春休みからずっとここのブログも、Facebookもお休みしていて、色々とご心配おかけしました。
もちろん長期休暇と言えばイベントが無い訳がない我が家なのであちこち出かけたり、人と会ったり楽しい時間をたくさん過ごしながら仕事もちゃんとしていたのですが、実は…
先月26日大好きな大好きな、本当に大好きなおばあちゃんが突然天国に逝ってしまいました。
ここ数年はアルツハイマー病のせいで私が誰なのかさえ分からない状態でその上高齢だったのでいつかは当然のごとくおばあちゃんにも寿命が来ると分かっていながらも、心のどこかで『絶対死なない!』って信じていたと言うか、本人があまりに凄すぎるおばあちゃんで永遠と生き続けるかもなんて思わされる人だっただけに…
中武のおばあちゃん(母方)は本当に凄いおばあちゃんで、私にとって、私達孫6人全員にとってスーパーおばあちゃんでした。

私たちがまだ小学生で今で言う古賀市に住んでいた頃は宗像から国道3号線をバイクで走っては会いに何度も何度も来てくれたの、何度も何度も…バイクで…
私が5歳の時に病気でおじいちゃん亡くしててシングルおばあちゃんだったけど、最強でそして大きく家族を見てくれてた…
趣味でしていた俳句も権威ある雑誌(句集)に入選しては掲載された事もあって、その短冊に描く絵も上手だった。

私が生まれた時も一句詠んでくれて、それがちゃんとアルバムの一番最初のページに一番最初の写真と一緒に収められている…
手先が本当に器用で、有名な人が作った伝統工芸品に見劣らない手鞠作りの名人で、浴衣も反物から作ってくれたり、

それから何と言ってもこの私のお雛様も木目込み人形師範代の資格を持つおばあちゃんの手作り…
とにかく私の自慢のおばあちゃんの私の自慢のお雛様…
この青色の浴衣はおばあちゃんが縫ってくれた物で、気に入りすぎて何度も着てるからもう表面は擦れて色も随分褪せてしまったけど、まだ一番のお気に入り…

この他にも日本舞踊踊ったり、和凧作って浮世絵を描いたり、葉脈でしおり作ったり、本当何でも出来る、出来ない事がないおばあちゃんだった…
老人会の会長も長年務めて、地域で誰もが知っている有名なおばあちゃんでその交友関係の広さは私たち家族の誰も想像つかない程広くそして活発で活動的…
まだパソコンがそんなにない時代、私の小学校でもまだガリ版紙で学級新聞作っていた頃に真っ先にワープロ覚えて老人会会報誌や俳句集をまとめてたり若い子になんか絶対負けない頭のキレるおばあちゃん…
老人会の文化祭を見に行った時も孫そっちのけで来る人来る人に呼ばれては写真を一緒に撮ったり、冗談言って大笑いしたり、接客しっぱなしでずっと忙しかったおばあちゃん…
いつだったか市議会候補者の選挙カーに応援で乗った事があって、下校途中の私を見つけて後ろから大音量のマイクで『さやかちゃぁ~~ん!!』って呼ばれて凄く恥ずかしい思いをした事も…
春は毎年庭の梅の実を採ってカリカリ小梅を漬けたり梅酒を作ったり、夏は裏庭のハッサクを採ってたくさん剥いて食べさせてくれて、秋にはミカン農園の木を丸ごと1本買っておいてくれて私達みんなにミカン狩りをさせてくれて、そして冬になったら庭の金柑で甘露煮を作ってお餅もついてせっせとお正月の準備をしてくれて…
お花が大好きでおばあちゃんの庭は果物のほかに何かしら四季折々の花がたくさん、いつでも本当にたくさん花が咲いて…
夏に瓢箪(ヒョウタン)があちこちぶら下がって生っているのにはビックリした年も…
魔法の庭…と言うか魔法の庭師…
語ればキリがない程、いろんな才能に長けていて、とても元気で、友達も多く毎日忙しくしていたおばあちゃんだった…
それが先月、何の前触れもなく家族誰ひとり間に合わず1人でいきなりダッシュで逝ってしまった。
ばあちゃんらしいと言えばそうかもしれないけど…
今はこうやって自宅で普段通りの生活を送っているせいか、ばあちゃんが『いない』気がしなくて何事も無かった様にいたって普通にしているんだけど、あの夜、いつもと同じ寝顔で寝ているのに呼んでも起きなくて触ると冷たいばあちゃん前にした時は涙が止まらなくて、ずっと止まらなくて泣いて泣いて…
人って勝手なもんで生きている時は『ボケてなければ…』とかアルツハイマー病にかかる前に戻れたらいいなぁって正直思う事が度々あったけど、今痛烈に思うのは例え私の事が全く分からなくてもばあちゃんがいてくれるだけでいい、離れていても生きてるって言う事実だけでどれだけ私の毎日が救われていたかって事…
これまで優しくしてもらった分、可愛がってもらった分、愛してもらった分が涙になったかの様に、次から次に溢れ出して…
だから止まる訳もなく、あまりに大きな愛情と思い出全部が一瞬にしてばあちゃんと対面した時にフラッシュバックしたから…
腕が動いて抱きしめる事も、器用な手が動いて物を作る事も、口が開いて声を聞くことも、目で私を見て、髪が、頬が、背中が、足が…もう何もしれくれない
本当、この年になっても何かしてあげたいと言う気持ちよりも『してもらいたい』って思ってる甘ちゃんでいけませんね…
こっそりお小遣いくれたり、励まし慰めてくれたり…
今更ながらだけど、本当に世界で一番好きな人だったかもしれない…
葬儀の日も両親含め親戚中みんな何か用事があると私をスルーしてしっかり者の妹を頼る程、全く頼りないただのダダこねっ子の様に終始泣くばかりで役立たずの長女の私。
最期に従兄弟等みんなで手紙を書いて柩に入れようってなったけど『今回』は書かなかった…
3年前に父方のばあちゃんが亡くなった時はたくさんの感謝の気持ちと一つだけ後悔した事があって『ごめんね』と書いて収めたけど、その事があったお陰で中武のおばあちゃんには言いたい事、話したい事、思いつけば会いに行けたから葬儀の当日も『今更ね手紙で言わんでいいよ』ってばあちゃんに言われた気がしたんよ(笑)
ばあちゃんにとって初ひ孫の息子っちもたくさん一緒に時間を過ごす事が出来て、ひ孫5人のうちばあちゃんの事覚えておける年齢だったのが息子っちで救われた気持ち…

