途中海外勤務をしたり、日本で会社員をしていた頃もありましたが…
英語を人に教える事を始めてからあと数年で20年になろうかとしている今日この頃。
こんな事書くと『ちょっとあの先生、大丈夫???』と思われてしまうかもですが、きちんと中学・高校・そして大学でも英語授業を受けてきたものの、私はどちらかと言うと『理屈や理論』ではなく、日本人の子どもが当たり前の様に日本語を覚える様に、流れてくる英語そのもので文法や単語を理解してきた方で(多分)、失礼ながら先生の説明と言うよりは教科書や会話、繰り返される問題のパターンで『あ~こう言うものなんだ』って理解してました
子どもの頃にアメリカに住んでいたせい??おかげ??で、私のアクセントは早い時期からいわゆる『American English』と言われる『なまり』があり、なかなかカタカナではうまく表現出来ませんが、『Butter(バター)』を『バルゥ~』と言うわけです。
また私が最初にアメリカに住んでいたのは5歳~7歳で、当然学校で難しい文法を学んだ訳でもなく本をたくさん読んだ訳でもないのに、耳に入ってくるテレビアニメの台詞やお友達同士の会話は問題なく現地の子供の様に理解し受け答え出来ていた…と母が言っていましたあまり記憶がない
恐らくそこに今皆さんの頭を悩ませている『現在完了形』や『不定詞』等は当たり前の様に存在していたはずで、それらを普通に5歳児が使っていた…んでしょうねぇ~
そしてそこにはあったのは『理屈』じゃなくて、きっと『だってこう言いたいから、そう言う表現になるのよ!』って感じ(笑)
皆さんでも日本語の『どこに行きますか?』の問に対して『〇〇に行きます。』と『〇〇へ行きます。』この『に』と『へ』の違い、きちんと説明出来る方は少ないと思います。
日本人なのに…いや、日本人だから説明出来ないんです、普通に気にした事もなく当たり前の様に使っているから(笑)
※この『に』と『へ』にも一応、法則があるので気になる方はご連絡されたし
時は変わって約20年前、講師始めて間もない頃、英語を日本語で教えると言う難しさに直面して『ガーン』ってなった時期がありました。
と言っても英語を英語で教えられると言う訳では全くありませんが、正確に言うと『英会話』を教えるのはとっても簡単でも、『英語』を教える、
要は私にとって文法を解説して型にはめていく事が大変困難な作業だった言う事です。
例えば簡単な例で言うと、『Played』の様に規則動詞に『ed』を付けると『過去形』になりこの場合『遊んだ』となりますが、子供の頃の私はきっと手紙のやり取りをした訳でも筆談をした訳でもなくスペルなんか知らないので語尾の音だけで『~した』と判断していて、学生の頃の私も『一般動詞の過去形の疑問文』は助動詞を過去形にして動詞は原形を使うなんて恐らく考えたこともなく『Did S(=主語)~?』が当然正しい表現なんだと実に感覚的受け入れて使用していました。
なので『yをiに変えてedを付ける』なんて言うルールが『子音字+y』の時に発動するなんて、中学校の時に習っていただろうと思いますがきちんと記憶して『ほぉ~~~~!!』となったのは随分あとの事でした(;´∀`)
言われてみれば当たり前の様に使っていた『played=遊んだ』は『y』の前が母音なのでそのまま『ed』を付いており、『studied=勉強した』は原形の語尾が『dy(=子音字+y)』で終わってる!と、当時感心したのを覚えてます(^。^;)
そんな訳でその後学習に学習を重ね
今ではある程度の英文法はきれいに整理整頓する事が出来る様になり、現在皆さんに解説させて頂いている今日この頃なのです
さてさて、一体何が言いたいのかと言うと…
『文法』はいいんです、口語との違いはたくさんあるものの、文法は法則であり決まりなので私の知る限り高校・レベルまでは『正解は正解』であり、『間違いは間違い』なんです※ただし言い換えはたくさん出来ます。
問題は『発音』
何の問題だったか忘れてしまいましたが、中学生の発音の問題で意識して読めば読むほど訳が分からなくなり、結局答えの選択肢にあったAとBどっちも正解じゃない???と思ってしまった問題がありました
