金融マーケットと馬に関する説法話

普段は資産運用ビジネスに身を置きながら、週末は競馬に明け暮れる老紳士の説法話であります。

【競馬昔話シリーズ①】 関西の重賞レースの馬券も買えなかった時代!

2021-12-22 06:14:02 | 競馬

 自分が競馬を見始めたのは、1973年のハイセイコーが負けた日本ダービーの時からですが、今から思うと、当時と現在の違いの凄さに愕然とすることさえあります。

 当時の日本中央競馬会は、関東と関西は、完全に分離して運営がされていました。今のように、コンピューターのレベルもハイスペックではなく原始的であるばかりか、馬の輸送技術が前近代的なレベルでありました。まだ、栗東トレセン、美浦トレセンもない時代で、馬の輸送と言えば、各競馬場に隣接されていた各厩舎から、それぞれレースが開催される競馬場への直接輸送ですから、まぁ、とんでもない時間が掛かる訳です。当日輸送なんて、現実的ではない行為でしたし、数週間前に輸送するケースも珍しくありませんでした。確か、3歳時のテンポイントは、関西馬なのに、皐月賞の数か月前から中山競馬場に移住していたと思います。

 運営が東西で完全に分離されていたので、関東の競馬ファンが関西のレースの馬券を買うことは、原則出来ない仕組みでした。今みたいにネット投票はありませんでしたし、電話投票が出来たのも、もう少しあとで、しかも限られたメンバーだけの投票方法でした。

 例外扱いとして、八大競走と中山大障害だけは、全国発売が為されていたと思います。一方で、ハイセイコーが勝った宝塚記念は、八大競走でないが故に、関東では馬券発売がありませんでした。確か、故 大橋巨泉氏がTVで怒りまくっていた記憶があります。

 それでも、関西の重賞レースは、フジTVやTV東京の競馬中継で観ることが出来たので、馬券は買えなくても楽しみことは出来たのですが、一般レースとなるとラジオ中継もしてくれませんから、わざわざソニーの短波ラジオを購入して、兄と一緒に、気になるレースを聴いていたのを覚えています。タニノチカラとか、キタノカチドキが関西で走っている時は、この短波ラジオだけが頼りでした。(続く)


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