モンゴル コンチェルト 第1楽章が終わった。
今回のモンゴルは、誰かと一緒に奏でるコンチェルト(協奏曲)みたいな、そして何章かに別れる体験になりそうだから。そんなタイトルが浮かんできた。
リトリートという、自然のエネルギーを感じて、自分を見つめ直す時間をつくるツアーに参加した。
気づいたこと、感じたこと。
あふれ出るようにあるけれど。
ツアーの内容自体は、乗馬以外、ぼんやりとしか覚えていない。
とにかくツアーパーティがいい仲間でよかった。
ひとりではできない時間を過ごせた。
・対話
・すべてを預けられる安心感。
・相手から見える自分を知ること。
・あの虹、すごかったね」と言い合えること。
いちばん面白いのは。
「え、そんなこと思って馬乗ってたん??」
今ここにいても、全然ちがうことを考え生きていることを知ること。
範囲を外れられない人。
範囲の中にいられない人。
「腹筋痛い、、、」
「え?俺、腹筋は全然。太もも筋肉痛だけど、、、」
いろんな人がいて。
それぞれ、自分を見つめなおして、シェアしながら、日々を過ごした。
今日からは、ひとり。
都市に移動しようと思ったけれど。
ここのキャンプ地が居心地いいのと、
馬に乗りたくて、居残りした。
あとは、みんなといた場所で、ひとりになったら、どんな感じなのかを、知りたかった。
今朝、モンゴルではじめて朝日を見れた。
みんなと見たかったな。と少し寂しくなったけれど。
そもそも、自分の目は、体はひとつだけだ。みんなといたとて、ひとりだった。
それでも、ひとりと、ひとりじゃあないことには、随分と差があるような気がする。
朝日のうしろで、渡り鳥の群れを見た。これも、モンゴルでは、はじめて。ひとりだと自分がそれを見た、という証明が難しい。
「今の、渡り鳥、すごくなかった?」
「私もそう思ってた。すごかったね。」
ふたりだと、ここで生きている証明が簡単にできる。
そういうことを確認し合いながら
ごはんを食べ、夕日にうっとりとして、感動を伝えあう「時間」を感じられる人と家族になれたらいいなと思う。
でも、ひとりだからこそ。書いたり撮ったり、話したり、料理をつくって、自分の感動を伝えたくなる。
伝えるには、ひとりで磨かなければならなち技術も必要だから。ずっと一緒にいるのは、いいことではないなとも思う。
これは、友だちがくれた写真。僕が撮った馬にかかる虹と、同じ虹!!全然見えかた違う!
せっかく、誰かといるなら、わからないことは、わからないままでいいから。
(無理してわかろうとすると、
「わかるように説明して!」「いやいや、言ってわかるくらいなら、もう伝わってるわ、お前こそ気づく努力せぇや」と、相手に何かを強いることにもなりかねない。)
今ここで、お互いのささいな変化に気づいたり、過ごした時間を「いい時間だったね」「そんなこと、気づいたんだ、私は、全然気づかなかったよ、ありがと」と思える人と、一緒にいたいんじゃないかな?
まずは、自分が自分といい時間を過ごし、変化を気づけるように。