まさか、本当にこうしてまたお目にかかるとは、思ってもいませんでした。
あれからもう、…そうですね、八年ですよね。
前回は、二十歳になって間もない頃で…、って言うと、いまの年齢(とし)バレちゃいますね。
いいんです、隠さないんです、わたし。
再来年で、“アラサー”ですよ。
まあ、“アラフォー”の域に入ってきたら、黙っていようかと…。
はは、ありがとうございます。
ウソでも、そう言っていただけると嬉しいです。
あなただって、基本的には変わっていませんよ。
そうですね、やっぱり人前に立つ仕事をしているからですかね。
と言っても、女優業ではありませんけど。
ええ。
あれはもう…、まァ、やめたんです。
そうです。
ですから、残念ながらサクセスストーリーはお聞かせ出来ませんよ。
…あ、もしかして、『高島陽也(たかしま はるや) 大女優への軌跡』なんてタイトル考えてました?
『あの“偲姿―オモカゲ―”から八年』とかサブタイトル付けて。
ははは…。
そうですか?
前回のドサ廻り体験談みたいな、ああいったお話しにはなりませんけど、いいんですか?
もっとも、お話しするとしたら、あの人たちとのその後、みたいなところからになるんですけど。
ええ、そうなんです。
もう二度関わるもんか!と思っていたら、妙なご縁で…。
そうですか、ではそのへんからお話ししましょうか。
タイトルは、また「偲姿」ですか?
いや、わたしは何だっていいんですけど…。
あ、じゃあ今度はルビを、平仮名にしたりするのは?
え、本当にそうなさるんですか?
あはは。
どうぞ。
あの、それから電池、大丈夫ですか?
なんかさっきからそれ、調子良くないみたいですけど…。
わたしが「劇団ASUKA」なるドサ廻り一座に参加していたことは、この時は幸い所属事務所にはバレずに済みました。
理由を問わず、二股かけたらクビ、という規則でしたから―もっとも、そんなのは建前で…、あ、いきなり話しが横道に逸れてしまいますね。
やめましょう、それはまた別の時に。
で、あの“面白い”体験で、安易な道へ堕ちることに心底懲りたわたしは、東京に戻ってからは、アルバイトで生計を立てながら、地道に役者志望活動を続けていました。
もちろん、エキストラばっかりですよ。
いつ役に立つのか分からない演技レッスンを毎月受けながら―エキストラは基本、演技してはダメなんです。メインの役者が引き立たなくなるので。
もちろん、そこそこの役のオーディションにも何度か行きましたけれど、全て見事に撃沈でした。
その代わり、エキストラとしてはいろいろな作品に出ましたよ。
タイトルなんか、もういちいち憶(おぼ)えてはいないくらいに。
はい。
まわりも似たり寄ったりで、いつまでも芽が出ないことにイラついて、辞めてしまったり、他の事務所に移籍して行ったり、いろんな人がいましたよ。
ええ。移籍したって、待遇なんて変わりはしません。
「自分はこんなじゃないハズだ!」って飛び出して、事務所を転々とするわけですけど、そういう“渡り鳥”状態のヒトと云うのは、逆にギョーカイの信用を失なうだけで、最期は必ず消えていくんです。
フワフワしていて腰が据わっていない、と云うことで、「どうせウチだってすぐに辞めるんだろ」と見られて、初めから相手にされなくなっていくわけですよ。
忘れられないのが、わたしが“復帰”したのとほぼ入れ違いくらいで辞めていった、当時大学生だった男の子です。
わたしが事務所でエキストラのギャラを受け取った帰りに―振込みではなくて手渡し制なんです―、事務所のエレベーターで、たまたま彼と一緒になったんです。
役者になろうと云うくらいですから、なかなかのイケメン君でしたよ。
ドラマのエキストラで何度か一緒になったことがあったので、「あ、どうも…」みたいに挨拶してから、ギャラの受け取りですか、と訊くと、
『契約を解除してきたところ』
と言うわけです。
とにかくルックスだけはいいコだったので、移籍でもするのかなと思ったら、
『役者は諦めて、実家に帰る事にした』
と。
実家は岡山県で、父親が会社を経営していて―何の会社かは訊きませんでしたけど―、大学卒業までに東京で役者として芽が出ないようだったら、こっちへ帰って来て会社を手伝う、と云う約束になっていたそうです。
この時初めて、そのコが二十二だってことを知ったんですけど、いま思えばまだまだ二十代前半、夢はこれからという気がしますけど、実家とそういう約束ならば仕方ないですよね。
イケメンタレントとして充分やっていけそうなルックスなのに、勿体ないなぁなんて思ったものですけど―ただ悲しい哉、そういうコはあのギョーカイ、掃いて棄てるほどいるんです。
そのコ自身、すでにタレント志望に未練は無い、といった感じで、事務所の入っているビルの前で別れる時、彼はこんなことを言ったんです。
『夢は見るもの、語るもの、そして最後に食われるもの、ってね…』
その男の子がいつからタレント志望やっていたのか知りませんけど、あまりにも悲し過ぎる結論だと、今でも思います。
もっとも、その考えは一概に否定も出来ないのですが…。
わたしだって、いつまでこんな生活が続くんだろう、といった先行きの不安はありました。
でも、あのドサ廻りがよっぽど骨身に堪(こた)えたんですね、今のこの事務所で、行き着く所まで行ってやろう、と強く決めていました。
〈続〉
あれからもう、…そうですね、八年ですよね。
前回は、二十歳になって間もない頃で…、って言うと、いまの年齢(とし)バレちゃいますね。
いいんです、隠さないんです、わたし。
再来年で、“アラサー”ですよ。
まあ、“アラフォー”の域に入ってきたら、黙っていようかと…。
はは、ありがとうございます。
ウソでも、そう言っていただけると嬉しいです。
あなただって、基本的には変わっていませんよ。
そうですね、やっぱり人前に立つ仕事をしているからですかね。
と言っても、女優業ではありませんけど。
ええ。
あれはもう…、まァ、やめたんです。
そうです。
ですから、残念ながらサクセスストーリーはお聞かせ出来ませんよ。
…あ、もしかして、『高島陽也(たかしま はるや) 大女優への軌跡』なんてタイトル考えてました?