でも唯一後悔したのはもう一回、大きくてゴツゴツしてるけどツヤツヤで働き者のばあちゃんの手を握りたかった…
もう一回…いや、もう二回…いや、ずっと…
今はもう動かないばあちゃんを目の前にしてる訳じゃないから、本当、普通に宗像にいる気がしてならないから私もいたって普通にしてるけど…
こう書き記す事でばあちゃんがこの世にいないって現実を突きつけている様になってしまうけど…
私には凄いばあちゃんがいて、本当の本当に心から世界で一番大好きで自慢のばあちゃんで、何度も言うけど本当凄いばあちゃんがいたって事、これまでばあちゃんの事を知っていた人も知らなかった人も『なるほどだから清香なのね』とか『さすが貴方のおばあちゃんね』って1人でも多くの人に思ってもらいたい『want』、思って欲しい『hope』…そんな孫エゴ

ばあちゃんがいたから、みんな盆と正月は必ず集まった
そんな公表しなくても…と親戚に叱られるかもしれないけど、叱られるまで自慢のばあちゃんのこの記事と動画はここに記しておこうと思います。
あと数日でお誕生日と言うところ、享年91才、本当なら何百人、もしかしたら千人規模の人に見送られてもおかしくない人だったけど、自分より周りのお友達たくさん見送り過ぎて、更に元気に長生きしたから当日はお友達少なかった…ここは笑っていいところだよね(*´∀`*)

毎年お祝いしてた誕生日、本当にあとちょっとでお誕生日だったけど…
今は前よりもっと近くにいて毎日見てくれてるのかな…いや、絶対世界のどこかで忙しく翻弄してるよね(笑)
おばあちゃんが生きた証しがママであり、孫の私だからちゃんとこの先ばあちゃんみたいに頑張っていかないといけないね
私も改めて背筋がしゃんと伸びる気持ちだよ、ばあちゃん

ずっとずっと大好きだよ
既に長くなってしまったけど…
世界一好きなおばあちゃんではあるけど、宇宙一はママ!
(ばあちゃんごめん!(笑)
やっぱり母親の存在は偉大、だから今回一番淋しいのはママだったろうと思う
私も子を持つ母親になったから絶対に自分より先に子供が逝くのは認めないしその意味を理解出来ているつもりだけど、出来ればママには私より長生きして欲しいとマジで思う。
究極のワガママでしょうが、ママがいなくなるのは想像出来ないし無理です。
だからこれからも家族みんな元気に離れていてもちゃんと繋がって仲良くしていこうね
縁もゆかりもない人かもしれませんが、私の自慢のおばあちゃん、良かったら見てください
実は赤い風船の写真にはこんな続きが…
※親戚に怒られたら削除する可能性…アリです

