千葉県シリーズその③。今日は我孫子。がそんし。ではなくて「あびこ」。名前は聞き覚えがあるけどそれがどこにあるのかは誰も知らない。
9月にほとんどなかった晴れ間の日の朝に、「1時間以内で行ける千葉県のどこか」で探して行先に決めました。大きな水辺にある町というのが気になって。

日暮里から我孫子まで常磐線快速で30分。市の広報サイトにあった「白樺派の散歩道と水辺のまちなみコース」を基本に散歩を開始。
こちらは山一林組我孫子製糸所跡地の公園。千葉県最大の製糸工場だったそうです。車止めが繭の形。

朝8時前なので開館していない杉村楚人冠邸園の脇の坂道で下って行きます。杉村楚人冠は大正から昭和初期の我孫子にたくさん住んでいた文化人の一人。らしい。

坂を下りきった崖際にハケの道、別名「白樺派の小径」と呼ばれる道があります。通学の高校生たちが次々と追い抜いていきます。

ハケなので湧水も何か所か。

白樺文学館。白樺派の志賀直哉と武者小路実篤が住んでいた我孫子の志賀直哉邸跡地の目の前にあります。

こちらは駅前の案内板です。風光明媚で知られた手賀沼が好まれてたくさんの文化人が在住し互いに交友を深めていました。
写真は昭和6年の武者小路実篤邸で、後列に武者小路、柳宗悦、志賀直哉が並んでいます。なんだか急に柳宗悦が目に入るようになりました。
周囲の写真は他に柳田國男、加納治五郎、バーナードリーチなどが並んでいます。
そもそも柳宗悦は加納治五郎の甥っこで(治五郎の姉が柳の母)、良いところだからと治五郎に誘われて我孫子に転居したそうです。ふえ~。
何も知らずに来ましたが我孫子おそるべしって感じです。

文学館は朝8時なので当然空いてなくて、こちらはその向かいの志賀直哉邸跡。住まいの形と間取りがコンクリートで表現されています。
6月に志賀直哉原作の小説をNHKが制作した「流行感冒」というドラマを見ました。
世界中で数多の死者を出したスペイン風邪への恐怖で理性を失くしていく主人公が本木雅弘、あきれて見ている妻が安藤サクラ。コロナ騒ぎの今ならではの面白さでした。
その中で製糸工場の女工にも感染者が出たという件があるのですが、その製糸工場が最初の写真の山一林組我孫子製糸所がモデルです。

ハケの道の終端にある旧村上別荘。旧我孫子宿の本陣離れを移築した母屋など見たかったのですが早すぎて開いておらず。
通勤ラッシュに当らないように、昼ごろには家に帰れるようにと7時前に出かけることが多いのですが、早すぎてどこもかしこも開いてないというのは問題ですな。

県道8号を越えた台地の上に立つ我孫子市役所。建物に関しては別途建築散歩編にまとめます。

市役所から下って手賀沼沿いの道から見えるのが水の館。親水公園、プラネタリウム、物産販売所などを備えます。

水の館からようやく手賀沼に出たところ。長さ6km、幅500mほどの大きな沼ですが、これが干拓事業で残ったかつての2割程度の大きさだそうです。
奥に見える連続アーチは手賀大橋。

朝の散歩道。ようやく9時を回ったところ。

橋があれば真ん中までは行ってみます。写真中央はさきほど通学の生徒をたくさん見た県立我孫子高校。甲子園出場2回。

反対側まで渡ると後が大変なので橋の袂のトンネルをくぐって橋の向こうへ。

手賀沼に沿って広がる22万㎡の住宅地は干拓事業でできたものです。
昭和30年代にこの干拓地に手賀沼ディズニーランドを誘致するという計画がありました。実現しなくてなによりです。

手賀沼公園。我孫子駅から徒歩10分くらい。

ボート乗り場も複数ありました。休日などは家族連れで賑わっているのでしょうか。そうであることを願います。

手賀沼公園から再び坂道を上って常磐線の線路もくぐって。高台の一角は2000年初頭に破綻した日立精機の工場跡地に広がるマンション群。
ウォーキングマップにも「マンションストリート」として記載されている我孫子の景観地の一つ。その筋の人には日立精機2号墳もすぐ横にあります。

本日の散歩コース。2時間で8km弱でした。景観、文化、地形となかなか見どころの多い我孫子散歩でした。
9月にほとんどなかった晴れ間の日の朝に、「1時間以内で行ける千葉県のどこか」で探して行先に決めました。大きな水辺にある町というのが気になって。

日暮里から我孫子まで常磐線快速で30分。市の広報サイトにあった「白樺派の散歩道と水辺のまちなみコース」を基本に散歩を開始。
こちらは山一林組我孫子製糸所跡地の公園。千葉県最大の製糸工場だったそうです。車止めが繭の形。

