つなかん展では、裏のテーマがあった。
それは、会場に来てくれた人の笑顔の写真を集めて、アルバムにしようということ。
それを、つなかんに届けること。
10日間で約450人分の笑顔が集まった。
去年つなかん来客数が約1500人なので、
その数字から比べると、結構な人がかけつけてくれたと思う。
僕がくる前のつなかんを知っていて。
僕にとっては、はじめましての出会いもあったし、
毎日のように通ってくれた人もいた。
先週末、いちよさんに、その写真を届けて来た。
久しぶりの東北新幹線。
窓から見える景色も。変わってゆく。
緩やかに自然が増えるわけではなく、
都市と地方の境目は割とはっきりしていることも、
面白かった。
久しぶりの鮪立湾は変わったのかな。
特に感じることはなく、もっと「ただいまー!!」
と思うかとも想像していたけれど、そんなこともなく、
ただ、来た。という印象だった。
久々のつなかん。つなかん展示を手伝ってくれた、
ちん、いつこ、みお。知り合いが沢山泊まりに来ているどさくさに紛れて、
いちよさんに、アルバムを渡した。
一代さんの感想は、、、、。
正直よくわからない。答えは聞かずに帰って来た。
ちゃんと話したのは、15分もなかったんじゃないかな。
交わす言葉が見つからない。
そして、どう過ごしていいかがわからない。
この3年間僕がやって来たことは、一代さんたちに周波数を合わせて。
その考えや、気持ちを自分なりに翻訳して、料理や、言葉で伝える。ということだった。
自分のなかで、今それをする準備も覚悟も、ない。
この日も、ずーっとそわそわしていた。
答えを聞くことすらできずに、逃げるように、つなかんを後にした。
中学校の卒業式、相手の答えは必要ないし、
フラれても、もう高校も違うから。
答えはどうであれ、告白はしよう!!
「好きです!!付き合ってください!!」
相手の顔も見ずに叫ぶだけ叫び、相手の顔も見ずに走り去っていった
一方的なラブレターのようて、自分でも青くさ!!と思いながらも。
それでも、できることをしよう。という気持ちだった。
中学生の告白と違うのは、相手に何かを望んでるわけではないということだ。
付き合ってほしいとか、ヤリてぇなぁとか。相手に変化を求めるものではなく。
ただ、うん。ただ、お互いが
「今、ここ」に生きていることを確認するような時間だった。
つなかんを「自分の物語」として感じている人がいること。
離れていても、気持ちを寄せている人がいること。
その人たちの魂みたいなもの。
「僕らも、同じ時間をすごしていたよ」という足跡。
それは、どうしてもつなかんに、届けて置きたかった。
アルバム届ける。という「理由」がなければ、
きっと、僕も、この時期につなかんに行こうとも、思えなかったと思う。
450人の笑顔に、僕も救われたのだと、ようやくながら、気がついた。
どうも、ありがとう。
そして、いつかのタイミングで。「このアルバムを見にいこう」と、
誰かにとっての、つなかんに行く理由になることを願っている。
それは、会場に来てくれた人の笑顔の写真を集めて、アルバムにしようということ。
それを、つなかんに届けること。
10日間で約450人分の笑顔が集まった。
去年つなかん来客数が約1500人なので、
その数字から比べると、結構な人がかけつけてくれたと思う。
僕がくる前のつなかんを知っていて。
僕にとっては、はじめましての出会いもあったし、
毎日のように通ってくれた人もいた。
先週末、いちよさんに、その写真を届けて来た。
久しぶりの東北新幹線。
窓から見える景色も。変わってゆく。
緩やかに自然が増えるわけではなく、
都市と地方の境目は割とはっきりしていることも、
面白かった。
久しぶりの鮪立湾は変わったのかな。
特に感じることはなく、もっと「ただいまー!!」
と思うかとも想像していたけれど、そんなこともなく、
ただ、来た。という印象だった。
久々のつなかん。つなかん展示を手伝ってくれた、
ちん、いつこ、みお。知り合いが沢山泊まりに来ているどさくさに紛れて、
いちよさんに、アルバムを渡した。
一代さんの感想は、、、、。
正直よくわからない。答えは聞かずに帰って来た。
ちゃんと話したのは、15分もなかったんじゃないかな。
交わす言葉が見つからない。
そして、どう過ごしていいかがわからない。
この3年間僕がやって来たことは、一代さんたちに周波数を合わせて。
その考えや、気持ちを自分なりに翻訳して、料理や、言葉で伝える。ということだった。
自分のなかで、今それをする準備も覚悟も、ない。
この日も、ずーっとそわそわしていた。
答えを聞くことすらできずに、逃げるように、つなかんを後にした。
中学校の卒業式、相手の答えは必要ないし、
フラれても、もう高校も違うから。
答えはどうであれ、告白はしよう!!
「好きです!!付き合ってください!!」
相手の顔も見ずに叫ぶだけ叫び、相手の顔も見ずに走り去っていった
一方的なラブレターのようて、自分でも青くさ!!と思いながらも。
それでも、できることをしよう。という気持ちだった。
中学生の告白と違うのは、相手に何かを望んでるわけではないということだ。
付き合ってほしいとか、ヤリてぇなぁとか。相手に変化を求めるものではなく。
ただ、うん。ただ、お互いが
「今、ここ」に生きていることを確認するような時間だった。
つなかんを「自分の物語」として感じている人がいること。
離れていても、気持ちを寄せている人がいること。
その人たちの魂みたいなもの。
「僕らも、同じ時間をすごしていたよ」という足跡。
それは、どうしてもつなかんに、届けて置きたかった。
アルバム届ける。という「理由」がなければ、
きっと、僕も、この時期につなかんに行こうとも、思えなかったと思う。
450人の笑顔に、僕も救われたのだと、ようやくながら、気がついた。
どうも、ありがとう。
そして、いつかのタイミングで。「このアルバムを見にいこう」と、
誰かにとっての、つなかんに行く理由になることを願っている。