ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

モンゴル コンチェルト 第1楽章 〜気づき〜

2017-08-21 19:01:42 | 東京日記


モンゴル コンチェルト 第1楽章が終わった。
今回のモンゴルは、誰かと一緒に奏でるコンチェルト(協奏曲)みたいな、そして何章かに別れる体験になりそうだから。そんなタイトルが浮かんできた。






リトリートという、自然のエネルギーを感じて、自分を見つめ直す時間をつくるツアーに参加した。

気づいたこと、感じたこと。
あふれ出るようにあるけれど。
ツアーの内容自体は、乗馬以外、ぼんやりとしか覚えていない。

とにかくツアーパーティがいい仲間でよかった。





ひとりではできない時間を過ごせた。

・対話
・すべてを預けられる安心感。
・相手から見える自分を知ること。
・あの虹、すごかったね」と言い合えること。


いちばん面白いのは。
「え、そんなこと思って馬乗ってたん??」
今ここにいても、全然ちがうことを考え生きていることを知ること。



範囲を外れられない人。
範囲の中にいられない人。

「腹筋痛い、、、」
「え?俺、腹筋は全然。太もも筋肉痛だけど、、、」

いろんな人がいて。
それぞれ、自分を見つめなおして、シェアしながら、日々を過ごした。



今日からは、ひとり。
都市に移動しようと思ったけれど。
ここのキャンプ地が居心地いいのと、
馬に乗りたくて、居残りした。


あとは、みんなといた場所で、ひとりになったら、どんな感じなのかを、知りたかった。



今朝、モンゴルではじめて朝日を見れた。

みんなと見たかったな。と少し寂しくなったけれど。

そもそも、自分の目は、体はひとつだけだ。みんなといたとて、ひとりだった。



それでも、ひとりと、ひとりじゃあないことには、随分と差があるような気がする。





朝日のうしろで、渡り鳥の群れを見た。これも、モンゴルでは、はじめて。ひとりだと自分がそれを見た、という証明が難しい。

「今の、渡り鳥、すごくなかった?」

「私もそう思ってた。すごかったね。」


ふたりだと、ここで生きている証明が簡単にできる。



そういうことを確認し合いながら
ごはんを食べ、夕日にうっとりとして、感動を伝えあう「時間」を感じられる人と家族になれたらいいなと思う。






でも、ひとりだからこそ。書いたり撮ったり、話したり、料理をつくって、自分の感動を伝えたくなる。
伝えるには、ひとりで磨かなければならなち技術も必要だから。ずっと一緒にいるのは、いいことではないなとも思う。


これは、友だちがくれた写真。僕が撮った馬にかかる虹と、同じ虹!!全然見えかた違う!


せっかく、誰かといるなら、わからないことは、わからないままでいいから。
(無理してわかろうとすると、
「わかるように説明して!」「いやいや、言ってわかるくらいなら、もう伝わってるわ、お前こそ気づく努力せぇや」と、相手に何かを強いることにもなりかねない。)


今ここで、お互いのささいな変化に気づいたり、過ごした時間を「いい時間だったね」「そんなこと、気づいたんだ、私は、全然気づかなかったよ、ありがと」と思える人と、一緒にいたいんじゃないかな?



まずは、自分が自分といい時間を過ごし、変化を気づけるように。










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