その時は(間違いを教える訳にはいかないので)きちんと辞書を調べて『あ、こっちが正解だね』とその場をやり過ごしましたが、その後も残るそのモヤモヤ感がたまらなく消化不良を起こし続けていました。
後々考えてみれば私のモヤモヤの一つの原因は『どちらの発音も聞いた事がある!』『どちらの発音でも通じるやん!』と思っていたから…
そ~なんです!確かに辞書には『発音記号』が書いてあり、それは『正しい発音』なんですがあくまでも『その言葉だけを発音した場合』の正しい発音であり、文章の中では前後の言葉の関係により音が『同化』したり『無声化』したり、またそれぞれの音に『許容範囲の音』があるので全くネイティブに聞こえない日本人の発音が現地の人に通じる場合があるのも、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、アメリカで全く同じ単語が微妙に違う発音になっていても同じ単語とお互い認識出来るのもそのせいです。
なので、あの時『AとBのどちらも正解』だと思ってしまった原因はきっとどこかで間違いなく『聞いた事がある音』もしくは『(会話中では)許される音』だったのでしょう…と、これでスッキリです
今日実は別府在住のとても仲良くさせてもらっているお友達先生のご紹介で音声学のエキスパートであられる小田節子先生のセミナーを受講させて頂きました
先ほどの音の『同化』『無声化』『音の許容範囲』の話も小田先生からのレクチャー頂いたもので、確かに辞書の『発音記号』は正しい読み方だけど場合によっては多様に変化し得るものであると…お陰様で抱えていたモヤモヤの一部がスカーっと晴れました
ん??音声学??大学の授業であったはずでは??…ですよねぇ~
言い訳がましいですが、入試の際に基準値以上の得点を取ったので音声学を含むいくつかの必須科目を免除され履修してない私…発音が出来るのと理解しているのは別で免除された事を初めて後悔しました( ̄▽ ̄;)
ま、ま、それはさておき、ここで今日のセミナーを受けて更に思うわけです…中学校で習う英語って何だろうと…
発音問題…これって必要???
何の為に発音の問題を出すのだろうと、本気で疑問に思う訳です。
外国人に通じる発音を身につけて欲しいなら、単語の発音より文章のフレーズをいくつもいくつも聞かせ、どんな会話においても言葉を認識するリスニング力が必要でしょ???と。
だって、今では2歳の子でも歌いますよね?『レリゴ~(=Let it go)』って
誰があれを『レット イット ゴ~』って歌うんですか????
単語を続けて読むことで音の『同化』や『無声化』が起こっているんです。
『want to 』 を『ワナ』と読むように…
こうなると中学校英語を根本的に否定している様に聞こえてしまうかもしれませんが、いえいえそうじゃなくて文法も大事なんですが、中学校で学ぶ英単語と文法だけでまるでネイティブの様にペラペラ喋れる様になれる要素はあるのに、それを可能にする時間と授業がないのが悲しいところかなと…
必要なのは言い回し(表現)、文章中の単語の発音、それとイントネーション
『No』一つでも『No=いいや、違うけどぉ~』『No=イヤ違う』『No=違うわよぉ』みたいな
発音問題…これは絶対いらない…と思います…
むしろ発音をテストしたいなら朗読テストもしくは会話テストを導入したらいいいのになぁと…私は思います
学校では会話フレーズをほとんど聴かせる事がないのに、試験にリスニングテストが必ずある…英会話を習っていない生徒は本当に大変です
それで益々思う訳です
やっぱり『英会話』を教えたいって…
もちろん『英会話』をしっかり教えています、が、それが中学校のテストでも活かされる様にする為にはやはりきちんとした『文法』も教えないといけない…
本当に心から『英会話』と言う教科と『英文法』と言う教科があればいいなぁと思います。
英会話は通じればOk、細かい間違いなんて気にしない、気にしない
どんどん話しましょぉ~~~~~って言うのが、私の理想
文法の細かいルールなんてナンセンス!!
