
キャンパス建築を訪ねて。ようやく慶應義塾大学に来ました。三田キャンパスは人生初訪問です。兄が高校から慶應だったので日吉には何度か行ったことがあります。
田町方面からアプローチして最初に見えるのが南校舎。校舎は第一校舎以外は建物にナンバリングはされておらず、北館、西校舎などと方角で称されるのが基本です。
しかし南校舎、南館、西校舎、西館など同じ方角を冠したものがあって少々紛らわしい。待ち合わせの場所指定では要注意です。

南校舎は2005年に建て替えられています。日建設計。建物の中央が階段状の通路になっていてここから高台になったキャンパスの高さまで上がります。
道に面した「正門」には警備室はありますが特に門扉は見当たらず、この南校舎自体がキャンパスへの本当の入り口のような趣です。

南校舎を通り抜けた先がキャンパスのシンボルである大銀杏を囲んだ広場。キャンパス全体がこの大銀杏を取り囲むように配列されています。

広場を右から抜けた右手に塾監局という名の事務棟。竣工は大正15(1926)年。

レンガタイルとテラコッタ。大正末期らしい装飾性。有名な図書館の陰であまり話題になることはありませんが非常に価値のある近代建築です。

そしてこちらがその図書館。南校舎の隣に新たに図書館が建設されて以降は旧図書館となりました。大正元(1912)年竣工。
関東大震災、東京大空襲と二度の災害に遭いながらこれだけ美しい姿をとどめているのは素晴らしい。

今年の6月に免震レトロフィット工法による大規模な改修工事が完了。地震の際にはこの部分で周囲の揺れを吸収しているのが見られるはずです。

旧図書館の隣、敷地の東端にある東館。こちらも南館同様に建物自体が門の役割を果たしながら入場者を高台に導く通路となっています。
三田キャンパスは渋谷川の河口に当たる部分の小さな高台にあって平山城のようになっています。

こうして見ると島と言いたくなるような場所。東西と南は急な斜面になっていますがそこに建物があるために建物の表と裏で面している地表の高さが3階分ほど違う。
ほとんどの建物で大銀杏のある広場に面しているレベルを「1階」としているので道路に面した入り口部分が表示の上では地階扱い。
内部にも微妙な高低差があるので慣れないとスムースに移動するのがなかなか難しい。このあたりが三田キャンパスの醍醐味ではないかと感じました。

西斜面に建つ西校舎。沖縄で見るような正面の穴あきブロック、右側のスラントの付いたあみだくじのような窓枠?などユニークな造形です。


穴あきブロックに見えたところは一つ一つにガラスと開閉装置がついていました。二つ上の写真で数えると全部で500個の小窓!になっていることが分かります。

南校舎の脇に立つのが槇文彦の設計した現在の図書館(1981年)。

南館。現代的なガラスウォールの外に神殿風の列柱と階段。

階段の先の屋上テラスにまったく異なるテイストの白い建物が見えて面喰います。これは谷口吉郎が戦後間もない1951年に設計した第二研究室が移築されたもの。
研究室の談話室をイサム・ノグチが設計していて、2004年の取り壊しに際して談話室部分だけをこの場所に移築しました。旧ノグチ・ルームと呼ばれています。

カーテン越しに撮影した旧ノグチ・ルーム。テーブルやソファなどは保護のために白い布がかけられています。移築に際して隈研吾事務所の手が入っているようです。

南館内部。トップライトの吹き抜けに面したエレベーター。南館そのものは大成建設による設計。

旧図書館と並んで二つ目の重要文化財である三田演説館。福沢諭吉自身の出費で建てられた日本で最初の演説館、とのことですが演説館自体馴染みないですね。
明治の疑洋風建築という説明でしたが、全面なまこ壁で覆っている段階で全く洋風を擬してないじゃんって感じです。
ということで初めての三田キャンパス。想像以上に面白かったです。
一般的な三田キャン紹介ですと旧図書館と演説館、イアサム・ノグチに谷口吉郎、槇文彦と言ったビッグネーム中心に見て回ることになります。
個人的には高低差をそのまま生かした西館、南館、南校舎の中を迷いながら歩くのがお勧め。南館のどこかにあるガラスの階段、是非見つけて下さい。

正門東側の擁壁。奥に歩いている人の大きさから擁壁の高さを推定してみてください。
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