朝8時前なので開館していない杉村楚人冠邸園の脇の坂道で下って行きます。杉村楚人冠は大正から昭和初期の我孫子にたくさん住んでいた文化人の一人。らしい。

坂を下りきった崖際にハケの道、別名「白樺派の小径」と呼ばれる道があります。通学の高校生たちが次々と追い抜いていきます。

ハケなので湧水も何か所か。

白樺文学館。白樺派の志賀直哉と武者小路実篤が住んでいた我孫子の志賀直哉邸跡地の目の前にあります。

こちらは駅前の案内板です。風光明媚で知られた手賀沼が好まれてたくさんの文化人が在住し互いに交友を深めていました。
写真は昭和6年の武者小路実篤邸で、後列に武者小路、柳宗悦、志賀直哉が並んでいます。なんだか急に柳宗悦が目に入るようになりました。
周囲の写真は他に柳田國男、加納治五郎、バーナードリーチなどが並んでいます。
そもそも柳宗悦は加納治五郎の甥っこで(治五郎の姉が柳の母)、良いところだからと治五郎に誘われて我孫子に転居したそうです。ふえ~。
何も知らずに来ましたが我孫子おそるべしって感じです。

文学館は朝8時なので当然空いてなくて、こちらはその向かいの志賀直哉邸跡。住まいの形と間取りがコンクリートで表現されています。
6月に志賀直哉原作の小説をNHKが制作した「流行感冒」というドラマを見ました。
世界中で数多の死者を出したスペイン風邪への恐怖で理性を失くしていく主人公が本木雅弘、あきれて見ている妻が安藤サクラ。コロナ騒ぎの今ならではの面白さでした。
その中で製糸工場の女工にも感染者が出たという件があるのですが、その製糸工場が最初の写真の山一林組我孫子製糸所がモデルです。

ハケの道の終端にある旧村上別荘。旧我孫子宿の本陣離れを移築した母屋など見たかったのですが早すぎて開いておらず。
通勤ラッシュに当らないように、昼ごろには家に帰れるようにと7時前に出かけることが多いのですが、早すぎてどこもかしこも開いてないというのは問題ですな。

県道8号を越えた台地の上に立つ我孫子市役所。建物に関しては別途建築散歩編にまとめます。

市役所から下って手賀沼沿いの道から見えるのが水の館。親水公園、プラネタリウム、物産販売所などを備えます。

水の館からようやく手賀沼に出たところ。長さ6km、幅500mほどの大きな沼ですが、これが干拓事業で残ったかつての2割程度の大きさだそうです。
奥に見える連続アーチは手賀大橋。

朝の散歩道。ようやく9時を回ったところ。

橋があれば真ん中までは行ってみます。写真中央はさきほど通学の生徒をたくさん見た県立我孫子高校。甲子園出場2回。

反対側まで渡ると後が大変なので橋の袂のトンネルをくぐって橋の向こうへ。

手賀沼に沿って広がる22万㎡の住宅地は干拓事業でできたものです。
昭和30年代にこの干拓地に手賀沼ディズニーランドを誘致するという計画がありました。実現しなくてなによりです。

手賀沼公園。我孫子駅から徒歩10分くらい。

ボート乗り場も複数ありました。休日などは家族連れで賑わっているのでしょうか。そうであることを願います。

手賀沼公園から再び坂道を上って常磐線の線路もくぐって。高台の一角は2000年初頭に破綻した日立精機の工場跡地に広がるマンション群。
ウォーキングマップにも「マンションストリート」として記載されている我孫子の景観地の一つ。その筋の人には日立精機2号墳もすぐ横にあります。

本日の散歩コース。2時間で8km弱でした。景観、文化、地形となかなか見どころの多い我孫子散歩でした。
我孫子行きに乗ってたから。
取手行きとか我孫子行き
綾瀬どまりだとがっかり(笑)
何せ、常磐線に乗って、東京に向かうと、「各駅停車」の場合、県内の駅には全部止まり、「取手」を過ぎると、「我孫子」「柏」「松戸」「日暮里」「上野」の順に止まるのが定番でした。(^^)
でも、その後、長く乗らないでいて、数年前に久しぶりに乗ったところ、「その流れ」ではなくなっていて、「北千住」とか、かつては留まらなかった駅にも「細かく」止まるようになっていて、驚きました。(・・;)
「我孫子」に住んでいる知り合いも多かったですが、なるほど、昔から「人気の場所」だったんですネ。^_−☆
路線図を見て理解しました。
良くある1枚のボードにまとめて書いてあって、色や記号で区別してあるのより遥かに見やすい。素晴らしいと思いました。