相手の会話を理解して自分の気持ちを英語で伝えれたらそれだけで素敵じゃなですか
言いたい事が伝わりさえすれば仕事にもなる
今、海外で活躍している皆さんが全員『的確で正しい英語』を話している…とはとても思いません
だけど受験となるとね…はぁ~(*´д`;)
それから今日伺った小田先生のお話に『まだ産まれていないお腹の中の赤ちゃんにもレッスンしている』とありました
私達はつい『大きくなるにつれて賢くなる』と思い込んでしまいますが、子供はどこにいてもその地域の文化と言語が身につく例で考えると最も賢く柔軟なのは『赤ちゃん』なのかもしれませんね
大きくなっても勉強しさえすれば文法問題は簡単に解け高得点を出すことは可能でも、よりネイティブに近づけられる能力は年齢と共に低下している様な気がします
究極を言えば産まれる前からの教育が出来たら何よりいいのかもしれませんが、私個人的な観点から言わせて頂けると幼稚園年少さんからの英語教育は本当に先が楽しみであり、一番理屈を考えず体と感覚で語学力を養える時期なので始められるにはお勧めです
ただ一度止めてしまうとゼロになってしまうので、早く始めた分だけ長く続けないといけないリスクはありますが…
今、世界で英語を話していいる全体のおよそ8割は私達日本人の様な『英語を母国語としない人』だそです
英語を話す人口の内、ネイティブがたったの2割しかいなにのに、その言語についていく他国の人間が8割いると考えるといかに英語が『世界共通語』であるかと認識せざるを得ないと思いませんか???
英語を人に教える事を始めてからあと数年で20年になろうかとしている今日この頃。
こんな事書くと『ちょっとあの先生、大丈夫???』と思われてしまうかもですが、きちんと中学・高校・そして大学でも英語授業を受けてきたものの、私はどちらかと言うと『理屈や理論』ではなく、日本人の子どもが当たり前の様に日本語を覚える様に、流れてくる英語そのもので文法や単語を理解してきた方で(多分)、失礼ながら先生の説明と言うよりは教科書や会話、繰り返される問題のパターンで『あ~こう言うものなんだ』って理解してました
子どもの頃にアメリカに住んでいたせい??おかげ??で、私のアクセントは早い時期からいわゆる『American English』と言われる『なまり』があり、なかなかカタカナではうまく表現出来ませんが、『Butter(バター)』を『バルゥ~』と言うわけです。
また私が最初にアメリカに住んでいたのは5歳~7歳で、当然学校で難しい文法を学んだ訳でもなく本をたくさん読んだ訳でもないのに、耳に入ってくるテレビアニメの台詞やお友達同士の会話は問題なく現地の子供の様に理解し受け答え出来ていた…と母が言っていましたあまり記憶がない
恐らくそこに今皆さんの頭を悩ませている『現在完了形』や『不定詞』等は当たり前の様に存在していたはずで、それらを普通に5歳児が使っていた…んでしょうねぇ~
そしてそこにはあったのは『理屈』じゃなくて、きっと『だってこう言いたいから、そう言う表現になるのよ!』って感じ(笑)
皆さんでも日本語の『どこに行きますか?』の問に対して『〇〇に行きます。』と『〇〇へ行きます。』この『に』と『へ』の違い、きちんと説明出来る方は少ないと思います。
日本人なのに…いや、日本人だから説明出来ないんです、普通に気にした事もなく当たり前の様に使っているから(笑)
※この『に』と『へ』にも一応、法則があるので気になる方はご連絡されたし
時は変わって約20年前、講師始めて間もない頃、英語を日本語で教えると言う難しさに直面して『ガーン』ってなった時期がありました。
と言っても英語を英語で教えられると言う訳では全くありませんが、正確に言うと『英会話』を教えるのはとっても簡単でも、『英語』を教える、
要は私にとって文法を解説して型にはめていく事が大変困難な作業だった言う事です。
