12月12日に感染対策で入れなかった東京大学構内を12月15日に再訪問。弥生キャンパスと本郷キャンパスを塗りつぶすつもりでしたが広すぎて自転車でも無理でした。
東京大学ってブログを始めた頃から銀杏や中央食堂や学園祭のフォリー展示や安田講堂などで何度となくネタにしていたのにキャンパスを隈なく見るってなかったです。
余りにも見どころが多すぎて写真も多くなりますが記事は分割せずに一度で済ませてしまうつもり。

まずは弥生キャンパスから。上野博士とハチ公もパリピ仕様でいつもより朗らかでした。

弥生講堂(2002)。さいたま芸術劇場の香川壽夫建築事務所によるもの。弥生講堂アネックスは先に記事にしていたのに元の方を見落としていました。

弥生講堂内部。ほぼガラスと木材の細い柱しか見えない軽やかな空間。右手の少し膨らんでいる所が300人収容の一条ホール。

農学部2号館前。過去に見たどの場所よりも銀杏の葉が厚く積もっていました。人が歩くところは踏まれてアスファルトと一体化してしまっていて掃除が本当に大変そうでした。

農学部2号館。昭和11(1936)年。もちろん内田祥三。今回は竣工年度など正確に書いて行くのが大変なので省略。設計も特に書かない場合は内田祥三です。

キャンパスの北側に農学部グラウンドと野球場、テニスコート。公道との僅かに隙間にも銀杏の小径がありました。今日はBromptonで来ています。

グラウンドと新坂の隙間に地震研究所。高校の部活のOBで東大地震研の所員がいらして、大きめの地震の度にテレビに映っていました。小宮さんお元気でしょうか。

伊東忠太の正門を抜けて本郷キャンパスへ。ジョサイア・コンドルの像が、黄色い羽飾りを背負った宝塚のスターのようになっていました。

本郷台地の尾根の東半分がキャンパス敷地であるため最大20mの高低差があります。そこに多くの建物を建てるためにあたかもスキップフロアのような整地がされました。

工学部4号館の入り口はよく見るどんぐり型ではなくやわらかいアーチです。

中に入っても次々に重厚なアーチが続きます。前にどこかの古い県庁舎で同じようなのを見たんだけど思い出せない。

建物脇がスロープになっているのは台車でも通すためなのか。コンクリートを見る限り比較的新しい。建築当初は階段だったと思われます。

まるで西洋の古城のような通用口。扉の高いところで170cmあるかないか。手前の2本のぶっとい半円柱も意味が分かりません。でもかっこいい。

さきほどのスキップフロア的整地を下から見たところ。

工学部3号館。昭和14(1939)に内田祥三の設計で建てられたものが老朽化により2013年に建て替えられたもの。以前の建物の外観をそのまま踏襲しています。
建て替えるならそんなに過去を引っ張らなくて良い気がしますが、いろいろな考えがあります。

本郷第二食堂。フロントが手前のロータリーに呼応するように凹型にカーブしている。フロントが曲線な建物はキャンパス内でこれだけかも。

池之端門に向かう下り坂。本郷通り沿いの門しか意識していなかったのでこんなにたくさん出入り口があることに驚きます。数えたら二つのキャンパスで11の門がありました。

池之端門。不忍池のすぐ脇です。古そうな守衛所は蔓草に覆われて人の気配がありません。ここだけ門衛のいない出入口なんでしょうか。

医学部、附属病院の方に回って来ました。本郷キャンパスで最大の面積を占める部分ですが本郷通から遠いのでほとんど来たことがありません。
この薄っぺらい壁のような建築途中のような仕上げのそれなのに妙に立派なデッキ通路の接続されているこれはいったい何?

構内には銅像が15体くらいあります。台座も含めてこれが最も仰々しい物。こういうのは戦時下に金属供出の対象にならなかったのかな。

附属病院管理研究棟。中央にあるレリーフは日名子実三による「長崎への医学の伝来」。

こちらも病院。外来棟。先日、構外の暗闇坂下にたくさんタクシーが止まっているのを見ましたがこの辺りのタクシーの多さはすごかった。
東大病院にかかるような人は経済的に恵まれた人たちなので、ここから郊外の自宅までタクシーでぴゅーっと帰る良い客なのではないかと推測しています。


七徳堂。内田祥三の設計で昭和13年に建てられた武道場です。内田祥三の和風というと以前見に行った拓殖大学の国際教育会館を思い出します。

その脇の築山の紅葉がきらきらでした。

こちらはキャンパス南端の懐徳館庭園。非公開なので塀越しに覗くだけですが。明治30年から40年にかけて旧加賀藩前田家本邸として瀟洒な日本館と洋館がありました。
東京大学との敷地交換で邸宅を駒場に移したのは昭和3年のこと。昭和20年の空襲でキャンパス建築の多くは被害を免れたのに前田家の屋敷は炎上してしまいます。

