
板橋仲宿の追分から「川越街道(川越往還)」として始まる、中山道の脇往還。
川越宿から先は「児玉街道(児玉往還)」として、現在の埼玉県川越市から坂戸市を経て東松山市、比企郡嵐山町、同 小川町、大里郡寄居町、埼玉県本庄市、児玉郡神川町を通り、上州藤岡(現 群馬県藤岡市)まで続いています。
当時の道筋は現在も活用されていますが、国道と県道の合わせて7本の道路にそれぞれ分断・整備されいるため、「児玉街道」と云う名称及びその名称の一本の街道としては、現在は存在していません。
それでは引き続き、川越市役所前の川越街道終点より始まる、かつての「児玉街道」を辿ってみることにします。
歩き始めてすぐに「札の辻」跡の交差点(上段写真)を通り、川越祭りの山車を収める蔵が見える元町地区を過ぎ、新河岸川に架かる高沢橋を渡り、市街地の残り香のような、少しばかり古い家屋が並ぶ石原町を過ぎると、町外れらしく道幅は一気に狭まり、

同時に旧街道らしい風情が一気に漂い始めます。
川越北環状線との交差点を渡って直進すると、やがて入間川の土手に行き当たり、ここを上ると北方向に見えるのが、現・県道256号線の平塚橋。
平塚橋の上から西方向を見ると、彼方には雪化粧も美しい霊峰・富士が。

川越宿から先は「児玉街道(児玉往還)」として、現在の埼玉県川越市から坂戸市を経て東松山市、比企郡嵐山町、同 小川町、大里郡寄居町、埼玉県本庄市、児玉郡神川町を通り、上州藤岡(現 群馬県藤岡市)まで続いています。
当時の道筋は現在も活用されていますが、国道と県道の合わせて7本の道路にそれぞれ分断・整備されいるため、「児玉街道」と云う名称及びその名称の一本の街道としては、現在は存在していません。
それでは引き続き、川越市役所前の川越街道終点より始まる、かつての「児玉街道」を辿ってみることにします。
歩き始めてすぐに「札の辻」跡の交差点(上段写真)を通り、川越祭りの山車を収める蔵が見える元町地区を過ぎ、新河岸川に架かる高沢橋を渡り、市街地の残り香のような、少しばかり古い家屋が並ぶ石原町を過ぎると、町外れらしく道幅は一気に狭まり、

同時に旧街道らしい風情が一気に漂い始めます。
川越北環状線との交差点を渡って直進すると、やがて入間川の土手に行き当たり、ここを上ると北方向に見えるのが、現・県道256号線の平塚橋。
平塚橋の上から西方向を見ると、彼方には雪化粧も美しい霊峰・富士が。