例えば簡単な例で言うと、『Played』の様に規則動詞に『ed』を付けると『過去形』になりこの場合『遊んだ』となりますが、子供の頃の私はきっと手紙のやり取りをした訳でも筆談をした訳でもなくスペルなんか知らないので語尾の音だけで『~した』と判断していて、学生の頃の私も『一般動詞の過去形の疑問文』は助動詞を過去形にして動詞は原形を使うなんて恐らく考えたこともなく『Did S(=主語)~?』が当然正しい表現なんだと実に感覚的受け入れて使用していました。
なので『yをiに変えてedを付ける』なんて言うルールが『子音字+y』の時に発動するなんて、中学校の時に習っていただろうと思いますがきちんと記憶して『ほぉ~~~~!!』となったのは随分あとの事でした(;´∀`)
言われてみれば当たり前の様に使っていた『played=遊んだ』は『y』の前が母音なのでそのまま『ed』を付いており、『studied=勉強した』は原形の語尾が『dy(=子音字+y)』で終わってる!と、当時感心したのを覚えてます(^。^;)
そんな訳でその後学習に学習を重ね
今ではある程度の英文法はきれいに整理整頓する事が出来る様になり、現在皆さんに解説させて頂いている今日この頃なのです
さてさて、一体何が言いたいのかと言うと…
『文法』はいいんです、口語との違いはたくさんあるものの、文法は法則であり決まりなので私の知る限り高校・レベルまでは『正解は正解』であり、『間違いは間違い』なんです※ただし言い換えはたくさん出来ます。
問題は『発音』
何の問題だったか忘れてしまいましたが、中学生の発音の問題で意識して読めば読むほど訳が分からなくなり、結局答えの選択肢にあったAとBどっちも正解じゃない???と思ってしまった問題がありました
その時は(間違いを教える訳にはいかないので)きちんと辞書を調べて『あ、こっちが正解だね』とその場をやり過ごしましたが、その後も残るそのモヤモヤ感がたまらなく消化不良を起こし続けていました。
後々考えてみれば私のモヤモヤの一つの原因は『どちらの発音も聞いた事がある!』『どちらの発音でも通じるやん!』と思っていたから…
そ~なんです!確かに辞書には『発音記号』が書いてあり、それは『正しい発音』なんですがあくまでも『その言葉だけを発音した場合』の正しい発音であり、文章の中では前後の言葉の関係により音が『同化』したり『無声化』したり、またそれぞれの音に『許容範囲の音』があるので全くネイティブに聞こえない日本人の発音が現地の人に通じる場合があるのも、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、アメリカで全く同じ単語が微妙に違う発音になっていても同じ単語とお互い認識出来るのもそのせいです。
なので、あの時『AとBのどちらも正解』だと思ってしまった原因はきっとどこかで間違いなく『聞いた事がある音』もしくは『(会話中では)許される音』だったのでしょう…と、これでスッキリです
今日実は別府在住のとても仲良くさせてもらっているお友達先生のご紹介で音声学のエキスパートであられる小田節子先生のセミナーを受講させて頂きました
先ほどの音の『同化』『無声化』『音の許容範囲』の話も小田先生からのレクチャー頂いたもので、確かに辞書の『発音記号』は正しい読み方だけど場合によっては多様に変化し得るものであると…お陰様で抱えていたモヤモヤの一部がスカーっと晴れました
ん??音声学??大学の授業であったはずでは??…ですよねぇ~
言い訳がましいですが、入試の際に基準値以上の得点を取ったので音声学を含むいくつかの必須科目を免除され履修してない私…発音が出来るのと理解しているのは別で免除された事を初めて後悔しました( ̄▽ ̄;)
ま、ま、それはさておき、ここで今日のセミナーを受けて更に思うわけです…中学校で習う英語って何だろうと…
発音問題…これって必要???