総合研究博物館の裏手に残る懐徳館庭園の石門。

これでラスト。正門と赤門の間、本郷通と平行に建つ情報学環・福武ホール。2008年。安藤忠雄。94m続くトーチカみたいな壁がすごいです。

本日のルート。構内だけで7kmもうろうろしました。諸説ありますがここが空襲被害に遭わなかったのは本当に良かった。
東京大学ってブログを始めた頃から銀杏や中央食堂や学園祭のフォリー展示や安田講堂などで何度となくネタにしていたのにキャンパスを隈なく見るってなかったです。
余りにも見どころが多すぎて写真も多くなりますが記事は分割せずに一度で済ませてしまうつもり。

まずは弥生キャンパスから。上野博士とハチ公もパリピ仕様でいつもより朗らかでした。

弥生講堂(2002)。さいたま芸術劇場の香川壽夫建築事務所によるもの。弥生講堂アネックスは先に記事にしていたのに元の方を見落としていました。

弥生講堂内部。ほぼガラスと木材の細い柱しか見えない軽やかな空間。右手の少し膨らんでいる所が300人収容の一条ホール。

農学部2号館前。過去に見たどの場所よりも銀杏の葉が厚く積もっていました。人が歩くところは踏まれてアスファルトと一体化してしまっていて掃除が本当に大変そうでした。

農学部2号館。昭和11(1936)年。もちろん内田祥三。今回は竣工年度など正確に書いて行くのが大変なので省略。設計も特に書かない場合は内田祥三です。

キャンパスの北側に農学部グラウンドと野球場、テニスコート。公道との僅かに隙間にも銀杏の小径がありました。今日はBromptonで来ています。

グラウンドと新坂の隙間に地震研究所。高校の部活のOBで東大地震研の所員がいらして、大きめの地震の度にテレビに映っていました。小宮さんお元気でしょうか。

伊東忠太の正門を抜けて本郷キャンパスへ。ジョサイア・コンドルの像が、黄色い羽飾りを背負った宝塚のスターのようになっていました。

本郷台地の尾根の東半分がキャンパス敷地であるため最大20mの高低差があります。そこに多くの建物を建てるためにあたかもスキップフロアのような整地がされました。

工学部4号館の入り口はよく見るどんぐり型ではなくやわらかいアーチです。

中に入っても次々に重厚なアーチが続きます。前にどこかの古い県庁舎で同じようなのを見たんだけど思い出せない。

建物脇がスロープになっているのは台車でも通すためなのか。コンクリートを見る限り比較的新しい。建築当初は階段だったと思われます。

まるで西洋の古城のような通用口。扉の高いところで170cmあるかないか。手前の2本のぶっとい半円柱も意味が分かりません。でもかっこいい。

さきほどのスキップフロア的整地を下から見たところ。

工学部3号館。昭和14(1939)に内田祥三の設計で建てられたものが老朽化により2013年に建て替えられたもの。以前の建物の外観をそのまま踏襲しています。
建て替えるならそんなに過去を引っ張らなくて良い気がしますが、いろいろな考えがあります。

本郷第二食堂。フロントが手前のロータリーに呼応するように凹型にカーブしている。フロントが曲線な建物はキャンパス内でこれだけかも。

池之端門に向かう下り坂。本郷通り沿いの門しか意識していなかったのでこんなにたくさん出入り口があることに驚きます。数えたら二つのキャンパスで11の門がありました。

池之端門。不忍池のすぐ脇です。古そうな守衛所は蔓草に覆われて人の気配がありません。ここだけ門衛のいない出入口なんでしょうか。

医学部、附属病院の方に回って来ました。本郷キャンパスで最大の面積を占める部分ですが本郷通から遠いのでほとんど来たことがありません。
この薄っぺらい壁のような建築途中のような仕上げのそれなのに妙に立派なデッキ通路の接続されているこれはいったい何?

構内には銅像が15体くらいあります。台座も含めてこれが最も仰々しい物。こういうのは戦時下に金属供出の対象にならなかったのかな。

附属病院管理研究棟。中央にあるレリーフは日名子実三による「長崎への医学の伝来」。

こちらも病院。外来棟。先日、構外の暗闇坂下にたくさんタクシーが止まっているのを見ましたがこの辺りのタクシーの多さはすごかった。
東大病院にかかるような人は経済的に恵まれた人たちなので、ここから郊外の自宅までタクシーでぴゅーっと帰る良い客なのではないかと推測しています。


七徳堂。内田祥三の設計で昭和13年に建てられた武道場です。内田祥三の和風というと以前見に行った拓殖大学の国際教育会館を思い出します。

その脇の築山の紅葉がきらきらでした。

こちらはキャンパス南端の懐徳館庭園。非公開なので塀越しに覗くだけですが。明治30年から40年にかけて旧加賀藩前田家本邸として瀟洒な日本館と洋館がありました。
東京大学との敷地交換で邸宅を駒場に移したのは昭和3年のこと。昭和20年の空襲でキャンパス建築の多くは被害を免れたのに前田家の屋敷は炎上してしまいます。

総合研究博物館の裏手に残る懐徳館庭園の石門。

これでラスト。正門と赤門の間、本郷通と平行に建つ情報学環・福武ホール。2008年。安藤忠雄。94m続くトーチカみたいな壁がすごいです。

本日のルート。構内だけで7kmもうろうろしました。諸説ありますがここが空襲被害に遭わなかったのは本当に良かった。
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