ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

目黒競馬場跡を往く

2022年05月03日 | TOKIOの道と川

明治40年から昭和8年まで、わずか26年間だけ存在した目黒競馬場。
現在の住所だと目黒区下目黒5丁目付近、最寄り駅だと目黒駅か祐天寺駅、不動前駅のどこからも徒歩20分ほどの場所です。
昭和7年には第一回の日本ダービーが開催され多くの人を集めますが、周辺の宅地化が進んだことで手狭になりこの地で競馬を継続することが困難になります。
昭和8年8月に府中競馬場に移転、目黒競馬場は閉鎖されました。
元々借地であったためコースがあった所もすぐに宅地化しますが、西側の第一第二コーナーとバックストレッチの一部が道路として現在もその形を留めています。

航空写真で見る閉鎖間もない1940年ごろと現代への変遷。競馬場の形が残っているのは右側の半円形のカーブのあたりです。
競馬場があったころからコースギリギリまで住宅があったために、競馬場がなくなっても地割の形を変えることができなかったように見えます。

スタンドと反対側の直線コースだったところから歩き始めました。
道の右側が競馬場があったころから宅地になっていたライン。そこに左側から住宅地がどんどん迫って来て、車一台通るのがやっとの道幅になってしまいました。

直線が終わって第二コーナーに入ろうとするあたり。

道路標識風に書くとR=130くらいのカーブです。現在の府中(東京)競馬場の内側のダートコースがこの大きさです。

カーブの中心、一番目黒駅に近いところはコースのすぐ外から目黒川に向かって下り傾斜が始まっています。

コース北東の目黒通りに近い場所。コースの形が残っているのはこのあたりまでです。
ちなみにここから100m北側の目黒通りには「元競馬場」という名前の信号やバス停が残っています。

写真だけ見るとどれも何の変哲もない住宅地の写真に見えますが、歩いた軌跡はちゃんと競馬場のコースの形がはっきり見えて面白かったです。

目黒通りに面した巨大ニトリも連休前にオープンしていました。
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