ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

銀座線渋谷駅の歴史。消えゆく最後の構造。

2024年09月03日 | 渋谷ウォッチング

渋谷マークシティ前の横断歩道で信号を待っていたら工事フェンスの向こうに人が見えました。矢印の部分です。
一瞬なんだか分からなかったのですがすぐに山手線渋谷駅の外回り方面ホームが見えているのだと分かりました。
物心ついたときから目の前には東急東横店があったのでここから山手線のホームが見えるなんてありえなかったのですが今はあり得ます。

信号を渡ってハチ公前から右上を見上げると東急東横店西館の最後に残った構造物が見えました。

JRの改札を入って山手線のホームに行きました。
さっき横断歩道の向こうから山手線ホームを見ましたが、今は山手線ホームから横断歩道の方向を見ています。

西館の建物がほぼ消滅した現在、ここに見えている構造物は何でしょう。
実はこれがかつての銀座線渋谷駅でした。

これは2013年2月25日にヒカリエから撮影した写真です。
地下を走っていた銀座線が宮益坂の途中で地上に出て、渋谷の谷底に到達する時には地上3階の高架線になっています。
高架は明治通りを越えて東急東横店西館の中に入って行きました。銀座線渋谷駅はビルの中にありました。
東急東横店と銀座線渋谷駅は一体化した一つの建物だと思っていましたが、実はそうではありません。

1934(昭和9)年に東横百貨店が開業
1938(昭和13)年に東京高速鉄道線(後の銀座線)渋谷ー虎ノ門間が開通します。
この時点で、東急百貨店と銀座線渋谷駅は横に並んだ別の建物でした。

線路が建物の中に入って行く入り口部分の形が昭和13年と2013年とで同じであることが分かります。
そして昭和54(昭和29)年に東急百貨店西館が増築される時に増築部分が銀座線渋谷駅をそのまま取り込むような形で二つの施設が一体化しました。

つまり現在、西館解体の工事現場で見られる構造物は昭和9年の渡辺仁設計の東急百貨店と、昭和13年の銀座線渋谷駅のそれぞれの構造部分だということです。
そう思ってみると非常に感慨深い。
そして現在の工事写真では、90年前の古い構造の隙間に新しい鉄骨を差し込むように組んでいるのが分かります。

銀座線の線路部分を残す必要があるなどの理由があるんでしょうが、とにかくとんでもなく複雑な工事をしていることは分かります。
再開発は好ましくありませんがすごい技術を駆使してがんばっている日本の土木建築マンは応援しています。がんばれニッポン。
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