もちろん長期休暇と言えばイベントが無い訳がない我が家なのであちこち出かけたり、人と会ったり楽しい時間をたくさん過ごしながら仕事もちゃんとしていたのですが、実は…
先月26日大好きな大好きな、本当に大好きなおばあちゃんが突然天国に逝ってしまいました。
ここ数年はアルツハイマー病のせいで私が誰なのかさえ分からない状態でその上高齢だったのでいつかは当然のごとくおばあちゃんにも寿命が来ると分かっていながらも、心のどこかで『絶対死なない!』って信じていたと言うか、本人があまりに凄すぎるおばあちゃんで永遠と生き続けるかもなんて思わされる人だっただけに…
中武のおばあちゃん(母方)は本当に凄いおばあちゃんで、私にとって、私達孫6人全員にとってスーパーおばあちゃんでした。

私たちがまだ小学生で今で言う古賀市に住んでいた頃は宗像から国道3号線をバイクで走っては会いに何度も何度も来てくれたの、何度も何度も…バイクで…
私が5歳の時に病気でおじいちゃん亡くしててシングルおばあちゃんだったけど、最強でそして大きく家族を見てくれてた…
趣味でしていた俳句も権威ある雑誌(句集)に入選しては掲載された事もあって、その短冊に描く絵も上手だった。

私が生まれた時も一句詠んでくれて、それがちゃんとアルバムの一番最初のページに一番最初の写真と一緒に収められている…
手先が本当に器用で、有名な人が作った伝統工芸品に見劣らない手鞠作りの名人で、浴衣も反物から作ってくれたり、

それから何と言ってもこの私のお雛様も木目込み人形師範代の資格を持つおばあちゃんの手作り…
とにかく私の自慢のおばあちゃんの私の自慢のお雛様…
この青色の浴衣はおばあちゃんが縫ってくれた物で、気に入りすぎて何度も着てるからもう表面は擦れて色も随分褪せてしまったけど、まだ一番のお気に入り…

この他にも日本舞踊踊ったり、和凧作って浮世絵を描いたり、葉脈でしおり作ったり、本当何でも出来る、出来ない事がないおばあちゃんだった…
老人会の会長も長年務めて、地域で誰もが知っている有名なおばあちゃんでその交友関係の広さは私たち家族の誰も想像つかない程広くそして活発で活動的…
まだパソコンがそんなにない時代、私の小学校でもまだガリ版紙で学級新聞作っていた頃に真っ先にワープロ覚えて老人会会報誌や俳句集をまとめてたり若い子になんか絶対負けない頭のキレるおばあちゃん…
老人会の文化祭を見に行った時も孫そっちのけで来る人来る人に呼ばれては写真を一緒に撮ったり、冗談言って大笑いしたり、接客しっぱなしでずっと忙しかったおばあちゃん…
いつだったか市議会候補者の選挙カーに応援で乗った事があって、下校途中の私を見つけて後ろから大音量のマイクで『さやかちゃぁ~~ん!!』って呼ばれて凄く恥ずかしい思いをした事も…
春は毎年庭の梅の実を採ってカリカリ小梅を漬けたり梅酒を作ったり、夏は裏庭のハッサクを採ってたくさん剥いて食べさせてくれて、秋にはミカン農園の木を丸ごと1本買っておいてくれて私達みんなにミカン狩りをさせてくれて、そして冬になったら庭の金柑で甘露煮を作ってお餅もついてせっせとお正月の準備をしてくれて…
お花が大好きでおばあちゃんの庭は果物のほかに何かしら四季折々の花がたくさん、いつでも本当にたくさん花が咲いて…
夏に瓢箪(ヒョウタン)があちこちぶら下がって生っているのにはビックリした年も…
魔法の庭…と言うか魔法の庭師…
語ればキリがない程、いろんな才能に長けていて、とても元気で、友達も多く毎日忙しくしていたおばあちゃんだった…
それが先月、何の前触れもなく家族誰ひとり間に合わず1人でいきなりダッシュで逝ってしまった。
ばあちゃんらしいと言えばそうかもしれないけど…
今はこうやって自宅で普段通りの生活を送っているせいか、ばあちゃんが『いない』気がしなくて何事も無かった様にいたって普通にしているんだけど、あの夜、いつもと同じ寝顔で寝ているのに呼んでも起きなくて触ると冷たいばあちゃん前にした時は涙が止まらなくて、ずっと止まらなくて泣いて泣いて…
人って勝手なもんで生きている時は『ボケてなければ…』とかアルツハイマー病にかかる前に戻れたらいいなぁって正直思う事が度々あったけど、今痛烈に思うのは例え私の事が全く分からなくてもばあちゃんがいてくれるだけでいい、離れていても生きてるって言う事実だけでどれだけ私の毎日が救われていたかって事…
これまで優しくしてもらった分、可愛がってもらった分、愛してもらった分が涙になったかの様に、次から次に溢れ出して…
だから止まる訳もなく、あまりに大きな愛情と思い出全部が一瞬にしてばあちゃんと対面した時にフラッシュバックしたから…
腕が動いて抱きしめる事も、器用な手が動いて物を作る事も、口が開いて声を聞くことも、目で私を見て、髪が、頬が、背中が、足が…もう何もしれくれない
本当、この年になっても何かしてあげたいと言う気持ちよりも『してもらいたい』って思ってる甘ちゃんでいけませんね…
こっそりお小遣いくれたり、励まし慰めてくれたり…
今更ながらだけど、本当に世界で一番好きな人だったかもしれない…
葬儀の日も両親含め親戚中みんな何か用事があると私をスルーしてしっかり者の妹を頼る程、全く頼りないただのダダこねっ子の様に終始泣くばかりで役立たずの長女の私。
最期に従兄弟等みんなで手紙を書いて柩に入れようってなったけど『今回』は書かなかった…
3年前に父方のばあちゃんが亡くなった時はたくさんの感謝の気持ちと一つだけ後悔した事があって『ごめんね』と書いて収めたけど、その事があったお陰で中武のおばあちゃんには言いたい事、話したい事、思いつけば会いに行けたから葬儀の当日も『今更ね手紙で言わんでいいよ』ってばあちゃんに言われた気がしたんよ(笑)
ばあちゃんにとって初ひ孫の息子っちもたくさん一緒に時間を過ごす事が出来て、ひ孫5人のうちばあちゃんの事覚えておける年齢だったのが息子っちで救われた気持ち…

