
文京区大塚一丁目。茗荷谷駅から歩いて5分位。跡見女子大、お茶の水女子大、筑波大、貞静学園など10以上の学校がぎゅぎゅっと集まった地域の一角にこの建物があります。
普段、前を通ることは少ないんですが、何度か通るたびにこれはいったいなんなんだろうと頭の片隅にひっかかっていたこの建造物が拓殖大学の施設の一つと知ったのはつい先日。
アド街ック天国の10月15日の放送、「茗荷谷」の回の中で、この一帯を「伝統校集結」と紹介する映像でのことでした。
普段は拓殖大学の留学生の授業が行われているこの建物が10月21日から23日までの学園祭の期間に一般公開するという情報を聞いて、翌週に飛んで行きました。

切妻の正門。立派な花窓の付いた框戸の脇から中に入ります。

この建物は東京大学の本郷や駒場キャンパスにたくさんの作品を残した内田祥三(よしかず)博士の1933年の作品。内田ゴシックと言われる東大の荘厳な建物とはまったく違う和風な雰囲気です。

本館の寄棟大屋根には東大寺の物と同じ形の鴟尾。

玄関を入って門を振り返ったところ。

階段と床は総じて大理石で貼られています。
この建物は東方文化学院東京研究所として1933年に建設されました。建設費は義和団事件の賠償金が基となっています。東アジア諸文化の研究拠点として使われましたが、
戦後は東京大学の東洋文化研究所の施設となりますが、その後その研究所も専用の建物が本郷キャンパス内に建設されてたため、その後は外務省の官吏研修所として使われました。
1995年には官吏研修所も外務省に移転し、その後長らくの間無人の期間が続いていました。取り壊しの危機などもありましたが平成14年に近くの拓殖大学に取得され現在に至っています。
なかなかに素晴らしい建物でした。壊されなくて本当に良かった。拓殖大学エライ。

踊り場の市松模様。


縦長の窓の連続は和風と言うよりヨーロッパのホテルを思わせます。現代の施設として使うための配線や配管に苦労の後が見られます。

狙ったものかどうかは不明ですが、樋の緑青がいいアクセントになっています。

屋根にも鬼瓦はありますが樋受けにもこんな細工が。

教室として整備された部屋の天井は格子天井。

外に出て周りを歩いて見て、この建物が緩やかね傾斜地に建っていることがわかりました。床下換気窓の下のラインが奥に行くにつれて下がっているのがわかります。
この程度の傾斜なら整地して平らにしてしまえば済むような気がします。敢えてそのままにした理由は何かあるんでしょうか。
曇り空で写真にはあまりよくない光かと思っていましたが、これはこれで無理なコントラストがなくて見やすいですね。
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