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迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

沈黙の矛先。

2018-06-01 00:26:59 | 浮世見聞記
平成23年3月11日、宮城県東松島市野蒜の女子児童が、避難先の小学校から両親以外の保護者に付き添われて自宅に帰ったところ、津波に巻き込まれて亡くなった件につひて、最高裁判所は原告の遺族の訴えを認め、被告の東松島市に賠償金を支払ふやう命じた──

と、ニュースが伝へてゐた。


「野蒜(のびる)」といふ地名に、私は思ひ入れがある。

それは震災から四年後の平成27年夏、あの日自分も都内で激しい揺れに遭遇して心底からの恐怖を味わった一人として、あの事実を改めて認識すべく、意を決して甚大な津波被害を受けたJR仙石線の旧野蒜駅を訪ねたのだった。

その時のことは、『てつみちがゆく──きず』にまとめてあるが、上の写真はこの時に撮った内の一枚だ。


震災から四年が経ち、仙石線は内陸の高台に新たに線路を敷ひて全線再開したが、旧野蒜駅周辺の沿岸部はほとんど手付かずの有様に、私はただ言葉を失ってゐた。


それだけに、今回の裁判につひて、私は何ら述べることが出来ない。


ただ、自然災害に対する持って行き場の無い怒り──やりきれなさは、理解できるつもりだ。 



今年は六月最初の休日に、岩手県の盛岡市街地を会場に、犠牲者の鎮魂を祈念した大きなお祭りが開催されるといふ。



予定が合わず出かけられないのが残念だが、タダの観光客集めイベントでないところに、真摯な思ひを感じる。




東日本大震災は、それまでの私の価値観や世界観を、根底からひっくり返した。

手猿楽師としての私は、その延長線上にあると云って良い。


あの日のことにつひては、これからも折に触れて述べていきたい。



毎年3月11日になると突然現れる、俄か被災者にだけはなりたくない。


自分たちの都合ばかりで「寄り添ふ」と口にする人種などには、もっとなりたくない。
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