でも唯一後悔したのはもう一回、大きくてゴツゴツしてるけどツヤツヤで働き者のばあちゃんの手を握りたかった…
もう一回…いや、もう二回…いや、ずっと…
今はもう動かないばあちゃんを目の前にしてる訳じゃないから、本当、普通に宗像にいる気がしてならないから私もいたって普通にしてるけど…
こう書き記す事でばあちゃんがこの世にいないって現実を突きつけている様になってしまうけど…
私には凄いばあちゃんがいて、本当の本当に心から世界で一番大好きで自慢のばあちゃんで、何度も言うけど本当凄いばあちゃんがいたって事、これまでばあちゃんの事を知っていた人も知らなかった人も『なるほどだから清香なのね』とか『さすが貴方のおばあちゃんね』って1人でも多くの人に思ってもらいたい『want』、思って欲しい『hope』…そんな孫エゴ

ばあちゃんがいたから、みんな盆と正月は必ず集まった
そんな公表しなくても…と親戚に叱られるかもしれないけど、叱られるまで自慢のばあちゃんのこの記事と動画はここに記しておこうと思います。
あと数日でお誕生日と言うところ、享年91才、本当なら何百人、もしかしたら千人規模の人に見送られてもおかしくない人だったけど、自分より周りのお友達たくさん見送り過ぎて、更に元気に長生きしたから当日はお友達少なかった…ここは笑っていいところだよね(*´∀`*)

毎年お祝いしてた誕生日、本当にあとちょっとでお誕生日だったけど…
今は前よりもっと近くにいて毎日見てくれてるのかな…いや、絶対世界のどこかで忙しく翻弄してるよね(笑)
おばあちゃんが生きた証しがママであり、孫の私だからちゃんとこの先ばあちゃんみたいに頑張っていかないといけないね
私も改めて背筋がしゃんと伸びる気持ちだよ、ばあちゃん

ずっとずっと大好きだよ

既に長くなってしまったけど…
世界一好きなおばあちゃんではあるけど、宇宙一はママ!

(ばあちゃんごめん!(笑)
やっぱり母親の存在は偉大、だから今回一番淋しいのはママだったろうと思う
私も子を持つ母親になったから絶対に自分より先に子供が逝くのは認めないしその意味を理解出来ているつもりだけど、出来ればママには私より長生きして欲しいとマジで思う。
究極のワガママでしょうが、ママがいなくなるのは想像出来ないし無理です。
だからこれからも家族みんな元気に離れていてもちゃんと繋がって仲良くしていこうね
縁もゆかりもない人かもしれませんが、私の自慢のおばあちゃん、良かったら見てください
実は赤い風船の写真にはこんな続きが…
※親戚に怒られたら削除する可能性…アリです