何の為に発音の問題を出すのだろうと、本気で疑問に思う訳です。
外国人に通じる発音を身につけて欲しいなら、単語の発音より文章のフレーズをいくつもいくつも聞かせ、どんな会話においても言葉を認識するリスニング力が必要でしょ???と。
だって、今では2歳の子でも歌いますよね?『レリゴ~(=Let it go)』って
誰があれを『レット イット ゴ~』って歌うんですか????
単語を続けて読むことで音の『同化』や『無声化』が起こっているんです。
『want to 』 を『ワナ』と読むように…
こうなると中学校英語を根本的に否定している様に聞こえてしまうかもしれませんが、いえいえそうじゃなくて文法も大事なんですが、中学校で学ぶ英単語と文法だけでまるでネイティブの様にペラペラ喋れる様になれる要素はあるのに、それを可能にする時間と授業がないのが悲しいところかなと…
必要なのは言い回し(表現)、文章中の単語の発音、それとイントネーション
『No』一つでも『No=いいや、違うけどぉ~』『No=イヤ違う』『No=違うわよぉ』みたいな
発音問題…これは絶対いらない…と思います…
むしろ発音をテストしたいなら朗読テストもしくは会話テストを導入したらいいいのになぁと…私は思います
学校では会話フレーズをほとんど聴かせる事がないのに、試験にリスニングテストが必ずある…英会話を習っていない生徒は本当に大変です
それで益々思う訳です
やっぱり『英会話』を教えたいって…
もちろん『英会話』をしっかり教えています、が、それが中学校のテストでも活かされる様にする為にはやはりきちんとした『文法』も教えないといけない…
本当に心から『英会話』と言う教科と『英文法』と言う教科があればいいなぁと思います。
英会話は通じればOk、細かい間違いなんて気にしない、気にしない
どんどん話しましょぉ~~~~~って言うのが、私の理想
文法の細かいルールなんてナンセンス!!
相手の会話を理解して自分の気持ちを英語で伝えれたらそれだけで素敵じゃなですか
言いたい事が伝わりさえすれば仕事にもなる
今、海外で活躍している皆さんが全員『的確で正しい英語』を話している…とはとても思いません
だけど受験となるとね…はぁ~(*´д`;)
それから今日伺った小田先生のお話に『まだ産まれていないお腹の中の赤ちゃんにもレッスンしている』とありました
私達はつい『大きくなるにつれて賢くなる』と思い込んでしまいますが、子供はどこにいてもその地域の文化と言語が身につく例で考えると最も賢く柔軟なのは『赤ちゃん』なのかもしれませんね
大きくなっても勉強しさえすれば文法問題は簡単に解け高得点を出すことは可能でも、よりネイティブに近づけられる能力は年齢と共に低下している様な気がします
究極を言えば産まれる前からの教育が出来たら何よりいいのかもしれませんが、私個人的な観点から言わせて頂けると幼稚園年少さんからの英語教育は本当に先が楽しみであり、一番理屈を考えず体と感覚で語学力を養える時期なので始められるにはお勧めです
ただ一度止めてしまうとゼロになってしまうので、早く始めた分だけ長く続けないといけないリスクはありますが…
今、世界で英語を話していいる全体のおよそ8割は私達日本人の様な『英語を母国語としない人』だそです
英語を話す人口の内、ネイティブがたったの2割しかいなにのに、その言語についていく他国の人間が8割いると考えるといかに英語が『世界共通語』であるかと認識せざるを得ないと思いませんか???