ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

山形旅3・山形建築散歩 旧済生館本館など

2019年01月07日 | 建築&土木見物

蔵王温泉から山形駅に戻って、新幹線の時間までは近代建築を中心に見たいものを見られるだけ。最初に大物を3つ。
まずは旧山形師範学校本館。明治34(1901)年築。国の重要文化財。現在は教育資料館として使用されています。

正面玄関の塔屋を中心に装飾かなり多めですが全体の佇まいは落ち着いていて威厳も保たれています。

左右のドーマ(屋根窓)の赤が効いてます。

続いて教育資料館から15分ほどの場所にある旧山形県庁舎。大正5年。設計はJ.コンドルの弟子であった田原新之助他。国の重文。
昭和50年まで県庁舎として使用され、その後文化財としての保存の方針に。昭和61年から10年の歳月と40億円の巨費を投じて建物の修繕をしています。
現在は隣の県会議事堂と合わせて文翔館という名前で郷土資料の展示や貸し出しスペースとして利用しつつ建物の保存をしています。



正庁(講堂)。寄木の床、大理石の柱、他県から職人を呼んで仕上げた漆喰の装飾など、迎賓館レベルの内装が施されています。

口の字型の建物の外側は石張、内側は深谷産煉瓦で仕上げられたいます。


1.5kmほど歩いて山形城跡、現在は霞城公園へ。大手門から入ります。

霞城公園の中にあって、今回一番見たかったのがこちら、旧済生館本館。明治11年に山形の文明開化の象徴として建てられた県立病院です。通称、三層楼。国の重文。

明治の宮大工300人によって僅か7か月で建てられたそうです。

中庭を囲んで円形(実際は14角形)の病院の一か所に塔屋が乗っているような独特のデザインです。

デジカメでは写しきれないのでiPhoneでパノラマ撮影してみました。

中庭。

背後から見たところ。

これが見たくて山形まで来たと言っても過言ではありません。
明治の疑洋風建築の最高傑作を昭和の宮大工が多くの困難の中でこの場所に復元移築させました。山形えらい!
コメント (2)
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