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ありゃりゃサンポ

近現代の建築、町並みと橋が好き。
一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域をGPSで塗り潰し中。

阿倍野区北畠Back to 1969(4) 晴明丘小学校&文福

2019年03月07日 | たびたび旅
阿倍野神社から晴明丘小学校を目指します。道順は覚えていませんでしたが思い出す風景はいくつかの曲がった坂道です。
阿倍野神社が高台の神社だったことは昨日書いた通り。その高台の上を軽くアップダウンしながら歩いていたら記憶と合致する風景にぶつかりました。

道が突き当りになっていてその先に屋根がある。この場所は崖の上でした。低い土地の屋根が見渡せていました。

突き当りを右に曲がった先の薄暗い風景も覚えています。この写真で右が南。そりゃあいつでも暗かったはずです。

そこから左に曲がって急な下り坂。横断歩道が薄く見えている辺りが谷底になります。

谷底の右角にあるのが相生郵便局(あいおい、と読みます)。現金書留や小包はここから出していました。正面、進む先はまた登り坂道。
今回のふるさと訪問で地形のことを考えるとは予想していませんでしたが歩きながら否応なしに考えてしまいます。

角度を変えて。左から下って来て右へ登って行きます。郵便局周辺に小さな食料品市場があって、そこで最中の皮に挟んでもらうアイスクリームが贅沢な楽しみでした。

坂を上りきったところに赤橋幼稚園。小学校の帰りにこの幼稚園の中にあった動物小屋で遊んでいて猿に引っかかれた記憶があります。

スマホで小学校への道順を調べたらこんな隙間の道を指定されました。地図で見れば確かに最短コースではある。あの頃も通ったかどうか。記憶はないです。

細い道を抜けるとすぐに目指す晴明丘小学校。なんか意外と雰囲気変わっていないような。

小学校は道を挟んで右と左にあります。今は右に校舎と校庭、左は体育館とプールという構成のようですが、50年前は右が低学年校舎、左が高学年の校舎でした。
なので学校に着くと兄とは左右に分かれました。行われている工事はグラウンドを削って道路を拡張する工事だそうです。

フェンスで校舎が全部写せないのが残念ですが、持って行った写真と見比べて見たら校舎の一部分だけは50年前のままではないかと思えてきました。

矢印の場所です。昔の写真で正方形に近い窓が6つ並んだ三階部分だけが同じ。その左右は建て直しや増築が行われたようですがこの部分は昔とうり二つ。
窓の数がひとつ足りないように見えますが、それは左の部分が少し前に出ていて窓をひとつ隠しているのです。

こんな角度の写真もありました。背後の校舎の右側と左側で色が違います。古びた左側に対して右側は白く明るい感じ。正方形に近い三階の窓。
つまりこの部分は50年前の増築部分で当時は一番新しい建物。その後いろいろ増改築がある中でこの部分は新しかった故に残された。そして今では唯一残る古い部分となったと。

Googleの航空写真です。上から見ると部分部分で建設時期がバラバラであることがよく分かります。
晴明丘小学校は明治初期の尋常小学校を起源に持つ阿倍野区最古の小学校。戦後の人口増加とベビーブームの影響で生徒数が増加し1959年のピーク時には2,500人を超えています。
私がいた1967年の頃もクラス45人で一学年8クラスありましたから単純計算で2,000人超えています。学校は過密化して校舎の増改築も必然だったんでしょう。
これだけの生徒数であれば全館一斉に建て替えをするということも困難だったことは想像できます。それでこんな継ぎはぎの校舎ができたんですね。
50年前の写真に写っている部分が僅かでも残っていたのはうれしいことでした。次に建て替えするのは間違いなくここでしょうから少し遅かったら危なかったかも。

満足して先へ進みます。二つの校舎の間の道は突き当たって晴明通り。右に行くと阪堺上町線の東天下茶屋駅。

昼食を食べるところを探していたら小学校からほど近いところで古い食堂がありました。うどんそば天ぷらうなぎとんかつ、文福さん。

外もなかなかでしたが内部も昭和の風情がそのまま。周辺環境を考えればよくも残ったと驚きを感じます。

ちゃんぽんうどん。やさいたっぷりの長崎ちゃんぽん味のスープで麺はやわらかいうどん。熱々で美味しかった。

お店の人に50年ぶりに大阪に来て昔住んでいた所や通っていた学校を見て回っている、という話をしたら興味を持っていただいていろいろとお話を伺うことができました。
私が歩いた道を説明していたら「あの辺に昔は勧銀の社宅があってよく出前にも行った」というご主人の話にもびっくり。つや子は覚えてるかな? その答えは最後に。
それにしても、今回の旅はルーツを訪ねるという意味で「ファミリーヒストリー」的ですし、歴史と地形を考えながら歩くのは「ブラタモリ」的。
入ったお店で話を聞いている時にはすっかり「鶴瓶の家族に乾杯」な気分でした。体感NHKツアーです。

お店の建物は昭和48年に建て替えたそうです。それでも45年以上経ってますからなかなかのレトロなのは当然。iPadで建て替え前の写真を見せてくれました。

私が持って行った昭和43年の住宅地図を見て、比較できるように今の阿倍野区の住宅全図を見せてくれました。出前とかするから必要なんでしょうね。
うどんを食べ終わった後も夢中で見比べていたら「良かったらそれあげますよ」。いやこれはうれしかった。ありがたく頂戴して来ました。何かお礼を送らないとな。

お店を出たら東天下茶屋駅までは5分。4回に亘って書いて来た北畠探訪もここでおしまいです。
暖かい穏やかな晴れの日にのんびり歩けて本当に良かった。楽しすぎ。

つや子が文福を覚えているかどうかの答え。母とのLINE。

ちゃんぽんじゃなくて、たぬき食べれば良かったか。

ちなみに大阪できつねといえば「油揚げの乗ったうどん」(東京でいうときつねうどん)で、たぬきというと「油揚げの乗った蕎麦」(東京でいうときつね蕎麦)になります。
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