dmenuニュースより
http://topics.smt.docomo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-200313X372?fm=d
延期などではなくてはっきりと、
『中止』
で宜しいのであります。

そもそも、一般國民は開催そのものに関心がありません。
この期に及んでなおも「問題ない」だの「予定通り開催」だのと言ひ張る為政者たちの往生際の惡さに、不快感と嫌惡感を覺へます。
國民から行樂や娯樂をさんざん取り上げておいて、茶番大運動會だけは開催するなど、それこそ政治屋サンたちがよく宣ふところの、
「國民の理解が得られない」
と、いふものであります。
そもそも、アマチュア(素人)といふ立場は観客からおカネをとれません。
そのアマチュアの競技大會で、なんで「経済効果」云々とおカネ絡みのコトバが出てくるのかが、不思議です。
もし本當に「平和の祭典」であるならば、経済効果云々はその副産物であるはずなのに、いまでは不健康なカネ儲けが真の目的であることがイヤらしいまでに露呈してゐて、それでもなお「平和の祭典」を装ふところに、私は激しい嫌悪を覺へます。
たしかに、これだけソロバンを弾く輩が寄生してゐたら、『中止』による経済恐慌は凄まじいものがありませう。
しかし、私たち一般國民は過去のバブル崩壊やリーマンショックといった恐慌を、なんだかんだ言って乗り越へています。
それによって絶滅危惧種化するのは、むしろソロバンを弾ひてゐるさうした一部の輩であります。
『中止』によってそれらが粛清されたはうが、よほど「平和の祭典」としての意義がありませう。
経済損失分はだうする……?
それは消費税を期間限定でも廃止すれば、みんな一気に買ひ物意欲が湧ひてたちまち好景気、損失分などすぐに取り戻せることでせう。
いまだ根強ひ残党がいるチリ紙教信者のごとく、爆買ひ暴徒化の恐れはありますが……。
ただ『中止』によって注意すべきは、また「○○が無くなるぞ!」とデマが飛び、それに簡単に踊らされて買ひ占めに狂騒する衆庶が、大量発生することであります。
また、主役であるはずのアマチュア運動家たちが誰一人として、「絶対開催だ!」と聲を挙げないのも、不思議です。
自分たちの指導者を引きずり下ろすときは、みんな團結して大騒ぎしたのに……。