
それに対して、一緒にいる人にそれを理解されそうにないこと、理解しないその人、美しくない現実、そういったものに対して、彼女は怒っているのかなと思う。

しかし、「わたし」はそれを後藤にうったえることはない。分かってもらおうと行動することを拒否しているように思える。

それに対して『ねこキラーの逆襲』の「クロ」は「キシ」に対して、理解を求めているように思える。だから「クロ」はたびたび「キシ」につっかかる。

そんな「クロ」や「わたし」、「俺」たちのことを、私は他人事に思えない。
私はしばしば現実を受け入れられずに、恋人であるだんなさんに、わあわあ言って困らせる。
<なんで世界はそんなしくみになっているの!!>そんなこと、言われても困るよね。彼が悪いわけでも、特定の誰かが悪いわけでもない。

さまざまな不条理に怒る気持ちも分かるんだけど、あんまり誰かに怒りを伝えていると、それを受け止めている人がかわいそうになってくる。

それが一番際立つ作品が『ねこキラーの逆襲』中の「ブレイキング・ニュース」という作品内小説。「俺」は高校生の時に母が死んでから家事を一手に引き受け、妹の面倒を見てきた。けれども、妹とは理解しあえない。妹はUFOに住んでいる街が攻撃されている中、引き留める俺の言うことを聞かずに父を助けに出て行ってしまう。現実世界で役に立たない父に対して、なんとかやりくりをしている主人公が、妹に否定され、何も報われない。やるせない気持ちになる。

『誰も知らない』の中の作品『落下速度』でも、『ねこキラーの逆襲』でも、なかなか満足できる答えを見つけられないような問いを発する女の子に対し、返すことばを見つけられない主人公というパターンが繰り返される。
『鳥鳥鳥』の「後藤」のように問いかけられない場合もあるし、「ブレイキング・ニュース」のように一方的に批難されて終わる場合もあるし、『落下速度』のようにたまにしか口を開かない場合もある。
女の子たちは自分が抱えている疑問には正直だったり敏感だったりするんだろうけど、自分が問いを発する相手が抱えるであろう気持ちについては無関心だ。もしくは、無関心というよりは、自分が抱えているものにとらわれ過ぎて、そのことにまで気が及ばないという感じだ。
そして、これこそが読者である私がいつもやってしまうことだ。彼の小説を読んでいると、登場人物と自分が重なって大変申し訳ない気持ちになってしまう。親近感と嫌悪感。

【絶望と希望。だいたい苦しい】
作品によっては、現実に対する怒りに対して、そんななかでもできることをやっていこうとする場面もみられる。時間の永遠性とか大きなものに対して、でもできることを提示しようとすることもある。
『落下速度』では、「僕らの命の長さは永遠の前では点に等しくとも、重力加速度や平方根を理解するためには、十分な長さなのだから。」という一文は[「死んだあとに」彼女が口を開いた。「もし無限の苦しみがやってくるとしたら、そんなささやかな幸せなんて、何の価値があるの?そんなもの、永遠の苦しみに比べれば、ただ虚しいだけ」]ということばの後にある。

『誰も知らない』に収められている「祈り」は、親近感が湧くものではないが、希望と絶望が鮮やかに描かれていてすごく苦しくなる。異国の、捨てられた幼い兄妹の話。彼らは英語の字を読むことができないけれど、本はいつまでも待っていてくれる、いつか読める日が来る、ここには世界が詰まっている。しかし、その希望はずたずたに引き裂かれる。あー、だめだ。この作品は悲しくて、苦しい。でもそういう現実がどこかにあるんじゃないかと思うので、さらに苦しい。

もちろんそういう貧困のような苦しさだけじゃなくて、他人との壁、正しくない世界、登場人物は何らかの苦しみを抱えていることが多い。

例えば、短編集のタイトルになっている『誰も知らない』では、主人公のユサはこどものころに歩道橋で出会ったキレイな女の人(死んでいるはず)に友人のリサがそっくりで、混乱し、苦しんでいる。
ちなみにユサは『ねこキラーの逆襲』の主要な登場人物でもあり、周りを気遣いながら、こんなことを考えちゃう自分なんてという自意識もありながらも、抱えているものを押し殺しつづけることができなくて、語りだす。ユサは私とはだいぶ性格が違うけど、彼女の心情も身に迫ってきて放っておけない気持ちになる。

