十六時を過ぎてから、僕は熊橋老人と下鶴昌之、そして稽古用の浴衣に着替えたその長男と、稽古場となっている集会所へ再び向かった。
僕は正直なところ、旅館で熊橋老人から聞かされた内輪話しに、少し気が滅入っていた。
人間同士が額を寄せる場では、性格の不一致は付き物だ。
そんな話しを部外者(よそもの)が聞いても、迷惑なだけだ。
僕が大和絵師となったのは、他人(ひと)の発する雑音に煩わされることなく、仕事に没頭できるからだ。
結局、ニンゲンは人間関係というストレスを、生きる糧にしているらしい……。
さて、稽古場となっている集会所の二階は、すでに電灯がついていた。
二階は一階と同じ間取りの広間があり、そこに着流し姿の、いかにもお師匠然とした男が、台本らしき冊子を見ながら座っていた。
僕はこれが、“例の”師匠か、と思った。
師匠は台本から顔を上げると、おや? と真っ先に僕を見た。
熊橋老人はすかさず、
「今日は知り合いを、見学に連れて来たんや」
と、にこやかに、しかし保存会長の威厳をさりげなく漂わせて言った。
師匠は圧されたように、「そうですか……」と、取って付けたような笑みを浮かべて改めて僕を見ると、
「振付をやらせていただいております、溝渕静男と申します」
と頭を下げた。
僕はそのとき、男が肩に妙なシナをつくったことに、抵抗を覚えた。
本職は町の漆器屋というこの溝渕静男なる人物、芸事の“真似事”に片足を突っ込んでいるせいか、下鶴昌之と同年代ながら、いくらか若くは見える。
浅黒の顔はいかにも商売人らしく柔和だが、鼻の下が長いため間延びして見え、しかもおちょぼ口だった。
少年時代はまた違ったのだろうが、かつて熊谷直実を演じたと云う容貌には見えなかった。
僕は、鼻の下の間延びした容貌から、世話物なら“めがね”という鬘(あたま)をのせたチャリ番頭、時代物なら忠臣蔵の鷺坂伴内といった端敵(はがたき)が似合いそうだ、と思った。
「一階(した)にある松羽目の下書きな、あれはこちらの近江さんが、描いてくだはったんや」
東京のプロの画家さんだ、と熊橋老人が僕を紹介すると、溝渕静男は「そうですか、それはそれは……」と愛想笑いを浮かべながら、目には探るような表情(いろ)が、かすかに窺えた。
東京もんが、なにしに来た―
そう言いたげにも見えた。
やれやれ、ここでもだ……。
僕は、「思いがけないご縁で……」と、軽く頭を下げて、その視線をいなした。
やがて子どもたちが出揃うと、今年の演し物である「釣女」の稽古が始まった。
本番一週間前とあって、形は既に出来上がっていた。
テープレコーダーから流れる常磐津に乗せて、子どもたちは淀みない動きをみせる。
溝渕静男は正面に正座して踊りを凝視しつつ、時おりテープを止めると自ら立って、ダメ出しをする。
そのとき、たまに僕へチラチラと視線を送る様子に、「ああ意識してるな……」と可笑しくなった。
ようするに、心のどこかで、自信が無いのだ。
だから、他人(ひと)の目が気になる。
事実、その身振り手振りは、明らかに師匠について習ったのではない、映像か何かを使って見よう見まねで覚えた、中途半端な代物だった。
僕の友人に、博多在住で東京にも稽古場を開いている、女流日本舞踊家がいる。
実力派若手として定評を得ている彼女の舞台を通して、“本物”をいくらか知っているお陰で、僕は溝渕静男の“ニセモノぶり”を、見抜けたと言えた。
頬を紅潮させて、そんなニセモノを見つめている子どもたち、そしてお師匠役に酔っている溝渕静男が、僕はしだいに、憐れに思えてきた。
続
僕は正直なところ、旅館で熊橋老人から聞かされた内輪話しに、少し気が滅入っていた。
人間同士が額を寄せる場では、性格の不一致は付き物だ。
そんな話しを部外者(よそもの)が聞いても、迷惑なだけだ。
僕が大和絵師となったのは、他人(ひと)の発する雑音に煩わされることなく、仕事に没頭できるからだ。
結局、ニンゲンは人間関係というストレスを、生きる糧にしているらしい……。
さて、稽古場となっている集会所の二階は、すでに電灯がついていた。
二階は一階と同じ間取りの広間があり、そこに着流し姿の、いかにもお師匠然とした男が、台本らしき冊子を見ながら座っていた。
僕はこれが、“例の”師匠か、と思った。
師匠は台本から顔を上げると、おや? と真っ先に僕を見た。
熊橋老人はすかさず、
「今日は知り合いを、見学に連れて来たんや」
と、にこやかに、しかし保存会長の威厳をさりげなく漂わせて言った。
師匠は圧されたように、「そうですか……」と、取って付けたような笑みを浮かべて改めて僕を見ると、
「振付をやらせていただいております、溝渕静男と申します」
と頭を下げた。
僕はそのとき、男が肩に妙なシナをつくったことに、抵抗を覚えた。
本職は町の漆器屋というこの溝渕静男なる人物、芸事の“真似事”に片足を突っ込んでいるせいか、下鶴昌之と同年代ながら、いくらか若くは見える。
浅黒の顔はいかにも商売人らしく柔和だが、鼻の下が長いため間延びして見え、しかもおちょぼ口だった。
少年時代はまた違ったのだろうが、かつて熊谷直実を演じたと云う容貌には見えなかった。
僕は、鼻の下の間延びした容貌から、世話物なら“めがね”という鬘(あたま)をのせたチャリ番頭、時代物なら忠臣蔵の鷺坂伴内といった端敵(はがたき)が似合いそうだ、と思った。
「一階(した)にある松羽目の下書きな、あれはこちらの近江さんが、描いてくだはったんや」
東京のプロの画家さんだ、と熊橋老人が僕を紹介すると、溝渕静男は「そうですか、それはそれは……」と愛想笑いを浮かべながら、目には探るような表情(いろ)が、かすかに窺えた。
東京もんが、なにしに来た―
そう言いたげにも見えた。
やれやれ、ここでもだ……。
僕は、「思いがけないご縁で……」と、軽く頭を下げて、その視線をいなした。
やがて子どもたちが出揃うと、今年の演し物である「釣女」の稽古が始まった。
本番一週間前とあって、形は既に出来上がっていた。
テープレコーダーから流れる常磐津に乗せて、子どもたちは淀みない動きをみせる。
溝渕静男は正面に正座して踊りを凝視しつつ、時おりテープを止めると自ら立って、ダメ出しをする。
そのとき、たまに僕へチラチラと視線を送る様子に、「ああ意識してるな……」と可笑しくなった。
ようするに、心のどこかで、自信が無いのだ。
だから、他人(ひと)の目が気になる。
事実、その身振り手振りは、明らかに師匠について習ったのではない、映像か何かを使って見よう見まねで覚えた、中途半端な代物だった。
僕の友人に、博多在住で東京にも稽古場を開いている、女流日本舞踊家がいる。
実力派若手として定評を得ている彼女の舞台を通して、“本物”をいくらか知っているお陰で、僕は溝渕静男の“ニセモノぶり”を、見抜けたと言えた。
頬を紅潮させて、そんなニセモノを見つめている子どもたち、そしてお師匠役に酔っている溝渕静男が、僕はしだいに、憐れに思えてきた。
続