
熊谷宿をたって約30分、熊谷市石原176で国道17号線から離れると、やがて右手に一里塚が↑。
熊谷市新島に残る一里塚は、現在この東側のみで、西側は江戸時代にこの地域で大流行した疫病がインド伝来とも云われる“吃意摩多利神(きついまたりしん)”によって平癒したとの伝説を紹介した石碑と、件の石像がフェンスに囲われて建っています。
↓は一里塚からさらに行ったところの、玉井と云う地区で出会った木。

この木に特に謂れはないようですが、平地のなかにそこに一本だけ生えている姿は、古写真に見るかつての旧街道の雰囲気をそのまま現代に伝えているようで印象的だったので、撮ってみました。
↓は旧街道沿いの家の塀から零れ咲いていた花。

こういう色、好きなんです。
熊谷市新島に残る一里塚は、現在この東側のみで、西側は江戸時代にこの地域で大流行した疫病がインド伝来とも云われる“吃意摩多利神(きついまたりしん)”によって平癒したとの伝説を紹介した石碑と、件の石像がフェンスに囲われて建っています。
↓は一里塚からさらに行ったところの、玉井と云う地区で出会った木。

この木に特に謂れはないようですが、平地のなかにそこに一本だけ生えている姿は、古写真に見るかつての旧街道の雰囲気をそのまま現代に伝えているようで印象的だったので、撮ってみました。
↓は旧街道沿いの家の塀から零れ咲いていた花。

こういう色、好きなんです。