『あの“偲姿―オモカゲ―”から八年』とかサブタイトル付けて。
ははは…。
そうですか?
前回のドサ廻り体験談みたいな、ああいったお話しにはなりませんけど、いいんですか?
もっとも、お話しするとしたら、あの人たちとのその後、みたいなところからになるんですけど。
ええ、そうなんです。
もう二度関わるもんか!と思っていたら、妙なご縁で…。
そうですか、ではそのへんからお話ししましょうか。
タイトルは、また「偲姿」ですか?
いや、わたしは何だっていいんですけど…。
あ、じゃあ今度はルビを、平仮名にしたりするのは?
え、本当にそうなさるんですか?
あはは。
どうぞ。
あの、それから電池、大丈夫ですか?
なんかさっきからそれ、調子良くないみたいですけど…。
わたしが「劇団ASUKA」なるドサ廻り一座に参加していたことは、この時は幸い所属事務所にはバレずに済みました。
理由を問わず、二股かけたらクビ、という規則でしたから―もっとも、そんなのは建前で…、あ、いきなり話しが横道に逸れてしまいますね。
やめましょう、それはまた別の時に。
で、あの“面白い”体験で、安易な道へ堕ちることに心底懲りたわたしは、東京に戻ってからは、アルバイトで生計を立てながら、地道に役者志望活動を続けていました。
もちろん、エキストラばっかりですよ。
いつ役に立つのか分からない演技レッスンを毎月受けながら―エキストラは基本、演技してはダメなんです。メインの役者が引き立たなくなるので。
もちろん、そこそこの役のオーディションにも何度か行きましたけれど、全て見事に撃沈でした。
その代わり、エキストラとしてはいろいろな作品に出ましたよ。
タイトルなんか、もういちいち憶(おぼ)えてはいないくらいに。
はい。
まわりも似たり寄ったりで、いつまでも芽が出ないことにイラついて、辞めてしまったり、他の事務所に移籍して行ったり、いろんな人がいましたよ。
ええ。移籍したって、待遇なんて変わりはしません。
「自分はこんなじゃないハズだ!」って飛び出して、事務所を転々とするわけですけど、そういう“渡り鳥”状態のヒトと云うのは、逆にギョーカイの信用を失なうだけで、最期は必ず消えていくんです。
フワフワしていて腰が据わっていない、と云うことで、「どうせウチだってすぐに辞めるんだろ」と見られて、初めから相手にされなくなっていくわけですよ。
忘れられないのが、わたしが“復帰”したのとほぼ入れ違いくらいで辞めていった、当時大学生だった男の子です。
わたしが事務所でエキストラのギャラを受け取った帰りに―振込みではなくて手渡し制なんです―、事務所のエレベーターで、たまたま彼と一緒になったんです。
役者になろうと云うくらいですから、なかなかのイケメン君でしたよ。
ドラマのエキストラで何度か一緒になったことがあったので、「あ、どうも…」みたいに挨拶してから、ギャラの受け取りですか、と訊くと、
『契約を解除してきたところ』
と言うわけです。
とにかくルックスだけはいいコだったので、移籍でもするのかなと思ったら、
『役者は諦めて、実家に帰る事にした』
と。
実家は岡山県で、父親が会社を経営していて―何の会社かは訊きませんでしたけど―、大学卒業までに東京で役者として芽が出ないようだったら、こっちへ帰って来て会社を手伝う、と云う約束になっていたそうです。
この時初めて、そのコが二十二だってことを知ったんですけど、いま思えばまだまだ二十代前半、夢はこれからという気がしますけど、実家とそういう約束ならば仕方ないですよね。
イケメンタレントとして充分やっていけそうなルックスなのに、勿体ないなぁなんて思ったものですけど―ただ悲しい哉、そういうコはあのギョーカイ、掃いて棄てるほどいるんです。
そのコ自身、すでにタレント志望に未練は無い、といった感じで、事務所の入っているビルの前で別れる時、彼はこんなことを言ったんです。
『夢は見るもの、語るもの、そして最後に食われるもの、ってね…』
その男の子がいつからタレント志望やっていたのか知りませんけど、あまりにも悲し過ぎる結論だと、今でも思います。
もっとも、その考えは一概に否定も出来ないのですが…。
わたしだって、いつまでこんな生活が続くんだろう、といった先行きの不安はありました。
でも、あのドサ廻りがよっぽど骨身に堪(こた)えたんですね、今のこの事務所で、行き着く所まで行ってやろう、と強く決めていました。
〈続〉