【ミクロな着眼点、描写】
彼の小説を読んでいると、自分なりの映像が浮かんでくることが多い。人の顔とかは分からないんだけど。そういう彼の緻密な描写が好きだ。
例えば、『誰も知らない』にも収められている、『ねこキラーの逆襲』の中の小説「クリスタルパレス発」で、ツバメという名前の女の子はビルの屋上から空を飛ぶために風の音を聞いている。

【現実との境界が分からなくなってくる】
長編『ねこキラーの逆襲』では、小説の中に小説がいくつもある。
それは、小説を書いている主人公の話だからなんだろうけど。
小説の中で、作品内の小説について登場人物が語られるそして、作品内小説もさらに現実パートと幻想パートがあったりして、たくさんの層がある。後半に行くと、作品内小説の中の登場人物が作品中の現実の登場人物にも影響を及ぼす。

ついでに「ここで出てくる「夏祭り競作企画」は、実際にsagitta君が開催しているイベントで、僕も参加しています。今年もやるみたいなので、ぜひ足を運んでみてください。」(ブログ内あとがき)ということで、ここは作者を直接知っているからなんだろうと思うけど、半ば作者の現実も取り込まれているので、完全に混乱してくる。
まあ、ここは私の特殊事情によるものだけど、そうでなかったとしても、小説内小説について語る「クロ」のような登場人物によって、小説の世界に取り込まれていってしまう気がする。

*****リンク***********
・『誰も知らない』kindle
http://t.co/a1r1lk2ilX

・『ねこキラーの逆襲』(週1更新中)
http://mizunosoko.hatenadiary.jp/archive/category/%E3%81%AD%E3%81%93%E3%82%AD%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E9%80%86%E8%A5%B2

・「クリスタルパレス発」
http://mizunosoko.hatenadiary.jp/entry/2015/06/26/180000

・ブルー^3
http://www.geocities.jp/sagitta_t/maturi5/akaikawa.html

・競作小説企画「第九回 夏祭り」
http://www.geocities.jp/sagitta_t/maturi9/

山本理顕さんほか『地域社会圏主義』の雑な感想

2013-04-09 11:33:31 | 読書
 山本理顕さんほか『地域社会圏主義』を読みました。

 先日「HOUSE VISION」の展示を見たときに「展示としては面白いけど、展示だけで終わってしまうならつまらないな」と思っていたら、本があったので買ってみました。

 実際に、横浜の2箇所(鶴見と関内)で土地を具体的にイメージして考えたとのことで、もちろん実現していこうとしているものだということが分かって「おおお!」と思いました。

 大がかりなものなので、お金もめちゃめちゃかかると思うけど、ぜひ実現させてほしいなと思います。
 検討することはきっと山ほどあると思いますし、私自身も展示や本を読んだだけでは「いいと思うけど、どうかかなぁ?そんなにうまくいくかぁ?」という漠然とした不安も感じます。
 でも、どれだけ考えても作ってみて、生活してみて見えてくるものもあると思うし、多少は問題も出ると思うので、延々考え続けて「作れませんでした」となるよりは、早くできたものを見てみたいな。
 そう言っている間にも、「一住宅=一家族」で管理コストが多くかかる高層マンションがどんどん建っていってしまうから。
 失敗の部分があってもいいから作ってほしい。
 個人的にはほんのほんのちょっとにしかならないけど寄付をしてもいいかなと思う。

 共感したところを、ぽんぽん挙げてみる。
・住宅は個人の責任(例えば、ローンを組んで家を買って、災害でダメになって、また新たに家を買うもしくは買えない。)というのはおかしい。
・持ち家政策は、住む人のことを考えている住宅政策ではなく、経済政策だ。

と思ったのですが、読むのにエネルギーがいるから飽きた。

 見慣れないカタカナ語が多かったり、デザインの本にありがちな文字が読みにくいレイアウトだったりして(特に、段落が変わったのに行頭の一文字字下げがないから、どこまでいったんだっけ?となって同じところをぐるぐるしてしまう…。別に昔ながらの文章のルールがいいと言っているのではなくて…)読むのに骨が折れるけど、実現されるためにはいろんな人に知ってもらったほうがいいから、たくさん読まれるといいなぁ。もしくは読みやすく翻訳された本があったらいいなー。